機能的非識字について
テキストを読めない人達について。

文章を読めない子どもが増えているという。読解力不足の難しさは、どこで躓いているかを子ども自身が言語化できない点にある。教える側もどう教えて良いかが分からないため「たくさん読め」「色々読め」といった物量論や精神論になりがちだ。本書はその問題解決に革命的な手がかりを与える。それが👉… pic.twitter.com/eO9atTAEr2
— 正木伸城 (@nobushiromasaki) January 25, 2026
「記号接地」という概念の使用である。 著者が再定義する「記号接地」の力は、子どもの学力に相関する。国語だけではない、他の多くの教科においても、自然言語の読解に「記号接地」が貢献することがわかっている。むしろ著者は、「『丁寧にわかりやすく説明すれば学び手に理解され、繰り返せば定着する』は教え手のもつ誤解である」と断言する。 記号接地について解説したい。 たとえば、生成AIに「チョコの味を教えて」と聞くとしよう。すると、AIは事細かに答えてくれる。さすがの文章力だ。ところが、生成AIに「あなたはチョコを美味しいと思うか」と聞くと「分からない」と返ってくる。それはそうだ。AIはチョコを食べられないのだから。つまり、AIは言語を記号として操作することはできても、チョコの味の何たるかには到達できない、すなわち「接地」できないのである。 例題を出そう。 問 子どもが14人、一列に並んでいます。あなたの前に7人います。後ろには何人いますか。 この問題に、4年生や5年生でも少なからぬ子どもが「98人」と答えるそうである。本書には実際の解答例も載っている。「子どもが14人」と書いてあるにもかかわらず、それよりも圧倒的に多い「98」という数字が出てくるのはなぜか。 察しが良い方は気づいたかもしれない。「98」は「7×14」の解である。 実は、このタイプの誤答をする子どもにとっては、算数の問題は「問題文の中の数字を足したり引いたりかけたり割ったりすること」でしかない。その感覚からすると「子どもが14人、一列に並んでいます」という記述は「人間が列を作る」というイメージに「接地しない」のだ。つまり、算数のモードで文章を読んだ時に、子どもたちは違う文脈を前景化させて誤答してしまうのである。 もちろん、どんな問題であっても、学年が上がると平均点は着実に上がる。簡単な問題ほど、成績が高位の子と中位の子の正答率は上がり、両者の差は縮まっていく。ところが下位グループの平均点は、学年が上がってもほとんど改善しない。簡単な問題なら少しは上がるけれど、それ以外の問題はほぼ改善しないのである。すると、上位・中位との差は開くばかりとなる。 算数でよく出てくる「ひとしい」という言葉。著者が調べたところによると、実はこの意味を理解していない小学生が結構いるという。「ひとしい」の意味を理解していないと、たしかに「次の選択肢の中からひとしい数を選びなさい」といった問題は解けない。しかも、案外、「ひとしい」とは何かを説明するのは困難でもある。 この改善策のひとつとして本書の最後に紹介されているのは「分数を記号接地するためのカードゲーム」である。詳細は省くが、それはビジュアルを使ってゲームの中で子ども自身が「あ、2分の1とか3分の1って、そういう意味か」と気づく仕掛けになっている。この「自分で気づく」という体験がとても大事だ。推論して、自分の言葉で発してみて、周囲の人に「いや違う」「そうそう、そういうこと」と教えてもらいながら学ぶ。この過程で、子どもは記号接地を習得していく(実は、算数の過程で、特に分数で躓く子どもはとても多い〈世界共通らしい〉)。 ちなみに、記号接地がなかなかできない子どもが顕在化してきているが、著者はその原因を以下に見出している。 特に「歳の違う子どもが集団で遊ぶ」という経験が決定的に少なくなっている。兄弟姉妹の数は減り、近所の子どもが集まって遊ぶという機会も少ない。部活動をやる子も減っている──たとえば、三兄弟の末っ子にとっては、「3分の1」は分数や割り算を習う前から「接地」の機会にめぐまれる観念だ。なぜなら、お菓子などを何度も三つに分けるからである。同じように、「14人の子どもの列」も集団で遊んでいれば自然と接地するはずの観念である。近代前まで、多くの概念は経験と一体で習得された。しかし、近代以降の学校教育では経験が少ないままに概念を先に知るという機会が増えた。 いま、そのような傾向が課題として噴出しているといえる。そのため、著者は生活の実感・遊びの実感に基づいて概念を紡ぎ出していかせるような教育実践の導入を提案する。 個人的には、この観点は教育において外してはならないと思った。その肝心は、「ざっくりとわかる」という直観を育てることである。大ざっぱな自然観・社会観を育てることである。 今井むつみ『学力喪失』岩波書店
