世界心霊用語史・概念移動史④「魂」は形相になり、「心」は知性になったのか
目次
世界心霊用語史・概念移動史④
「魂」は形相になり、「心」は知性になったのか
――12〜13世紀、『De anima』再流入と anima / intellectus / ratio / mens / spiritus の再配置

はじめに――アリストテレスは、一人では帰ってこなかった
前稿では、ラテン教父世界における、
anima / animus / spiritus / mens / corpus / caro
の再配置を追った。
そこで見えてきたのは、「魂」「霊」「心」「身体」「肉」が、ある瞬間に別々の部品へ分裂したのではないということだった。
同じ語が複数の問題を担う。
同じ問題を複数の語が担う。
著者が変われば配置も変わる。
同じ著者でさえ、問題が変われば切断の仕方が変わる。
したがって、概念史は、
未分化
↓
分化
↓
完成
ではない。
むしろ、
既存語彙
↓
接触
↓
重複
↓
再切断
↓
再結合
↓
制度化
↓
再び再配置
↺
という過程だった。
そして12〜13世紀、ラテン語世界に巨大な変化が起きる。
アリストテレスの自然学・形而上学・魂論が、本格的に学術世界へ入ってくるのである。
とくに重要なのが、
De anima――魂について
だった。
しかし、
「失われていたアリストテレスが西欧へ帰還した」
と言ってしまうと、また一本線の歴史になる。
実際には違う。
アリストテレスは、
ギリシア語から直接ラテン語へ
シリア語・アラビア語圏での翻訳と注解を経て
アヴィセンナによる独自の再構成を通じて
アヴェロエスによる巨大な注解装置を伴って
さらに新しいギリシア語直訳によって再校正されながら
ラテン語世界へ入ってきた。
したがって今回の概念移動は、
Aristotle
↓
Latin West
ではない。
┌→ ギリシア語直訳
Aristotle ────┤
├→ アラビア語アリストテレス
│ ↓
│ Avicenna / Averroes
│ ↓
└────→ ラテン語訳
Augustine ─────────→ ラテン神学
聖書・教父 ────────→ ラテン神学
すべてが
↓
12〜13世紀大学世界
↓
注解・quaestio・論争
↺
という複数経路ネットワークである。
アリストテレスは、一人では帰ってこなかった。
1 「De anima」は一冊ではなく、複数の入口を持っていた
12〜13世紀のラテン語読者は、「魂について」の一冊の標準テキストだけを読んだわけではない。
少なくとも、異なる四つの経路を分けておく必要がある。
伝達経路ラテン世界へ流入したもの概念史上の意味ギリシア語 → ラテン語James of Veniceらによる『De anima』旧訳アリストテレス原典への比較的直接的な入口アラビア語哲学 → ラテン語Avicenna『Liber de anima』アリストテレスを独自に再構成した魂論・認識論アリストテレス → アラビア語圏 → Averroes → ラテン語『De anima』注解「アリストテレスは何を意味したか」という解釈装置ギリシア語 → 新ラテン訳William of Moerbekeらによる改訂既存ラテン語アリストテレスをギリシア語本文から再校正
James of Veniceは12世紀に『De anima』を含むアリストテレス著作をギリシア語からラテン語へ訳し、その『De anima』訳は後に translatio vetus と呼ばれる重要な本文となった。
一方、ほぼ同じ世紀に、アヴィセンナの魂論もラテン語化される。
これはアリストテレス『De anima』そのものの翻訳ではない。
アヴィセンナがアリストテレス、後期古代哲学、イスラーム哲学の問題系を組み直して作った、独自の体系的心理学である。
さらにアヴェロエスの注解が入り、13世紀にはWilliam of Moerbekeによるギリシア語からの改訂訳も加わる。
したがってラテン語読者が読んでいたのは、
「アリストテレスそのもの」
ではなく、
複数のアリストテレス本文と、それをすでに解釈した複数の哲学体系
だった。
2 animaに、新しい専門的負荷がかかる
ラテン語 anima は、もちろん12世紀に生まれた語ではない。
それ以前から、
生命
魂
人格的主体
死後存続する魂
などを表してきた。
しかし『De anima』が自然哲学の中心テキストとして読まれるようになると、animaに新しい技術的負荷が加わる。
アリストテレスにおけるpsychēは、基本的には、
生きた身体を、その種類の生物として成立させる生命原理
として論じられる。
有名な定式では、魂は、
生命を潜在的に持つ自然的身体の第一の現実態
とされる。
したがって、
身体
+
中に入っている魂という第二物体
という模型ではない。
より近いのは、
生きた身体
=
その身体が
植物・動物・人間として
生命活動できるようにする原理
= anima
である。
ここでanimaは、
死後にどうなる魂か
という神学語であるだけでなく、
なぜ植物は成長し、動物は感じ、人間は思考するのか
を説明する自然哲学の専門語にもなる。
同じanimaに、複数の専門レジスタが重なる。
3 しかし「魂=身体の形相」は問題を解決するどころか増やした
ここで大きな問題が発生する。
アリストテレス的に、
