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「権利」とはアメリカ人が翻訳した言葉

意外と知られていない「権利」の翻訳事情です。
いつも思いますが、海外の概念も本当に理解しがたいものですね。

人権概念の話題

人権に関する書籍の宣伝記事がありました。興味深い「権利」の概念について記述してあります。

「人権はそもそも、キリスト教的自然法思想(とくにロック)に端を発している。その思想によれば、人は生まれながらに生命・自由・財産への自然権を持っており、それは国家というものが成立する以前から存在する権利であった。その自然権こそが人権の母胎なのだといわれている。

したがって、地球上に人類を脅かすより高知能の生命種がまだいない現在のところ、人類という種を存続させるために人権が主張されているわけではない。人権とは、あくまでも人類の内側でのみ通用する、個人やマイノリティの「切り札」なのである。だから、それは人間社会の中で生きる限りにおいてこそ、一人一人にとって大切な、守られるべきものなのだ。」

「条約や宣言があっても、現実の差別や権利の不均衡が完全に解消されているわけではない。また、元はキリスト教に端を発している自然権・人権の観念であるから、現代に至っても全世界の人々すべてが受け容れているわけではないという限界がある。」

https://gendai.media/articles/-/144426

関連

「ライト」とは元来正直の義なり。……正理に従人間の職分を勤め邪曲なきの趣意なり。……求む可き理という義に用ることあり。……求めても当然のことと云ふ義なり。……人は生ながら独立不覊にして、束縛を被るの由縁なく、自由自在なる可き筈の道理を持つと云ふ義なり。

福澤諭吉『西洋事情』

福沢の古い記述は、「ライト」が持つ「正義、公正、道理、正しい行為」といった含意を、極めて的確に捉えている。フランス語の「droit(権利・法)」が元来「まっすぐ」という意味であるのと同様、「『ライト』とは元来正直の義」なのである。繰り返すが、「権利」は「力」や「権力」ではない。それは、まさに「正理」であり「道理」に他ならず、力の有無など全く関係なしに「求めても当然のこと」なのである。 このように考えれば、「権利」を意味するフランス語の「droit」が、同時に「法」を意味することも理解できよう。すなわち、法も権利も、共に「正理」であり「道理」であり、それに準拠した要求は「当然のこと」だというわけである。今日の日本において、この基本的な原則は、はたして本当に受け入れられているのであろうか。

https://www.kobunsha.com/special/sinsyo/member/serial/pdf/ns009_sm0026.pdf

権利と権力 光文社メールマガジン
https://web.archive.org/web/20230702031656/https://www.kobunsha.com/special/sinsyo/member/serial/pdf/ns009_sm0026.pdf

人権思想の確立にあたっては,ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーといった哲学者が大きく貢献した。しかし,彼らの基盤となる自然法思想は,社会的存在である人間を個人に還元してしまうものであり,当時の社会的状況に対するアンチ・テーゼの面が強いと言える。

https://mpu.repo.nii.ac.jp/records/316

制度イデオロギーとして定着せられた政治的思想・イデオロギーについて簡単な歴史的一瞥を加えれば、古代エジプトやインカにおいて典型的に現出した〈アジア的世界〉では、〈皇帝〉理念に収斂せられた神話的イデオロギーとして現出し、異民族との・戦争と交易の二相を交錯させた・交通関係が盛んであった古代中国においては、呪術的・宗教的な神話的観念を普遍的な哲学的イデオロギーにまで媒介止揚した〈儒教〉として、また、人種的にも文化的にもアーリア的要素と土着的要素との非常に長い年月をかけた支配・抵抗・融合・混淆を経て形成されたカースト制下インドでは、古代のブラフマン信仰に発するヒンドゥー教として現出した。ギリシャとローマに代表される〈古代的世界〉では、〈近代〉の国民国家主義の思想的先駆としての性格をもっている市民的共同体主義として、〈中世的〉ヨーロッパ世界では、カトリシズム・キリスト教として、砂漠的遊牧を中心とするアラブ世界ではイスラム教として、〈近代〉以降においては、広く〈人権〉思想を哲学的・人間的基礎とした国民国家主義として登場した。

〈政治家〉論
-〈官僚〉・〈政治家〉と〈政治〉の規範論的構造
滝村隆一
現代思想2 1974 2-2

権利の翻訳事情

人権・権利というのは翻訳語なので、その事情を紹介してみます。

西周によるドイツ語Rechtの翻訳

福澤諭吉による英語Rightの翻訳案

「……地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするにあらず……」

「……権理通義の四字を略して、ここにはただ権義と記したり。いずれも英語のライト、right という字に当たる……」

福沢諭吉『学問のすすめ』

https://mag.japaaan.com/archives/97638

http://fukushima-net.com/sites/meigen/1428

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000275923&page=ref_view


実は「権利」という訳語はアメリカ人が作った

William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916)が『万国公法』を和訳した時Rightを「権利」と訳し、それが定着したそうです。

アメリカ人が作った翻訳語「権利」

 自治体職員研修では、時間の関係上、端折って説明しているが、実は、英語rightを「権利」と翻訳したのはアメリカ人なのだ。

 このアメリカ人の名前は、William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916。漢語名は丁韙良。支那には仮名文字がないため、欧米人名を漢字で表記する。)という。プロテスタント長老派の宣教師として、清国で布教活動等をしていた。

 「権利」という漢語自体は、古くから支那(chinaシナ。中国の地理的呼称。)で用いられている。例えば、『荀子』勧学篇第一には、「是故權利不能傾也」(是の故に權利も傾くること能わず。権力でも利益でも心は動かされないというような意味だ。)とある。

 しかし、ウィリアム・マーティンが、アメリカの国際法学者であるHenry Wheatonヘンリー・ホィートン(1785〜1848。漢語名は恵頓。)の著書『Elements of International Law』(直訳すれば、国際法の要素。)を『万国公法』という書名で漢語に翻訳した際に、rightにこの「権利」という漢語を当てはめ転用したわけだ。この他にも、「主権」(sovereign rights)や「民主」(republic)も、ウィリアム・マーティンの翻訳語だ。

 この翻訳本『万国公法』は、清国では反響が乏しかったらしいが、1864年又は1865年に清国で出版されるやいなや直ちに日本へ輸入され、我が国では空前の大ベストセラーとなった。我が国で法律書、況(いわん)や国際法の解説書がベストセラーになったのは、後にも先にも『万国公法』だけだろう。映画やテレビの時代劇にも坂本龍馬が「これからは万国公法ぜよ!」というセリフを言うシーンがよく登場するが、それぐらい衝撃的だったのだ。

https://minamoto-kubosensei.amebaownd.com/posts/7748390/

現在の権利の意味

権利(right / Recht / droit)
◆概要
◆権利の四分類
◆歴史
◆個人の権利

・古代ローマの権利概念:dominium と ius
・中世法学者の権利概念1:タック説
・中世法学者の権利概念2:ティアニ説
・ヴェイユの権利批判

・権利と義務

https://web.archive.org/web/20160916073703/http://homepage3.nifty.com/tanemura/re3_index/2K/ke_right.html


関連

https://web.archive.org/web/20140312023134/http://kousyou.cc/archives/5644


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