いぬがしゃべりました ⑮【サトーさんの母】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする。冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第15話>「サトーさんの母」
サトーさんが真ん中の部屋を使うようになってから、ずいぶんと時が経った。
本棚の本もパソコンもすっかり我がものになって、まるでずっと住んでいるかのようだ。
そのせいか、この亡くなったタル兄ちゃんの部屋で、ママも気持ちが乱されることは少なくなった。
サトーさんはベッドの横にある窓がお気に入りなようで、考え事をするときは、窓枠にちょんとアゴを乗せ、上目遣いに夜空を眺めた。街の灯りに邪魔されながらも、星たちが頑張って光を放っている。
ただ今日は、いつになく元気ない様子で尻尾を巻き込むほど小さく丸まっている。
隣で寝そべりスマホをいじる私に、聞かせたいのかどうかわからない声でサトーさんが小さくつぶやいた。
「覚えてる?小さい頃、宇宙飛行士になるとかならないとか、って話したの。」
私は大した話題でもないとタカをくくっていたから、適当なあいづちで、
「そんなこともあったっけ。」
「ライカは何を見たんだろう。」
「ん?ライカって?」
「ロケットに乗った犬の名前。」
何の話だ?
「なにそれ?」
サトーさんは瞬く星を見つめたまま、「そこの本。」
床にお兄ちゃんの図鑑が開いたままで転がっている。
ページには、宇宙に軌道が描かれたイラストと、犬の写真があった。ものものしい装置の中に組み込まれている1匹の犬。心細そうな表情で座っている。
「あら、先を越されたね。」
「のんきな話じゃない。動物実験だよ。」

1957年という幾時代も昔の話。
旧ソビエト連邦、ロシアが人類発の宇宙衛星のためロケットのスプートニク2号を打ち上げた時、犬を乗務員として乗せ、どこまで生きていられるかの実験に使われたらしい。
衛星を地球に帰還させる技術がなかったため、1週間の飛行が終わったら、用意された薬物で殺される予定だった。でもそれより早く、打ち上げてから20時間で高熱と酸素不足、ストレスで絶命したのではと書いてある。
「つらかっただろうな。どんな思いだったんだろう。」サトーさんは図鑑をアゴで指し、「ひどいよな。ずっと人間を信頼して一緒に生活してたんだぞ。こんなの文字通り『犬死に』じゃないか。」
たった一人で計器だらけの狭い空間に閉じ込められ、真空で音のない静寂の世界に取り残される。このままいつか殺されるなんて理解できなかったとしても、迫り来る自分の運命に本能的に激しい恐怖を感じたに違いない。
「怖かったんだろうな。」
やがて耳を割く轟音!
とてつもない重力と振動が全身にのしかかる!
身体を焦がすほどの高熱と息苦しさが襲う!
そんな想像が私たちの心をえぐる。
サトーさんはベッドを蹴ると椅子にひらりと器用に飛び映り、1回回って腰を下ろした。そして私に背を向けたまま、
「犬に自由はない。あるのは『人間の都合』の範囲での自由だけ。」
「え?」
「そりゃ、犬を『家族』って愛情をもって大切にしてくれる人はたくさんいる。でも、現実社会は厳しい。年間2000匹以上の殺処分。虐待や放棄。無責任な飼い主や業者。本当に家族と呼べるのかな。そもそもさ、自分の愛する子どもに首輪をするかい?」
「それは…。」サトーさんと向き合う人間の代表として、何も答えられなかった。私がサトーさんを家族だと思っているのは、思い上がりなんだろうか?
「犬って、なんなんだろう。僕って、なんなんだろう。」
その背中はいつもより心なしか小さく見えた。
「サトーさん…。」
スタッと床に降り立ち、ゆっくり弧を描くように歩き始めて、
「普通の犬でもないし、ましてや人間でもない。散歩のとき、出会う犬たちがやけに僕に敵対心をむき出しにする。彼らは仕方ない。本能だから。だけど僕もなぜか気になったりイライラしたりする。そんな感情が生まれる自分が嫌だ。どこまで行っても僕は犬なんだと思い知らされる。人間じゃない。」
「………。」
返す言葉がなかった。自分勝手で、マイペースで、いつも強気なはずのサトーさんがこんな弱音を吐くなんて。宇宙へ行ったライカのことで、心の奥底に眠っていた不安が呼び起こされたのか。
「僕は一体、何者なんだ?僕はどうしてこんななんだ。人間ではないし、ましてや普通の犬でもない。なんのために生きるのか?理由を知りたい。ボクが生まれたのには必ずワケがあるはず。僕はどこから来て、どこへ向かっているのか?僕はそれを突き止めたい。絶対に突き止めて見せる!」
決意のまま力強く後ろ足を踏みしめる。
と、サトーさんはくるりと振り向いて、にやりと笑った。
「なーんてね。こんな話はおしまい。我ながら重っ。ひくわ。ははは。」
少しおどけて場を繕うからこそ、実は本音なのだろう。自分が何者なのか?秘密を知りたいと思うのは当然だ。
私だって知りたい。サトーさんが何者なのか?
