関ヶ原。三成、最後の采配 第三話『雲間の狼煙、届かず』
第三話『雲間の狼煙、届かず』
「蒲生備中殿、黒田・細川と応戦中、前線を死守!」
「宇喜多様、敵の先鋒・福島正則隊を圧倒! 敵陣深くまで押し込んでおります!」
――伝令の声が聞こえる。
陣幕には、血と薬草の匂いが、満ちていた。
陣に戻った左近は、床几《しょうぎ》に腰掛け、肩の治療を受けている。
押さえつける兵の手を振り払い、手当ての布を自ら、歯で食いちぎる。
その唇から、弱音は一言も漏れない。
三成は、その背中を、床几に座したまま、黙って見ている。
――屈辱に折れた背ではない。
己の未熟を焼き、敵を灼くための、熱を帯びた巨岩。
戦況は、有利ではある。
諸隊の奮戦により戦線は維持されているが、決定打がない。
戦を決定づけるはずの翼が、動かぬのだ。
松尾山も南宮山も、ただ、沈黙している。
三成は、何かを確かめるように空を見上げた。
霧はいつの間にかなくなり、
淀んだ雲はあるが、その隙間から空が見える。
――金吾。次の豊臣を支えるのはお前ぞ
「狼煙をあげよ」
三成の短い命令が、沈黙を破った。
狼煙が昇り、雲を抜ける。
その一筋の煙は、やがて淀んだ空に吸い込まれていく。
返答はない。
山は、まるで巨大な石像のように、ただそこにあるだけだった。
傷を負った左近。
応えぬ松尾山。
二つの淀みが、本陣の空気を鉛のように重くしていく。
将兵たちの間に、声なき動揺が伝播していった。
沈黙の中、雲の影が流れていく――
治療中の左近が、沈黙を破る。
彼は、おもむろに立ち上がると、三成の方を向き、ニヤリと笑った。
「殿、この通り。まだ一駆けはできますぞ」
と、わざと傷ついた方の腕を、ぐりん、と大きく回して見せた。
三成は、床几に座したまま、その左近の姿を黙って見ていた。
――そして、悪戯っぽく、こう問いかける。
「ほう、まだやれるか」
その試すような、しかし信頼に満ちた視線に、
左近は大袈裟にかしこまって応えた。
「当たり前にて候」
力強い声が、沈黙していた本陣に響く。
そのやりとりを見ていた納戸頭の助六の口元に、思わず笑みが浮かんだ。
鉛のように重かった空気が、軽くなっていった。
新たな登場人物
小幡信世 通称、助六。三成の小姓から納戸頭になった忠臣。
小早川秀秋 通称、金吾。松尾山に陣取る、西軍の有力武将。
毛利秀元 南宮山に陣取る西軍の武将。
