ゲーム性ってなんだろう?
はじめに
よく「ゲーム性」という言葉が使われます。
「このゲームはゲーム性が無い」とか「ゲーム性がある」とか。高いとか低いとか。
でも、ゲーム性という言葉は、何を示しているんでしょう?
この記事では、ゲーム性と共に「ゲームである」という点についても考察して行ければと考えています。
こんな風に考えてみました
ゲーム性を下のように考えてみました。
ゲーム性=「A.その媒体から生じる現象に介入できる度合い」×「B.介入によってえられる高揚感」
A.その媒体から生じる現象に介入できる度合い
これはインタラクティブ性、言い換える事もできると思います。
なんらかの行動で、その媒介から生じる現象(映像など)を変化させる度合い、とも言い換えられれます。
DVDを再生して見ているだけなら、インタラクティブ性はありません。
でも、その映像を見ている子どもに、映像と同期して親が何かアクションして、まるで映像にアクセスしてる様に子供に錯誤させて驚かせたり、喜ばせたりしたとしたら、映像+子ども、という現象に介入してる事になるのではないでしょうか。
B.介入によってえられる高揚感
シューティングゲームなら、弾を撃つ、というのがAの介入にあたり、その結果、敵を撃墜したら、プレイヤーには高揚感が生じます。
この高揚感が高い程、そのゲームは楽しい、面白い、という事になると思います。
先のDVDとそれを見ている子供の例の場合、子供の反応の大きさが、親の高揚感につながる訳です。
A×B
介入の度合いが大きく、その結果生じる高揚感が大きければ、ゲーム性は高い、という定義にです。
介入の度合いが少なくても、高揚感が大きければ、ゲーム性はあるし、それなりにゲーム性は高い事になります。
介入の度合いを単位時間あたりで見ると、アクションゲームは介入の度合いが高く、シナリオアドベンチャーは低くなります。
大抵ゲームの場合、何かを達成した時に、大きな高揚感が得られるように設計されていると思います。
このため、大きな高揚感を得るタイミングは介入の度合いとはやや異なる事になると思います。
ゲームかどうか
ゲーム性が0だったら
前述のゲーム性の定義で、ゲーム性が0の場合、おそらくゲームでは無いと思います。
先の「ただDVDを再生している場合」を考えていみましょう。
高揚感は、DVDの内容によります。その内容が面白ければ、高揚感が高くなります。
ところが、介入の度合いは0です。(「ただDVDを再生している場合」です。子供を錯誤させて喜ばせる場合ではありません)
介入が0なので、介入によって得られる高揚感も0になります。
だから、ゲーム性は0になります。
じゃあ、ゲーム性が0じゃなかったら
これは少し面倒なところだと思います。
「B.介入によってえられる高揚感」、これは個人の特性に依存する箇所ですから、人によって変わってきます。
ですから、人によってはゲーム性が低い、だからゲームじゃない、みたいな事が生じたりするかも知れません。
でも、ゲーム性が0じゃないなら、やはりゲームだと思うのです。
スポーツ観戦で応援するのはゲーム?
ここで少しゲーム性について拡張した考え方をしてみます。
一種の思考実験です。
前提
スポーツをその会場で観戦していて、歓声が選手に届く状態だとします。
そして、選手のメンタルは応援する歓声にある程度影響を受けるとします。
そうすると
一人の観客の試合への介入度は小さくても、介入した効果が小さくても、介入した結果の高揚感は高い場合もあると思います。
となると、スポーツ観戦で応援するゲーム性は0ではなくなり、ゲーム、という事になります。
なんだか不思議な結果ですが。
スポーツをテレビで見ている場合
テレビの前で声を出して応援しても、その声は選手には届きません。
この場合、介入はできていない事になりますから、ゲーム性は0です。ゲームでは無いことになります。
あ、テレビで応援する事が無意味である、と述べている訳ではありません。
あくまで、ゲーム性についての思考実験としてのお話です。
おわりに
ゲーム性とゲームであるかどうかについての考察でした。
かなり広い括りだと思います。
この考えが土台の一部になるようでしたら、その先に進めるための材料となれば幸いです。
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