だから悩めるサトーさんに便乗して、私も聞いてみたくなった。
「もしそうだったらな…」とずっと感じていた" 願望 "のような問いを、思い切って投げかけてみたくなった。
「あんたは、やっぱりタル兄ちゃんの生まれ変わりかもと思うんだ。」
「ん?」サトーさんは後ろ足で首を搔いて、
あきれたように「転生モノ?ベタだな。」と言い捨てた。
「思い切って言ったのに…。」
「僕がお兄さんの生まれ変わりってこと?そんなわけ……あれ????」
ふとサトーさんの動きが止まった。
「ちょっと待って…どうした?記憶の奥から何かが…????」私を見つめて、
「うっ!!」
突然、雷に打たれたようにビクッと身体を反らせ、一気に脱力。
床にへたり込んでしまった。
「どうしたの?サトーさん?」
やがて、目を覚ましたかのように、私を見つける。
「桃々…?」
「なに?サトーさん?」
目を見つめ、「…桃々?君は桃々なのかい?」
「え?」
「桃々、大きくなったね…。」
うるんだ瞳。前足で胸をおさえる。
え?うそ?タル兄ちゃんの記憶が戻ってきたってこと?
「うそ…お兄ちゃん?タル兄ちゃんなの?」
ハッと振り払うように、
「…なーんてね。んなわけない。」
サトーさんは、ベロッと長い舌を出した。
「ひどい…演技かよ。ひどい、ひどい、亡くなったタル兄ちゃんでフザけるなんて!冗談でもひどすぎ!デリカシーなさすぎ!」
足をバタバタ蹴るマネで反撃。
「ごめん。悪ふざけすぎた。反省。これはごめん。」
「もういいよ。乗り越え中だし。」
プイッと横向くと、さすがに後ろめたかったのか、私の『説』を検証してくれた。
「ま、仏教でも輪廻転生の思想はあるから。百歩譲って僕がタル兄ちゃんの生まれ変わりだったとしたらと仮定しようよ。でもさ、考えてみてよ。例えば今そこで飛んでいる蛾が人間の生まれ変わりだったとする。」
サトーさんの視線の先には、窓の外で夜の蛾がヒラヒラ舞っている。鮮やかな色の鱗粉模様が毒々しくも美しい。
「でも今この蛾は何か考えてるかな?そんなことないよね。現実は知能の無いただの蛾でしかない。何も考えないし、しゃべらない。だけど僕は知能があってしゃべる。なぜだか理由は説明がつかない。」
「うーん。」
「気持ちはわかるけど。僕がお兄ちゃんだった時代の記憶もない。」
「残念…。」
「ごめん。」
「ううん、いいよ。んー、じゃ、なんだろ。…そうだ、悪の秘密結社に手術されたとかは?」
「犬の脳を高い知能に手術した?遺伝子のゲノム編集で?現代の技術じゃ無理だよ。」
「今じゃ無理?だったら、未来から来たとかは?」
「未来人によって作られた?飛躍しすぎ。そもそもタイムマシンが存在するなら、これまでの人類の歴史には矛盾がありすぎる。」
「じゃあ、宇宙からやってきた!」
「地球外生命体ってこと?僕が?」
「宇宙人?いや宇宙犬?人間と逆転した『犬の惑星』的な。」
「うーん、限りなく広い宇宙だから、可能性ゼロとは立証できない。けど、①遠く離れた惑星で、②有機物質の構成と気温条件が地球とまったく同じ星で、③犬と同じ姿の生物が、④まったく同じ時代に遭遇する、…そんな確率は天文学的に低い。てか、どうやって宇宙から来たっていうの?」
「UFOで?ワープ的な?」
「却下。昭和のSF。」
「じゃ、魔法使いに犬にされた王子さま?」
「話す価値なし。」
ぶー。
「地に足の着いた方法で、まずは一から調べよう。手伝って。」
「いいけど、どするの?」
「僕が一体どこから来たのか?その場所をたどれば何かわかるかもしれない。まずは…あそこへ行こう。」
「どこよ?」
「保健所の動物保護センター。」
「あれ?『エンジェルなんとか』でもらわれたって、パパが…。」