anima
=
身体の形相
とする。
では、
身体が崩壊したあと、魂はどうなるのか。
という問いが出る。
キリスト教世界には、それ以前から、
死後存続
審判
復活
人格同一性
をめぐる長い神学が存在した。
アウグスティヌス的伝統では、とくに人間の魂は身体とは異なる非物体的存在として強く論じられていた。
そこへ、
魂は身体を生きた身体として成立させる形相である
というアリストテレス的配置が加わる。
教父的 anima
死後にも存続する人格的・非物体的魂
×
アリストテレス的 anima
生物を成立させる身体の形相
問題は、
どちらが正しいのか
だけではない。
同じanimaという語で、この二つをどう接続するのか
である。
13世紀の魂論は、その接続そのものを巨大な問題空間にした。
4 Avicenna――「身体を感じなくても、私はいるのか」
この接続で非常に重要だったのが、イブン・スィーナー、ラテン名 Avicenna である。
アヴィセンナは単なる「アリストテレスの解説者」ではない。
彼自身が魂論を再構成した。
その象徴的な例が、後世「浮遊人間」「Flying Man」と呼ばれる思考実験である。
想像してみる。
生まれたばかりの人間が空中に浮かんでいる。
身体の各部分は互いに触れない。
外界からの感覚入力もない。
自分の身体を見ることも触れることもできない。
それでも、その人は、
自分が存在している
ことを覚知するのではないか。
という問いである。
この思考実験が直ちに、
身体から完全に独立した魂の存在を証明した
とまで言う必要はない。
しかしアヴィセンナは、少なくとも、
身体への感覚的気づき
≠
自己の存在への気づき
という切断を行った。
そして、その自己覚知を魂の非身体性・実体性をめぐる議論へ接続した。
ここで、
Aristotle
anima=身体の形相
と、
Avicenna
自己覚知する魂
の間に、新しい緊張が生じる。
しかもラテン語世界には、すでにアウグスティヌス的な mens=自己を知る内面 の伝統があった。
したがって、
Augustinian mens
↘
自己認識
↗
Avicennian soul
という新しい接続も可能になる。
5 intellectusが巨大化する
ここでラテン語 intellectus が前景化する。
もちろん、この語が12〜13世紀に新しく発明されたわけではない。
重要なのは、
『De anima』を中心とする魂論・大学教育の中で、intellectusが背負う技術的問題量が急増した
ことである。
ギリシア語では nous。
『De anima』第3巻4〜5章では、知性について非常に短い、しかし解釈困難な議論が展開される。
そこから、
intellectus possibilis
intellectus materialis
intellectus agens
などの区別をめぐる巨大な論争が生まれる。
問題は、
知性とは何か。
だけではない。
知性は身体に依存するのか。
個人ごとに存在するのか。
分離した存在なのか。
普遍を知る主体は誰なのか。
へ広がる。
つまり、
animaとは何か
↓
animaの認識能力とは何か
↓
intellectusとは何か
↓
誰が考えているのか
と問いが変形する。
魂論が人格論へ接続する。
6 Averroes――一つなのは「魂全部」ではない
ここでアヴェロエスが登場する。
彼の成熟した知性論について、しばしば、
「全人類に魂は一つしかない」
という説明がされる。
しかし、これは粗すぎる。
問題になったのは、とくに、
material intellect / possible intellect――質料知性・可能知性
の単一性である。
アヴェロエスは、これを万人に共通する、分離した一つの知性として理解する方向へ進んだ。
したがって、
私の魂
あなたの魂
全部同じ
という単純なmonopsychismではない。
個々人には、
感覚
想像
cogitativa
phantasmata
などの個体的な心的過程が残る。
問題は、それら個人の像と、共有された分離知性がどう結びつくのかである。
アラビア語哲学では、この結合をめぐって ittiṣāl / continuatio が重要な問題になる。
すると問いは、
私が考えているとき、本当に「私」が考えているのか。
へ進む。
7 Aquinas――「この人間が考えている」
トマス・アクィナスはこの問題を重大視した。
1270年の『知性の単一性について』で、アヴェロエス系の知性論を批判する。
中心となるのが、
hic homo intelligit
この人間が考える
という問題である。
もし、思考する知性そのものが万人共通の一つの分離存在であり、個人はphantasmata――像――だけを知性へ提供するとしよう。
その場合、
この人間
↓
像を提供する
分離知性
↓
本当に思考する
となる。
すると、
「この個人自身が考える」
ことを十分に説明できない。
個人は思考主体ではなく、思考の材料供給者になってしまうからである。
アクィナスはここを攻撃する。
したがって彼の反論は、
「各人にも知性があります」
というだけではない。
認識活動を、個々の人間そのものへ帰属させるには、知性的原理がその人間自身の魂に属さなければならない
という人格論的な主張なのである。
ここでintellectusは、
