「愛国心はならず者の最後の逃げ場」は奇しくも現実化している
「愛国心はならず者の最後の逃げ場である」は愛国心否定の文脈でよく用いられるが、実は愛国心それ自体を否定したものではない。当のサミュエル・ジョンソン自身ももれなく愛国者であり、これは18世紀当時のイギリスにおいて「愛国主義」という言葉が乱用されていた事が背景にある。
ジョージ・ワシントン率いるアメリカ独立派が急進的な愛国主義を掲げていたことから、ジョンソンは「アメリカに対する権利侵害などという馬鹿げた主張を正当化する者は愛国者ではない。植民地は英国の保護のもとで安定し、英国の憲章によって統治され、そして英国の武力によって防衛されてきたのだ」このように言い、要するに「錦の御旗」みたいに「愛国」を盾に何でも正当化するような者らを「エセ愛国者」として皮肉ったのが「愛国心はならず者の最後の逃げ場」の本当の意味だった。
ただ、このジョンソンの言葉から250年たち、奇しくもこの言葉が現実味を帯びてしまったと思う面もあり、今は亡き一水会(右翼団体)の鈴木邦夫は、ネトウヨが愛国心を「逃げ場」にしていると生前批判した。リアルな生活の中の等身大の自分を観ないふりし、日本人であるというだけで人間として上等なのだーと、居丈高な態度な者が増えたことは否めない。その意味で愛国心には等身大の「自分を観る」ことがまず必要でもある。