「ああ、僕がもらわれてきた『エンジェルライフ』ね。保護犬の里親探しのNPO法人。電話で問い合わせしたら、わかりませんって。」
「どうして?」
「『もともと保健所が保護した子犬を譲り受けたので出生場所は不明です。保健所に問い合わせてください。』って言われたよ。だから、アポとっといた。」
「早っ、いつの間に?」
「あれ言ってなかったっけ?」
「言ってません。」
◆

東京都保健医療局の動物愛護センター平和島出張所には、JR大森駅から都バスに揺られてやっと着いた。
まずは業務課の女性が対応してくれた。
怪しまれないよう学校の自由研究ということで問い合わせたからだ。中学生の自由研究という理由は、公職の大人たちの大義名分をくすぐるにはちょうどよかった。
「かわいいね。この子のことですね。」
女性はキャリーバッグの中のサトーさんの顔をのぞいて微笑んだ。
「東京都が動物を保護する件数はたくさんあるんですよ。最近は少なくなったとは言え、犬の保護だけで年に3000件以上あります。当時の担当さんもさすがに詳しいことは覚えていないんじゃないかな。」
と廊下を案内する。
「さ、3000件!」
驚く私をよそに、ある部屋に入ってデスクに座るおじさんに声をかけた。
「ああ、いたいた。綿樫さん。」
声をかけられた上下グレーの作業着のおじさんは怪訝そうに振り向いた。眉をしかめて私たちを睨むように眺める。ちょっと怖い。見知らぬ大人と話すのは苦手。緊張でバッグの紐を強く握った。
◆
エンジェルライフで教えてもらった登録番号を元に、おじさんはPCのマウスを転がしながら、当時の記録データをスクロールしていった。
「えっと…確かこのころ……あった。『江東区…深川4の3、あめみや…飴宮神社』、これこれ。…ん?」
画面を凝視する。もっと怖い顔になった。
「ああ、そっかあの子か。」
おじさんはキャリーバッグのサトーさんを覗き込んで、
「あの時の子か。大きくなったね。元気に育ったね。」
強面な印象から一転、ニッコリ優しさにあふれる目に変わった。きっとこの人は動物のことを愛しているんだな。
「この子のケースはめずらしくてね。よく覚えているよ。」
意外な答えに、緊張より興味が勝った。「珍しい?」
「親子で保護したんだ。しかも生まれたてでね。」
「親子!?」
サトーさんがピクリと片耳を立てた。
「神社の境内のね、縁の下に紛れ込んでたんだよ。通報があってね。母親犬が、正に赤ちゃんを産み落としたばかりの様子だった。」
それってサトーさんのママ?
「サトーさん、お母さんだよ!お母さんがいるよ!」
バッグの中から首を延ばす。近ごろつんとすましてばかりだったサトーさんの表情が大きく喜びで溢れた。だけど、おじさんにバレないようにすぐすくめてしまった。
「でも不思議なことに、子犬はこの子一匹だけだったのさ。」
「なにが不思議なんですか?」
「普通の犬は一度に5〜6匹赤ちゃんを生むはずなんだよ。なのに1匹だけ。外敵に襲われたわけでもない。形跡をどう見ても1匹。この子はね、暗い神社の縁の下で、弱った母犬に一所懸命しがみついてお乳を飲んでいたんだよ。生きようと必死にね。」
よかったね、サトーさん。お母さんがいたんだよ。ひとりぼっちじゃなかったんだ。お母さん犬と会えば、サトーさんが話せる秘密が何か分かるかもしれない。
「あの、その母犬は?今、どこに?」
「ああ、母犬は…見つけた時にはかなり弱っててね…。」
おじさんの繰り出す言葉にサトーさんは釘付け。
「可哀そうに、ひどいケガをしていてね。保護してすぐに亡くなったんだ。」
「えっ!」
思わず声をあげてしまったサトーさん。亡くなった?ママが?