認識論
+
魂論
+
人格論
を結ぶ語になる。
8 Aquinasはanimaとintellectusを二つの実体にはしなかった
しかし、アクィナスは、
anima
=生命
intellectus
=別の精神実体
としたわけではない。
彼にとって、
生きる
感覚する
欲求する
思考する
主体は一人の人間である。
したがって、
植物的魂
+
感覚的魂
+
知性的魂
という複数の実体的魂が、人間の中へ積み重なっているとはしない。
人間を成立させる一つの実体的形相としての知性的魂を置く。
ただし、
animaの本質
≠
animaの能力
は区別する。
intellectusは、魂そのものと完全同一なのではなく、
魂に属する知的能力
として論じられる。
つまり、
anima ≠ intellectus
しかし
intellectus ∈ anima の能力
という関係になる。
ここでも、
語が二つある
→ 実体が二つある
とはならない。
9 ところが「一つの形相」自体が争点だった
ここで注意しなければならない。
アクィナスの、
一人の人間には一つの実体的形相があり、知性的魂が身体そのものを人間として成立させる
というモデルは、13世紀の唯一解ではない。
フランシスコ会系を含む別の伝統では、複数の実体形相を認める立場が有力だった。
身体には身体としての形相があり、その上に生命的・感覚的・知性的形相が重なる、と考える方向である。
細部は著者によって異なる。
したがって、
anima
=
身体の形相
まで合意しても、
どのように身体の形相なのか
について、さらに論争が起こる。
Aquinas
→ 実体形相の単一性
対
複数形相論
→ 人間内部に複数の形相的原理
となる。
ここは非常に重要である。
「魂=形相」と訳語・定義を共有しても、存在論は固定されない。
10 ratioとintellectus――二つの「心の器官」ではない
さらに ratio が問題になる。
現代語では、
intellectus=知性
ratio=理性
と分けたくなる。
すると、
知性
+
理性
という二つの内的器官があるように見える。
しかしアクィナスでは、これは単純な二能力説ではない。
大まかにいえば、
intellectus は知的内容を把握する働き、
ratio は一つの認識から別の認識へ進み、比較し、推論する働き、
として区別される。
しかし、
二つの独立した精神実体
ではない。
むしろ、
同じ知的能力を、異なる作用様式から記述した区別
として扱われる。
これも、
語の複数性
≠
能力の複数性
≠
実体の複数性
という本シリーズの原則に一致する。
11 認識能力の「梯子」も13世紀に突然生まれたわけではない
ここでも新しい分化がゼロから発生した、と考えると危険である。
中世の心理学では、
sensus
imaginatio
ratio
intellectus
intelligentia
といった認識能力の階梯が語られる。
しかし、この種の階梯は13世紀に突然発明されたものではない。
ボエティウスにはすでに、
sensus
imaginatio
ratio
intelligentia
という能力階梯がある。
12世紀にも、Isaac of Stellaの魂論などを通じて、より細かな能力分類が展開された。
さらに、後にアウグスティヌス作と誤認された De spiritu et anima にも、この種の能力階梯が組み込まれた。
そしてアクィナス自身も、『神学大全』でこの伝承を引用しながら、
これらは本当に別々の能力なのか
を再検討する。
つまり、
古い分類
↓
権威ある伝承
↓
新しいアリストテレス心理学
↓
分類そのものを再審査
である。
ここでも、
中世が新しい能力を発見した
のではない。
既存の分化系を新しい体系へ投入し、再分類した。
12 mensはintellectusに消されなかった
intellectusが大学的魂論の中心語になったからといって、
mensが消えた
わけではない。
アウグスティヌス以来のmensは、
内面
自己認識
記憶
意志
神認識
三位一体の像
などを論じる神学語彙として強い権威を保った。
一方、『De anima』を中心とする自然哲学では、
sensus
imaginatio
intellectus
ratio
のような能力語彙が重要になる。
したがって、
mens
↓
intellectus
という語の交代ではない。
より近いのは、
mens
アウグスティヌス的
自己・内面・神学
↘
重複
↗
intellectus / ratio
アリストテレス的
能力心理学・自然哲学
である。
同じ「心」に見える領域へ、複数の専門レジスタが重なる。
13 spiritusも残った――しかも神学だけではない
同じことは spiritus にも言える。
intellectusが知性論の技術語として重要になったからといって、spiritusが消滅したわけではない。
spiritusには、
聖霊
人間の霊
霊的生
という神学的用法がある。
しかしそれだけではない。
中世医学・自然哲学では、spiritus は生理学的な「精気」を表す語としても重要だった。
身体内部では、
spiritus vitalis
spiritus animalis
などが、生命・感覚・運動・脳機能を媒介するものとして論じられる。
つまり、
