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日本の葬式大変化 リンク

これからはどうなってゆくのでしょうか?
文章はChatGPTです。


そもそも日本の葬式は大変化の歴史でした

知っていますか?そもそも日本の葬式は夜にやっていたのです。

縄文時代から葬儀は大きく変化しました。縄文時代には屈葬(身体を曲げて埋葬)を行い、「胎児と同じような体勢をとらせることで復活を願った」とされます。弥生時代には伸展葬が普及し、古墳時代には前方後円墳といった大型墳墓が支配階級で造られました。

「仏教の僧侶が組織的に葬送儀礼に関るようになるのは鎌倉仏教教団が本格的に社会的影響力を持ち始める十三世紀~十五世紀ごろのことで、檀家制度や諸法令などが整備されていく江戸時代の十七世紀~十八世紀以降やっと葬式仏教が確立する。」

「天皇や高級貴族たちの葬儀は僧侶が関与していたが儒教式の次第で執り行われ、また本書ではなく山本幸司著「穢と大祓」によると遺体の処理は僧侶ではなく、十世紀ごろまでは一定の専門職が決まっておらずその時々に応じて命じられ、十一世紀ごろからは検非違使が管掌するようになったが、その指示下で直接の作業の担当者は一定せず様々な呼称の人々が関与していた。その担当者が河原者、非人に収斂するのは十五世紀のころだという。すなわち、葬儀が行われるのは一部の貴族以上の人々に限られ、僧侶も穢れ忌避の観念から必要最低限の関与にとどめ、他に関与する人は定まっていなかった。

では通常はどうかというと庶民は風葬・遺棄葬のかたちをとるのが常であった。死んだらポイ捨てというわけだ。葬送されない死体は河原・道路・橋のたもとなどに運ばれて捨てられた。いわゆる賽の河原で、京都や鎌倉などを中心に全国に遺棄葬の場所とされた場所が点在する。これは密閉された空間では死穢の伝染の問題があるが、開放された空間では触穢の問題が発生しないからだった。庶民だけでなく僧侶や、貴族の家で働く下人なども死亡した場合は河原に捨てられていた記録が残っているという。

次第に穢れという禁忌を犯してでも慈悲心から庶民に葬儀を施し、遺体を埋葬しようという僧侶や、死亡した時にお互いの葬送を行おうという共同体が誕生するなどの動きが平安末期ごろから見られるようになった。十二~十三世紀にかけて官僧にならずに修行を行う遁世僧という仏教者たちが登場し、彼らは教団を形成、それぞれ独自の理論で穢れ観念を克服し組織的に葬送に従事」

「寺院に石造墓が作られて詣でる習慣が始まったのは十二世紀後期から十三世紀のことだという。これは五十六億七千万年後の弥勒下生の際、霊魂の依り代である骨がどこにあるかがわかるよう、当時としては固く長持ちする物質である石を使って目印として墓が作られたのだという。石造墓や塔の下には銅製の骨蔵器が埋められ、さらに分骨することで、どれか一つ埋められた場所が分からなくなっても大丈夫なように注意が払われた僧侶の墓もあった。五十六億と七千万年後にあなた(弥勒)と合体したかったわけだ。

このような過程を経て十二世紀に登場して葬送儀礼の担い手となった鎌倉仏教諸派が十五世紀から十六世紀にかけての戦国時代に日本中に浸透していき、十七世紀初頭の江戸幕府成立時に寺院設立ラッシュが起きる。この多数建立された寺院の統制のために幕府は元和元年(一六一五)寺院法度を出して本寺末寺制度を確定、寛永八年(一六三一)年新寺建立を禁止、寛永十二年(一六三五)、民衆一人一人がキリシタンでないことを寺院に証明してもらうことを義務付けた寺請制度が全国に導入され、島原の乱を経て寛永十七年(一六四〇)、キリシタン調査である宗門改めを全国の寺院に命じ、このキリシタン(や不受布施派などの邪宗門)弾圧の過程で人々を菩提寺と檀家関係を結ばせる檀家制度が展開した。元禄十三年(一七〇〇)、檀家制度が全国的に確立し、一家一寺檀制がなされたのは寛延二年(一七四九)」

https://web.archive.org/web/20120923111135/http://kousyoublog.jp/?eid=2626

通夜(夜伽)は、故人の蘇生や邪霊から守るため、遺体に灯火を絶やさず夜通し見守る儀式でした。線香や蝋燭の火がふさわしく保たれることで、邪霊除けや死者の再生を願う意味が込められていました。

明治時代になって、日本の葬儀についての考え方とやり方が画期的に変貌したが、最も重要なのは、それまで夜の間に控え目に行なわれていたものが、白昼大きな葬列を伴って行なわれるようになったことと、葬儀業者が出現したこと。このような変化は東京で始まり、その後全国的に広まった。

https://www.oldphotojapan.com/photos/367/sogi-meiji

昔の葬儀には泣き女がいました

かつて日本各地では「泣き女」と呼ばれる職業的な代泣きがあり、「一升泣き」「二升泣き」と報酬に応じて泣く程度が表現されました 。

例えば岡山や府中などでは、葬儀に泣き女(ヒキアゲ婆さん)を頼み、大声で号泣や悔やみの言葉を何度も繰り返す風習がありました 。

この泣き女の慣習は、明治時代頃まで日本各地、特に離島に残っていたとされます。

喪服さえ白から黒に変わっています

明治時代に入り欧米の影響が強まり、従来の白い喪服から現在の黒い喪服へと変化しました 。これは衛生観念や西洋文化の導入が背景にあり、葬儀の形式全体が西洋化していきました。

