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男がどう生きて、どう人生を決着させるかを見せてくれた「グラン・トリノ」

未だ暑い日が続くが、この夏は暑さで気力や意欲を奪われ必要最低限の事しかできず、配信系で映画を立て続けに観るような日々だったが、その中でも突出して面白かったのはクリント・イーストウッド主演・監督「グラン・トリノ」だった。

イーストウッド演じるウォルトは妻に先立たれ息子家族とも疎遠で、ミシガン州の田舎で一人寂しく頑固爺らしく暮らしていたが、そこにアジア系移民のモン族(元々はラオスやミャンマーに定住する)の家族が越してくる。ウォルトは最初は彼らに対し蛮族を見るような偏見の目を向けるが、そこで起こる様々な出来事を通し交流するうちに少しずつ彼らと心を通わせていき、自身の人生をどのように終えるべきかという一つの答を見つけていく。

頑固爺が次第に心を開く的な話ならよくあると言えばあるだろうが、その鍵となるのが移民の少年少女だという点がこの物語の肝でもある。ウォルトは朝鮮戦争に従軍した過去があり、当時彼らと同年代の少年らを戦闘で殺害している。移民として越してきたモン族はベトナム戦争でCIAに協力したため後に反共として国を追われる身となった民族で、ウォルトは移民の少年の中にかつて朝鮮で殺してしまった少年らの姿を見たのかもしれない。

映画のタイトルでもある「グラン・トリノ」とは1970年代のアメリカの国産車(フォード)で、言わば「古き良きアメリカ」の象徴たるものだが、ウォルトは最後の最後に自分の息子や孫でなく、それをモン族の移民の少年に譲渡する。少年は最初、不良仲間に唆されてウォルトのグラン・トリノを盗もうとしたにもかかわらずだ。

「古き良きアメリカ」を家族よりも移民の少年に託す、というのは「アメリカの未来を彼らに託す」みたいなメッセージに見えなくもない。近年の日本もこの作品に通じるシチュエーションが見られるようになってきたが、この作品には物語を通し、ある意味移民問題を考えるヒントが示されてもいる。単純な血統原理よりエートスが受け継がれているかどうかという事。男がどう生きて、どう人生を決着させるかというテーマを、作品を通してイーストウッドは見事に表現してくれた。

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