spiritus
├─ 神学
│ Holy Spirit / human spirit
│
└─ 医学・生理学
身体内の精気
という専門レジスタ分岐が起きている。
したがって、
spiritusが古い曖昧な心霊語として残り、intellectusに追放された
とは言えない。
むしろ、
同じspiritusという語が、神学と生理学という異なる専門領域へ再配置された
のである。
後世の animal spirits へつながる重要な経路でもある。
14 Albertus Magnus――ネットワークを西欧へ馴致した巨大ノード
アクィナスだけを見ると、13世紀の再配置が一人の天才によって行われたように見えてしまう。
しかし、その前に重要な巨大ノードがいる。
Albertus Magnus――アルベルトゥス・マグヌスである。
アルベルトゥスは、
Aristotle
Avicenna
Averroes
自然学
心理学
神学
を大量に読み込み、ラテン語世界へ体系的に紹介・再構成した。
アクィナスの師でもあった。
したがって、
Arabic philosophy
↓
Aquinas
という直接線だけではない。
Aristotle
Avicenna
Averroes
↓
Albertus
↓
ラテン学術世界
↓
Aquinasその他
という媒介もある。
この意味で、アルベルトゥスは単なる「先行哲学者」ではない。
複数言語・複数思想圏の概念を、ラテン大学世界の問題形式へ馴致する翻訳後ノードだった。
15 「大学」が意味を固定したのではない
ここで大学の役割を考える。
以前の稿では、
大学が概念を固定した
と書いた。
しかし、これは強すぎる。
大学で同じ、
anima
intellectus
ratio
を使っていても、
Avicenna
Averroes
Albertus
Bonaventure
Aquinas
Siger
は同じ答えを出していない。
したがって大学が固定したのは、
意味
そのものではない。
より重要なのは、
同じテキスト、同じ術語、同じ問いを何度でも反復できる共通問題空間
である。
同じ De anima
+
同じ intellectus
+
同じ問い
↓
しかし
↓
異なる回答
となる。
大学とは、
正しい答えを一つに固定する装置
というより、
同じ問いを世代を越えて再生産できる制度
だった。
16 翻訳語が「教え、問答し、論証する語」になる
そこで翻訳語の役割も変わる。
最初は、
nous
↓
intellectus
という翻訳だった。
しかし、その訳語が大学へ入る。
するとintellectusは、
講義で説明される
注解で定義される
quaestioで問われる
disputatioで反論される
別の注解で再定義される
ようになる。
つまり、
翻訳語が、教え、問答し、論証するための操作語になる。
翻訳語
↓
講義
↓
quaestio
↓
disputatio
↓
注解
↓
次の講義
↺
ここで初めて、制度的再帰がはっきり見える。
ただし、
翻訳が大学知識を作った
と単独原因にしてはいけない。
より正確には、
制度へ組み込まれた翻訳語彙が、知識生産装置を構成する設計変数の一つになった。
のである。
17 禁止もまた問題空間を変える
パリでは、
1210年
1215年
1231年
に、アリストテレス自然哲学の教授・利用をめぐる制限が行われた。
しかし、その後アリストテレス自然学は大学教育へ深く入り込む。
そして1270年、1277年には、パリ司教Étienne Tempierによる命題非難が起きる。
これを、
教会
VS
科学
とすると粗すぎる。
重要なのは、
何を教えてよいか
哲学と神学の権限境界をどこへ置くか
どの回答が制度的に許容されるか
という大学内部の問題でもあったことである。
ここで制度作用は一方向ではない。
大学制度
→ Aristotle語彙を増幅
教会・大学規制
→ 特定解釈を抑制
となる。
しかし抑制されたから論争が消えるとも限らない。
禁止・非難によって、
何が問題なのか
がむしろ明瞭になることもある。
したがって制度作用は、
σ+
増幅
と
σ-
抑制
の両方向を持つ。
σ±である。
18 P型を細かくする――ここではP²まで強く見える
ここで本稿の類型診断を更新する。
対象を、
「魂という外部実体」
に置くなら、大学が魂そのものを変えたとは言えない。
しかし対象を、
ラテン語圏の学術的魂論・問題設定・教育制度
に置けば、かなり強い再入が確認できる。
P¹――対象が変わる
翻訳・カリキュラム・注解によって、
何が魂論の問題として問えるか
が変わる。
P²――変わった対象がこちらへ戻る
新しく形成された、
intellectus possibilis
intellectus agens
知性単一性
形相単一性
などの問題が、次世代の翻訳・注解・教育内容へ戻る。
翻訳
↓
問題空間
↓
論争
↓
新しい注解
↓
次世代教育
↺
ここまではかなり強い。
P³――まだU
しかし、
翻訳側と大学側の持続的な応答方略そのものが、相互履歴によって恒常的に書き換わった
とまで言うには、さらに実証が必要である。
したがって、
P²+Int+Inst
を本稿の中心診断とする。
意味解釈を介する Int。
大学・資格・カリキュラムという Inst。
この二つが主要機構である。
19 Aquinasは「最終解答」ではない
