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一生懸命 と 無理しすぎない

「一生懸命やることは大事」

たぶんこれは間違っていません。

でも、
「無理しすぎないことも大事」

これもまた、間違っていないと思います。


今回、私は腰を痛めました。

自分では、そこまで無理しているつもりはありませんでした。
むしろ「ちょっと抑えている」くらいの感覚でした。

でも、体は正直でした。

動けなくなり、同僚に迷惑をかけてしまいました。
申し訳なさと悔しさと、自分への反省。

「あれは無理だったのか」

あとから気づきます。


自分では“無理していない”という落とし穴

私は、
一生懸命な時もありますし、
意識的に手を抜く時もあります。

ずっと全力疾走しているわけではありません。

けれど、

「今日はちょっと抑えたから大丈夫」
「今週はまあまあセーブしている」

そう思っていても、
トータルで見ると、
じわじわと負荷が積み重なっていることがあります。

目に見えない疲労。
静かにたまる緊張。

そしてある日、体に出ます。


一生懸命は悪くない

私は一生懸命な自分が嫌いではありません。

利用者さんのことを考えているとき。
定着支援で相手の会社のことまで考えているとき。
「誠実にいたい」と思って動いているとき。

その時間は、本気ですし、嘘がありません。

だからこそ難しいのだと思います。

“いいこと”をしている感覚があるからこそ、
ブレーキがかかりにくいのです。


無理しすぎない、の正体

「無理しないでね」と言われます。

でも、無理とは何でしょうか。

・気持ちは前向き
・やる気もある
・責任感もある

それでも体が止まることがあります。

もしかしたら、
無理とは「気持ち」ではなく
「回復する余白がない状態」なのかもしれません。

疲れても、
ちゃんと戻れる余白があればいい。

戻れないほど詰め込んだとき、
それが“無理”になるのだと思います。


手を抜く ≠ 休めている

私は「今日は手を抜いた」と思う日があります。

でも、

・頭の中で仕事のことを考えている
・先の不安をぐるぐる考えている
・取り戻そうとして少しハイになる

これでは、体は休めていません。

“行動”を減らしても、
“緊張”を減らしていなければ、
結局どこかで体に出ます。

今回、それを学びました。


加減を見極めるということ

一生懸命も大事です。
でも、続けられなければ意味がありません。

無理しすぎないことも大事です。
でも、逃げ続けても成長はありません。

その間の、
ほんの少しのバランス。

「まだいける」ではなく
「明日もいけるか?」で考える。

その感覚を掴めたとき、
少し大人になるのかもしれません。


私はまだ、うまくできません。

一生懸命になりすぎる時もありますし、
逆に極端にブレーキを踏む時もあります。

でも今回、体が教えてくれました。

“誠実に働く”とは、
自分の体にも誠実であることだと。

一生懸命と、無理しすぎない。

その間を探し続けること自体が、
もしかしたら成長なのかもしれません。

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