今は御殿式の霊柩車はなくなりました

以前の日本には「御殿式」と呼ばれる豪華な霊柩車が存在しました(リンク先書籍『霊柩車の誕生』などで詳述)ですが、現在ではこのような大規模・派手な霊柩車はほぼ姿を消しました。都市化・合理化・葬儀費用の観点から簡略化が進んでいます。

https://honz.jp/articles/-/21350

近年(コロナ前)の葬式観大変化

1990年代以降、葬儀は地域社会(近所・親戚)が中心ではなく、葬儀業者への依存が増えました。業者によるプラン提供やサービスにより、家族葬など費用や形式を見直す動きが高まり、伝統的な葬儀様式に違和感を感じる層が増えました。
また、地方では掲示されたように「村の知識を持つ人」「地域のしきたりを語れる人」が減り、業者に頼る傾向が強まり、それに伴って香典や弔辞のあり方にも変化が見られています。

葬儀業者に依存するようになると派手なお金のかかる葬式に違和感をもたれるようになり家族葬が検討されるようになってきました。

https://www.circam.jp/reports/01/detail/id=1983

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/227278/040800049/

まさに決定的な瞬間。

 しかし、なぜなのか。ふと想像したのは、昔からの知識を持っていたおばあさん本人が亡くなり、葬儀を仕切れる人がいなくなったということ。

「いや、むしろ周りの状況です。それはおれたちがやることじゃない、みたいに周りが引けていく。ひとつ背景として言えることは、もう子どもたちは全員外に出ちゃってるんですね。結局、世代的に、完全に外に出た人たちが喪主になってしまうんです。そういう外に出た喪主にしてみると、何か聞くにしても、隣のおじさんではなくて、業者に聞くっていう、どこに依存するかが明確に変わってしまったっていうのがありますよね。そうすると、村の親戚があえて香典を辞退するようにとか言い出すわけです」

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/16/033000003/033100003/?P=3

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/227278/040700047/

https://toyokeizai.net/articles/-/163387

https://www.sbbit.jp/article/cont1/32941

コロナにより葬式にまた大変化がありました

コロナ禍では感染リスクにより、通夜や告別式を極端に簡素化、または省略し、家族葬が一層普及しました。病院から直接火葬場へ送る「お別れなし」の例も報告されました。

コロナで葬儀離れの心情に変化がみられます

以前は簡略化傾向が進んでいたものの、コロナによる孤独な喪失経験をきっかけに、「つながりたい」「祈りたい」という思いが強まり、簡素化が逆風にさらされる感情的傾向が出ています。

高齢化などで火葬場がスケジュールいっぱいのようです

首都圏では火葬場の予約が埋まり、「10日待ち」となるほど混雑が続いています。この背景には高齢化による死者数の増加があり、今後数十年間にわたって1日あたり多数の遺体を捌かなければならない状況です。

https://business.nikkei.com/atcl/book/16/102400002/102400003/

通夜の省略

都市部を中心に「一日葬」が増えており、通夜を省略し告別式のみを行う傾向が広まっています。これには時間的制約、経済的な事情、感染対策などが関係しています。東北大の准教授によれば、特にロスジェネ世代の独身者において墓や葬儀維持の負担感が強く、「通夜なし・永代供養」などの選択が増えています。

新規の墓地造成は法律的にも制限されています。就職氷河期世代・ロスジェネ世代で独身の上に経済的にも厳しい人たちが50歳を迎え、墓の新設や維持に困難が生じています。新型コロナウイルス感染症のせいで、看取りや葬儀の形も変わっています。都市部では、通夜を省略した1日葬も増えています

日本人の先祖崇拝
東北大学大学院文学研究科 問芝志保准教授
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/03/in-focus-vol022.html

墓じまい

少子高齢化に加えて「終活」が広がる中で、墓を守れない・引き継げない家庭が増え、「墓じまい」が増加しています。一方で、樹木葬や海洋散骨、合同墓といった代替形式も注目されており、墓文化全体が変容しています。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240815-OYT1T50190/

https://president.jp/articles/-/93316?page=1

総括

日本の葬式は、縄文・古墳時代の屈葬や舟葬から始まり、通夜・泣き女・白喪服・霊柩車など、多様な慣習を経ながら変化してきました。近現代では欧米的喪服の導入、葬儀業者への依存、家族葬の普及、コロナによる簡略化など、新たな変化が重なりながら進行中です。そして火葬場の逼迫、通夜の省略、墓じまいの増加など、高齢化・都市化に関わる社会的問題が葬儀文化に大きなインパクトを与えています。

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