ここも重要である。
アクィナスのモデルは巨大な影響力を持った。
しかし、
Augustine
↓
Aristotle
↓
Aquinas
↓
完成
という歴史にはしない。
13世紀には、
Albertus Magnus
Bonaventure
Franciscan traditions
Avicennian positions
Averroist interpretations
Siger of Brabant
Aquinas
などの複数配置が競合していた。
たとえば、
人間に一つの実体形相しかないのか
だけでも意見が割れる。
したがって、
Augustine ────┐
Aristotle ────┤
Avicenna ─────┤
Averroes ─────┤
Albertus ─────┤
聖書・教父 ───┤
大学制度 ─────┘
↓
複数の再構成
である。
Aquinasは、そのネットワークから生まれた、
非常に影響力の大きい一つの再配置案
だった。
20 では12〜13世紀に何が変わったのか
固定対応ではなく、「接続の重心」として整理するとこうなる。
語彙ノード12〜13世紀に強まる接続注意点anima生命原理、身体の形相、個人魂、死後存続教父神学と自然哲学の接続点になるintellectus普遍認識、可能知性、能動知性、思考主体人格帰属の問題へ直結するratio比較、推論、論証intellectusとは別実体ではなく、同一知的能力の別作用としても整理されるmens自己認識、内面、神認識、三位一体の像intellectusに置換されず、アウグスティヌス系レジスタに残るspiritus聖霊、人間の霊、霊的生、生理学的精気神学と医学の双方にまたがる
重要なのは、
境界が確定した
のではないことである。
むしろ、
同じラテン語学術空間の中に、複数の専門レジスタが併存できるようになった。
増えたのは「心についての真理の精度」ではない。
制度的に係留された、複数の分類・説明レジスタの数
である。
21 「本が移動すると、魂について問えることが変わる」
ここでH₁/H₂を整理する。
まず説明対象を別に置く。
X――説明される現象
人間は、
感覚する
像を持つ
記憶する
推論する
自己を認識する
眠る
死ぬ
こうした現象が魂論の説明対象になる。
これらをそのままH₂と呼ぶべきではない。
H₁――認識・記号・制度規則
anima / intellectus / ratioという分類
「知性は一つか」という問題設定
quaestioという議論形式
カリキュラム
正統/異端の分類
学位・資格規則
H₂――物質・資源条件
ギリシア語写本
アラビア語写本
羊皮紙・紙
書記
翻訳者
教師
学生
建物
資金
交通路
写本複製能力
翻訳と研究に使える時間
である。
つまり、
X
人間の認識・身体現象
↓
H₁
それを分類・説明する概念
↕
H₂
その概念を運び反復できる
物質・制度資源
となる。
ここから得られるのは、
本を運ばなければ魂そのものが変わる/変わらない
という存在論的主張ではない。
より正確には、
本が移動すると、「魂」について問えることが変わる。
という概念史的命題である。
22 5+Oモデルで見る
今回も5+Oモデルを適用できる。
1 語形
anima
intellectus
ratio
mens
spiritus
2 語義・用法
生命、魂、知性、理性、心、霊。
3 概念・説明モデル
Aristotelian hylomorphism
Avicennian psychology
Averroist intellect theory
Augustinian mens
Thomistic soul-body theory
plurality / unity of forms
4 実践・制度
翻訳
lectio
quaestio
disputatio
大学カリキュラム
神学審査
命題非難
5 経験・生成現象
感覚
想像
記憶
自己認識
推論
身体感覚
死
+O 存在論的指示対象
魂は身体から離れて存在できるのか
知性は個人ごとに存在するのか
可能知性は一つなのか
魂は一つの形相なのか
「考えている主体」は何なのか
ここでも、
intellectusという語がある
≠
intellectusという独立実体がある
である。
また、
animaを身体の形相と呼ぶ
≠
死後存続を否定する
でもない。
同じ語彙配置から、複数の存在論が構築された。
23 類型レンズで最終診断する
U――強い
アクィナスの魂論を形成した要因として、
Aristotle
Augustine
Avicenna
Averroes
Albertus
聖書
大学制度
が絡む。
どの経路が何割を占めたかは現在の証拠だけでは一意に決められない。
また「重心移動」を何で測るかにもUが残る。
A――中〜強
animaとintellectusをどう切るか。
ratioを別能力とするか。
mensをどう訳すか。
これは研究目的・著者・体系に依存する。
ただし存在論命題そのものをすべてAへ還元してはいけない。
B――なし
唯一可能な魂論が存在することも、他の分類が論理的に不可能であることも証明されていない。
E₁――強い
失われた講義、写本、翻訳者の意図、学生の理解へは接近限界がある。
E₂――中
現存する全文献を総当たりするには時間・人員・資源制約がある。