おじさんが「ん?」と覗き込んだから、
私は
「えっっえっえーーーー。」
とごまかした。
すっかりうなだれて、サトーさんはキャリーバッグの底のほころんだ縫い目を見つめている。
おじさんはまぶたを閉じて記憶を手繰り寄せる、
「そうそう、普通は母親というのは子犬を守ろうと敵意をむき出しにするもんだけど、私たちが近づいた時には、なんだか安心したような、私たちにこの子を託すような表情をしたように見えたな。とても穏やかに。」
バッグの中のサトーさんがみるみる失望に打ちひしがれていくのを感じた。
やっと家族が見つかったと思ったのに…。
そうだよね。家族を亡くす悲しさは誰よりも分かる。
結局、母犬とサトーさんがどこからやって来たのか?までは分からなかった。
その場にいたたまれなくなって、帰ろうとした時、
「あ、そういえば…」おじさんが私たちを呼び止めた。
「そういえば、ずいぶんしてから、その母犬について、どこかから問い合わせがあったような。」
「えっ!?誰?」
「うーん、何年も前のことだからね。記録も残っていなしな。」
それ以上は分からなかった。
飼い主なのか?関係者?それとも通報者が気にして連絡してきたのか?誰か秘密を知っている人がいるのだろうか?
敷地内の片隅にある小さな慰霊碑の前で私は手を合わせた。
サトーさんも前足を合わせていた。お母さんに何を話したんだろう。
◆
とほとぼ帰り道。
駅から家に向かって夕焼けに染まった雲を眺めながら、黙って歩いた。
私は何も言えなかった。
サトーさんの本当のお母さんは亡くなってしまっていた。それを知らされて私は後悔した。こんな風に調べなければ分からずに済んだはずだから。
彼の気持ちを思うと苦しくなった。狭いバッグの中、黙って丸まっている。あんなに普段生意気なのに、こうなるとかわいそうになってしまう。
僕はひとりぼっちだ…。
丸めた背中がそう言っているようだ。
「一体誰なんだろう?サトーさんを探していたのは。」
返事が欲しくて、ひとり言っぽくつぶやいてみた。
「………。」
「サトーさんが保護された場所に行ってみる?神社の縁の下だっけ。」
望みをつないであげたくて、優しく問いかけても、
「もういいよ。ありがと。」
だけど、私は知っている。
暗いキャリーバッグの中で、彼はずっと鋭く目を見開いている。そう、時間をかけて悲しみを乗り越えながら、静かに決意を固めているはずだ。
あのサトーさんの言葉を忘れない。
「僕は一体、何者なんだ?僕はどうしてこんななんだ。人間ではないし、ましてや普通の犬でもない。なんのために生きるのか?理由を知りたい。ボクが生まれたのには必ずワケがあるはず。僕はどこから来て、どこへ向かっているのか?僕はそれを突き止めたい。絶対に突き止めて見せる!」
そうだよ、そう。サトーさんは一体、何者なのか?
なんのために、どこから来て、なにをするために生まれたのか。
そこには何かきっと大切な意味があるはず。
「あなたは世界にひとり。特別な存在だよ…。」
サトーさんの横顔に心の中で語りかけた。
その夜は、私の方から一緒に寝てあげた。
サトーさんは背中を少し私に預けてきた。

◆
驚くことが起こった。
ママの作る夕飯の匂いを、かすかに感じながら宿題をしていたある日。
今まで聞いたことないほどのパパのデカい声が家中に響いた。
「サトーさん!サトーさん!見て!」
まだ心が癒えないサトーさんにとって、母親犬の一件より大事なことなどあるはずもない。乗り気のしない重い足取りで、パパの声のするリビングに向かった。
私もついて行くと、リビングには、新聞紙を広げたパパが爪切りの途中でフリーズし、ママがおたまを片手に固まっている。
一瞬何が起こっているのか分からなかった。
皆の視線の先には、テレビ。
「どうしたのさ、サトーさん。」
尋ねても彼も動かない。
画面から目を離せないでいる。垂れた舌をしまうのも忘れてしまうほど呆然と立ちつくすのだった。
「なになに?ニュース?」
イブニングニュースでカラフルに踊るスーパーテロップ。
そこには、目を疑う文字がこう記されてあった。予想を軽く超えて、斜め上行く光景だった。
” 犬がしゃべる未来 "
映像には、賢そうなボーダーコリーが映っている。
まだあどけなさが残るそのメス犬は、黒と白の豊かな毛並みを揺らせながら、ついに、口を開いた。
「コンニチハ…。」
目をまんまるにして、かたまってしまったサトーさん。
「……………。」
「コンニチハ。ワタシ、ライカ。1サイ。」
犬が…、
しゃべっている。
しばらく目が離せなかった。
「コンニチハ。ワタシ、ライカ。1サイ…。コンニチハ…コンニチハ…」
(つづく…)
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