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御鎮座1300年の「宇佐神宮」を訪ねて

御鎮座から1300年を迎える宇佐神宮に行ってきました。

宇佐神宮は、大分県宇佐市にある神社で、全国約11万の神社のうち、約4万を超える八幡宮(注1) の総本社です。

(注1) 主に八幡神(第15代・応神天皇)を祀る神社で、母・神功皇后比売神(女性神の総称)と合わせて祀られることが多い

宇佐神宮 北参道鳥居
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

かつては、伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟」(注2) として皇室から崇敬されました。

(注2) 宗廟とは、天皇や皇室の祖先を祀る神聖かつ重要な施設のことで、「第一の宗廟」と「第二の宗廟」の違いは、下表のとおり

第一の宗廟と第二の宗廟の違い
(Created by ISSA)
宇佐神宮 神橋
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

八幡神とは
八幡神は、元々、大分県の宇佐地方で信仰されていた土着の神でした。

欽明天皇32年(571年)、八幡神が「我は第15代天皇・応神天皇の神霊であり、(仏教界の)菩薩でもある」(注3) と託宣したことから、八幡神は応神天皇を指すようになりました。

(注3) 我は日本人皇第十六代誉田天皇広幡八幡麻呂なり、我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と日う

八幡宇佐宮御託宣集
宇佐神宮 大鳥居
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

何故、神仏習合なのか
これにより、皇統とのつながりが確立されるとともに、仏教界にも組み込まれたことから、この託宣は、その後の大規模な神仏習合(注4) の序章であったと理解されています。

(注4) その後、749年に、八幡神が東大寺大仏建立を助言したことにより「八幡大菩薩」の称号を賜っている

宇佐神宮の案内板
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

応神天皇とは
第15代・応神天皇は、母・神功皇后が三韓征伐(朝鮮半島への出兵)の間に懐妊し、帰国後に生まれたことから、「胎中天皇」の異称を持ちます。

応神天皇の時代、朝鮮半島や中国大陸から多くの渡来人が来日し、養蚕や機織り、漢字などの新しい技術や文化が日本にもたらされたとの伝承から、

ヤマト王権期に勢力拡大と国際交流を進め、古代国家の形成に尽力した天皇と位置づけられています。

宇佐神宮 西大門
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

宇佐神宮・本殿の特徴
宇佐神宮は、725年に建立され、今年で御鎮座から1300年を迎えます。

現在、宇佐神宮の特徴的な本殿を形作る三つの御殿は、下表のとおり、それぞれ異なる時期に増設され、現在の三棟並列となりました。

宇佐神宮本殿の構成
(Created by ISSA)

なお、本来は主祭神である応神天皇(八幡大神)が中央(二之御殿)に鎮座するのが一般的なのですが、

比売大神が中央(二之御殿)に鎮座していることに、比売大神のことを単なる配祀神ではない特別な存在とする見方もあるようです。

宇佐神宮の本殿3殿
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

参拝方法は、一般とは異なり、一番下の段まで下りたところから、二拝四拍手一拝を作法としています。

これら3殿は連なっており、「八幡造」(注6) という古来の様式で造られていることから、国宝に指定されています。

(注6) 外殿と内殿が、同じ規模の切妻造の建物になっていて、これを前後に並べて、建物間に雨樋を通しているのが大きな特徴となっている

宇佐神宮3殿の八幡造
(Google Earth 3D)

三大八幡宮の誕生
その後、859年に、平安京の鎮護として石清水八幡宮が、1180年には、源頼朝が武家の守護として鶴岡八幡宮が創建され、

現在、これら宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮は、三大八幡宮とされています。

二之御殿
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

大元神社について
当社の南に立つ御許山の山頂には、奥宮として3つの巨石を祀る大元神社があり、

宇佐神宮の祭神が、現在の地に祀られる前に、最初に降臨・鎮座した場所とされています。

大元神社遥拝所
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

「流鏑馬」神事
宇佐神宮では、毎年8月に流鏑馬が行われています。

「流鏑馬」神事の案内板
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

流鏑馬は、馬上から疾走しながら的に向かって鏑矢を射る神事で、古来から、天下泰平五穀豊穣への祈願が込められていました。

源頼朝が、武士の精神・武芸を奨励するために流鏑馬を重視し、鶴岡八幡宮で神事として定着させたことで、

武士道と神道が深く結びついた格式高い伝統文化として、今に受け継がれています。

こちらは、以前、鶴岡八幡宮で観た「流鏑馬」の写真です。

流鏑馬神事の様子
《鶴岡八幡宮》
(Photo by ISSA)

馬が疾走するスピードは、時速40キロに達するそうで、一緒に連れていったアメリカ人たちも、とても喜んでいました。機会があれば、また観てみたいと思います。

宇佐神宮宝物館
最後に、宝物館のご紹介です。

宇佐神宮 宝物館
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

館内は、写真撮影禁止でしたので、公開情報から抜粋しますが、こちらは、国宝「孔雀文磬」の写真です。

仏教の法要や儀式の際に打ち鳴らされる法具(楽器)の一種で、表面に孔雀の文様が鋳造されています。

国宝「孔雀文磬」
大分県ホームページ

仏具なので、元々、神社の所有物ではないのですが、本地垂迹説に基づき、宇佐神宮内に建てられた弥勒寺という神宮寺で使われてきた経緯から、

明治時代の神仏分離令で弥勒寺が廃止された際、孔雀文磬だけが宇佐神宮の宝物として残されました。

神仏習合の象徴的存在として、今に至っています。

このほか、以下のような重要文化財や有形文化財等が展示されています。

(宝物館のパンフレットより抜粋)

まとめ
宇佐神宮の特徴をまとめると、次のとおりです。

  • 全国八幡社の総本宮

  • 伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟」

  • 神仏習合の原点(孔雀文磬)

  • 八幡神は天皇であり菩薩でもある

  • 神道・武士道の融合(流鏑馬)

  • 国宝「八幡造」の本殿

  • 武運長久の神

宇佐神宮 絵馬殿前
《大分県宇佐市南宇佐》
(Photo by ISSA)

おわりに ~ 宇佐神宮の魅力
宇佐神宮の八幡神は、元々、地方の神として崇められていましたが、571年「我は、第15代・応神天皇である」と宣言したことで、いわば天皇の血統に組み込まれ、

更に、「仏教界の菩薩でもある」と名乗り、749年には「東大寺大仏建立を助言」したことで、八幡大菩薩という仏界の地位も確立し、神教・仏教の双方から幅広く信仰されることになりました。

加えて、鎌倉幕府が成立した1180年代以降、源氏の氏神となったことで、弓馬の道(後の武士道)がそこに加わり、

「神・仏・武」が三位一体となった、いわば「最強の神」としての地位を得たわけです。

全国11万社中、4万社以上が「八幡宮」である理由は、そこにあるのでしょう。その原点とも言うべき場所が、ここ宇佐神宮なのです。

神仏習合は世界的にも類を見ないことであり、宗教的な争いごとを避ける叡智といえます。

私たち人間も、もしかしたら、少し努力すれば八百万の「人々」として習合できるのかもしれませんね(ただし、善意ある人であることが前提ですが)。

格式ある日本の伝統文化は、本当に素晴らしいです。機会があれば、是非、宇佐神宮を訪れて、その魅力を肌で感じてみてください。

いつも、ありがとうございます🍀