E₃――中〜強
「重心移動」を、
語頻度
共起
対立語
quaestioの出現
カリキュラム位置
引用数
のどれで測るべきか自体がまだ確定していない。
P――P²まで強い
翻訳・大学・注解が問題空間を変える。
その問題空間から生まれた論争が、次世代の教育・注解へ戻る。
P³は保留する。
24 第4項――「同じ一節」を複数経路で追う
ここで検証方法を一本線から完全に変える。
最もよい候補は、『De anima』第3巻5章、430a10–25付近である。
知性の「分離」をめぐる、非常に短い箇所である。
これを並列比較する。
A ギリシア語 Aristotle
│
├→ James of Venice
│
└→ William of Moerbeke
B ギリシア語
↓
シリア語・アラビア語伝承
↓
Arabic Aristotle
↓
Averroes
↓
Latin Averroes
C Avicenna
↓
Liber de anima
↓
Latin reception
そして、
A・B・C
↓
13世紀ラテン注解
↓
Albertus
Aquinas
その他のquaestiones
として横断比較する。
調べる項目は、
nousが何と訳されたか
χωριστός――「分離した」が何を意味すると読まれたか
intellectus possibilis / materialis がどう形成されたか
intellectus agensがどこに置かれたか
一人ひとりの知性か、万人共通知性か
hic homo intelligit がいつ争点化したか
である。
これなら、
翻訳語が利用可能になった
↓
どんな読みが可能になったか
↓
実際にどの読みが注解で採用されたか
↓
どの問いが大学で反復されたか
を分離できる。
つまり、
translation affordance ≠ actual reception
を実際の文献で検証できる。
さらに、
translation
→ curriculum
→ quaestio
→ competing answer
→ later commentary
というP²も、時系列で部分的に実証できる。
結び――「魂」が形相になったのでも、「心」が知性になったのでもない
最初の問いへ戻ろう。
12〜13世紀、animaは身体の形相になったのか。
なった。
少なくともアリストテレス的自然哲学では、この意味が非常に大きな技術的負荷を持つようになった。
しかし、
animaはそれだけになったのか。
ならなかった。
死後存続する魂でもある。
人格的主体でもある。
神学的救済の対象でもある。
では、
mensはintellectusになったのか。
これも違う。
mensはアウグスティヌス的な自己・内面・神認識の語として残る。
intellectusは『De anima』をめぐる能力心理学・知性論の技術語として巨大化する。
spiritusも消えない。
神学だけでなく、生理学的精気という別の専門レジスタにも残る。
ratioもintellectusとは別の精神実体にならない。
そして、Aquinasの単一形相説ですら唯一の解ではない。
したがって、
魂
↓
形相
心
↓
知性
という置換史ではない。
実際に起きたのは、
ギリシア哲学の分化系
+
アラビア哲学の分化系
+
教父ラテン語の分化系
+
12世紀ラテン語能力論
+
医学
+
大学制度
↓
同じラテン語学術空間へ集積
↓
共通テキスト
共通術語
共通問題
↓
競合回答
↓
次世代の注解・教育
↺
である。
13世紀の革新は、
新しい「心の部品」を発見したこと
ではない。
別々の言語・思想伝統で形成されていた複数の分類体系を、同じラテン語学術空間で比較し、論争し、教育し、再利用できるようにしたこと
にある。
そして大学がしたのも、
意味を一つに固定した
ことではない。
むしろ、
同じテキスト、同じ術語、同じ問いを反復可能にし、その内部で異説を継続的に生産できるようにした
ことである。
ここでラテン語は、もはや単なる翻訳先ではない。
ギリシア語。
アラビア語。
聖書。
教父。
医学。
それらから運ばれてきた概念を、
anima
intellectus
ratio
mens
spiritus
というラテン語ネットワークで組み直し、
さらに新しい問題を作る。
翻訳先だった言語が、概念生産言語へ変わる。
そして次に、その学術ラテン語が、
soul
spirit
mind
reason
intellect
âme
esprit
raison
Seele
Geist
Verstand
Vernunft
のような近代ヨーロッパ各国語へ移り始める。
しかし、その段階では新しい条件が加わる。
印刷。
宗教改革。
俗語聖書。
国家。
学校。
出版市場。
学術共同体。
ラテン語から俗語へ移るとき、単なる「翻訳」だけでなく、
誰が知識を読めるのか
という社会構造そのものが変わる。
「魂」と「心」の概念移動史は、ここから近代へ入っていく。
出典
アリストテレス『De anima』原典・英訳
「魂=生命を潜在的に持つ自然的身体の第一の現実態」、第III巻の知性論を確認する基本資料です。Book II 1には魂を身体のform/actualityとする定式があります。
https://classics.mit.edu/Aristotle/soul.html