日本ではあまり認知されていない機能的非識字
「文字は読めるが文章が読めない」は「機能的非識字」といって、世界中で問題になっている。
— ブラックチャイナ@認識中国 (@superwangbadan) May 5, 2025
日本でも民間では問題になっていて、有名な「アレクサンドラ構文」がある。これ、ちゃんと読めば正解は①だとわかるのだが、実は高校生の正答率65%。しかも自他共に認める進学校でね。… https://t.co/0AQqfUlmiz pic.twitter.com/OtAJ5CLF10
日本の「機能的非識字」の問題、なにが深刻かというと…
— ブラックチャイナ@認識中国 (@superwangbadan) May 5, 2025
世界中で問題になってるのに(私がこれを知ったのも、20年前の2ちゃんのハン板。つまり🇰🇷では20年前には問題視されてた)、文部科学省が「文字わかれば文章もわかるっしょwww」と昭和30年台からロクな調査をしていないこと。
機能的非識字とは
機能的非識字(きのうてきひしきじ、英: functional illiteracy)とは、日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない、文字自体を読むことは出来ても、文章の意味や内容が理解出来ない状態を指す[1]。文章理解して読み書き出来ること、計算を使いこなせる状態である機能的識字、機能的リテラシーと対義語的に用いられる。これに対して、簡単な読み書きや計算のみできる状態を識字、ごく簡単な文章の読み書きや計算もできない状態は非識字という。
海外における実態など
「ビジネス」誌によれば、アメリカでは1500万人の機能的非識字成人が21世紀の初めに職についていた。American Council of Life Insurersの報告では フォーチュン誌による全米トップ500企業の75%が自社の労働者に何らかの補習トレーニングを提供していた。全米で、3000万人(成人の14%)が単純な日常的識字活動ができない状態である[2]。
合衆国教育省教育統計センター(National Center for Education Statistics)はより詳しいデータを提供している。ここではリテラシーは、文章リテラシー(prose literacy)、図表リテラシー(document literacy)、計算リテラシー(quantitative literacy)の、3つのパラメータに分けられ[3]、それぞれのパラメータには、基礎未満、基礎、中庸、優秀(below basic, basic, intermediate, and proficient)の4段階がある。たとえば、文章リテラシーの基礎未満の場合は、短い文章を見て簡単な意味を理解するレベル、計算リテラシーの基礎未満では簡単な加算ができるレベルである。アメリカでは、成人人口の14%が文章リテラシー基礎未満、12%が図表リテラシー基礎未満、22%が計算リテラシー基礎未満だった。この3分野すべてで優秀となったのは、人口のたった13%であったこのグループは、2つの論説の観点を比較し、血圧・年齢・身体活動に関する図表を読み取り、食品の重量あたりの単価を計算・比較することができるレベルである[4]。
2006年6月14日付のデイリー・テレグラフによれば、イギリスでは、「英国成人の6人に一人が、11歳児のリテラシー能力を欠いている」。2006年のイギリス教育省の報告によれば、学童の47%が基礎的レベルの機能的計算力も達成することなく16歳で卒業し、42%が英語を機能的に運用する基礎力を身につけ損なっているという。つまりイギリスでは毎年、10万人の生徒が、機能的非識字の状態で学校を離れるのである[5]。
2017年の調査によれば、日本の中学生の約15%は平仮名と片仮名は読めるが、新聞や教科書の理解に支障を来しているとしている