https://psychclassics.yorku.ca/Aristotle/De-anima/de-anima2.htm
ギリシア語本文:
https://scaife.perseus.org/reader/urn%3Acts%3AgreekLit%3Atlg0086.tlg002.1st1K-grc1%3A3/James of Venice――『De anima』translatio vetus
KU Leuvenの研究プロジェクト。12世紀半ばのJames of Veniceによる最初期ラテン訳と、その欄外注・13世紀注解伝統への影響を直接扱っています。Moerbeke改訂以前の受容過程も確認できます。
https://research.kuleuven.be/portal/en/project/3H25039012世紀のギリシア語・アラビア語学術のラテン語圏への翻訳運動
Cambridge History of Science。Toledoを含む翻訳拠点、ギリシア語系・アラビア語系という複数経路を確認する基礎研究です。
https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-history-of-science/translation-and-transmission-of-greek-and-islamic-science-to-latin-christendom/80DAC63DA8ED033148F327E7E37532F1Avicenna『Liber de anima』のラテン西欧受容
AvendauthとGundissalinusによるラテン訳、その後のラテン心理学への影響を扱う主要研究です。
https://www.cambridge.org/core/books/interpreting-avicenna/reception-of-avicenna-in-latin-medieval-culture/647CACFEAECC4CD9D4F8B5825C451B85
https://www.cambridge.org/core/books/human-nature-in-early-franciscan-thought/philosophy-of-the-soul-c11501215/00860E22F0D05F99431C205AC6EE39C7Avicenna「浮遊人間(Flying/Floating Man)」
SEPのArabic-Islamic influence項目は、浮遊人間と魂のseparate substanceとしての理解がラテン心理学へ影響したことをまとめています。
https://plato.stanford.edu/entries/arabic-islamic-influence/
https://plato.stanford.edu/entries/dualism/浮遊人間のラテン西欧での具体的受容――William of Auvergne
「身体感覚を欠いても自己存在を知る」というAvicennaの論証が実際にラテン西欧へ入った例として使えます。
https://plato.stanford.edu/entries/william-auvergne/Averroes『De anima』とMichael Scotによるラテン語受容
Michael ScotによるAverroes大注解の翻訳が1230年前後のパリへ入ったこと、初期スコラ学における受容を確認できます。
https://www.cambridge.org/core/books/human-nature-in-early-franciscan-thought/philosophy-of-the-soul-c11501215/00860E22F0D05F99431C205AC6EE39C7
https://www.cambridge.org/core/books/human-nature-in-early-franciscan-thought/reception-of-averroes-in-early-scholasticism/9AB78DB922716B885634565FC88247B1Avicenna / Averroes がラテン心理学へ与えた影響――知性、内的感覚、spiritus
SEPのこの項目は非常に使いやすいです。Avicennaのfaculty psychology、脳室・神経・身体内のspirits、Averroesの「一つのintellect」までまとめて確認できます。
https://plato.stanford.edu/entries/arabic-islamic-influence/Aquinas『De unitate intellectus contra Averroistas』――hic homo intelligit
今回の改稿で最重要の一次資料です。「この個別的人間が考える」と明示し、phantasmataを介するだけの結合では個人を思考主体にできない、とAverroes系解釈を批判しています。
https://www.corpusthomisticum.org/oca.htmlAquinas『Quaestio disputata de anima』――可能知性は万人に一つか
Per intellectum possibilem homo intelligit、および「一つの可能知性なら一人の知識が他人にも同じになる」という反論を確認できます。
https://www.corpusthomisticum.org/qda01.htmlAquinas――ratio / intellectus / mens は別能力か
『神学大全』I q.79 a.8。Pseudo-Augustine De spiritu et anima の sensus → imaginatio → ratio → intellectus という階梯を引用したうえで、Aquinas自身は ratioとintellectusは別能力ではないと論じます。今回の第10〜11節の直接根拠です。
https://www.corpusthomisticum.org/sth1077.htmlAquinas『Sentencia libri De anima』
アリストテレス『De anima』をラテン大学世界でどう注解したかを見る一次資料です。possible intellect、phantasmata、自己認識などを追えます。
https://www.corpusthomisticum.org/can1.html
https://www.corpusthomisticum.org/can2.htmlAlbertus Magnus――Avicenna / Averroes / Aristotleの巨大な媒介ノード
AlbertがAristotleを読む際にAverroesとAvicennaを継続的に利用していたことを確認できます。したがって「Arabic philosophy → Aquinas」という直接線ではなくAlbertを含むネットワークとして描く根拠になります。
https://plato.stanford.edu/entries/albert-great/形相の単一性 vs 複数性――Bonaventure
Bonaventureが複合物に複数のsubstantial formsを認めることを確認できます。Aquinasの単一形相説を13世紀の完成形・唯一解にしないための主要資料です。
https://plato.stanford.edu/entries/bonaventure/同じ論争の別例――Robert Kilwardby
vegetative / sensitive / intellectiveな諸原理、plurality of forms、魂と身体の統一をめぐるかなり精密な説明があります。フランシスコ会系の対抗モデルを補強するのに有効です。
https://plato.stanford.edu/archives/sum2017/entries/robert-kilwardby/パリ大学――1210・1215年のアリストテレス自然学規制
William of Auvergne項目が、1210年の公私の講義禁止、1215年のRobert of Courçonによる規制を具体的に説明しています。
https://plato.stanford.edu/entries/william-auvergne/1277年Tempierによる219命題の非難
「教会vs科学」と単純化できないこと、対象・動機・効果自体が研究上論争中であること、さらに「知性の単一性」に関する命題群が含まれたことを確認できます。
https://plato.stanford.edu/entries/condemnation/大学での初期『De anima』教育・注解伝統
The Origins of Scholasticism のArts Faculty章。James of VeniceのVetus De anima、1240年代の注解、学芸学部での利用を追えます。今回の「大学=意味固定ではなく、共通問題の反復装置」という部分の史料的背景に向いています。
https://www.cambridge.org/core/books/origins-of-scholasticism/arts-faculty/ECE7AEE95573F9ACA443EA77841C69BDspiritus――神学語だけでなく生理学的媒介語でもあったこと
Arabic-Islamic influence項目には、Avicenna系心理学が脳室・神経・身体内を情報が移動するspiritsを伴ってラテン世界へ入ったことが明記されています。これが今回の「spiritusはintellectusに駆逐されなかった」の最も使いやすい出典です。
https://plato.stanford.edu/entries/arabic-islamic-influence/シリーズ全体の背景――中世哲学の複数伝統・複数言語ネットワーク
SEPの現行 Medieval Philosophy。中世哲学をラテン西欧だけの一本線にせず、Arabic / Jewish / Latin traditionsを含む広い問題圏として確認する総説です。
https://plato.stanford.edu/entries/medieval-philosophy/
石部統久・ChatGPT5.6
査読:ChatGPT5.6・Claude Fable5・Grok・Gemini3.7(Parcae Protocol)
