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美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第4話

 商店会の会合が終わってから、ナツさんの噂は一瞬で商店街に広まった。

 祥太をはじめとする商店街の若者は、ナツさんの経歴を調べて崇拝し始めている。
 祥太はナツさんにお店の看板デザインを発注したらしい。かなり破格な金額でやってくれたのだとか。

 ナツさんがみんなに受け入れられているのは別にいいけれど、私はなんだか面白くない。今日も午後の休憩をナツさんのお店のカウンターで取っていた。

「みんな、ちゃっかりしすぎですよ。ナツさんはもうコーヒーショップの店長さんなんだから、デザインをお願いするんじゃなくてコーヒーを買っていくべきでしょ?」
「まあ、コーヒーショップの店長になってからは日が浅いですが、クリエイティブディレクターの職歴はそれなりに長いですから。商店街のお役に立てるなら構いませんよ」

 私の勝手な思い込みかもしれないけれど、ナツさんは前職の自分を捨てようとしているような気がする。

 でなければ、どうしてインターネット上に名前や顔が出るような人が仕事を辞めてコーヒーショップを開いたのだろうか。

「ところで、気になっていたんですけど……このお店はブレンドコーヒーが無いんですか?」

 このお店に通うようになって10日以上、通算10杯以上のナツさんのコーヒーを飲んできた。

 産地が限定されたいわゆる「シングルオリジン」のコーヒーを飲みながら、疑問が浮かぶ。どのお店にも、ブレンドコーヒーというメニューはあった。

「やっぱり……気になりますよねえ……」

 私の言葉に、明らかに落ち込んでいるナツさん。まさかブレンドコーヒーって禁句だったのだろうか。

「なんていうか、あるのが普通ってイメージがあって」
「やっぱり……普通はそうですよね。ブレンドも用意すべきですよね」
「すべきかどうかは、分かりませんけど」

 こういう、下町の商店街にいるようなおじさんおばさんは、コーヒーと言えば「ブレンドコーヒー」というような人たちばかりなのだ。

「実は、何度もオリジナルブレンドを作ろうとしたんですが、うまくいかなくて……」
「うまくいかない?」

 私には、ブレンドコーヒーがうまくいかない、のイメージがつかない。

「ブレンドコーヒーって、いくつかの豆をブレンドして飲みやすくするんですけど、僕、分からなくなってしまうんです」
「……正解が?」

 私の問いに、ナツさんは無言で頷いた。
 ブレンドコーヒーの世界など知らないけれど、そんなに難しいのだろうか。

「例えば、どんな風に迷ってしまうんですか?」
「美味しい、の定義に迷ったり、酸味と苦味のバランスに迷ったり、これからどんなフードメニューを出していくかも決まっていないからどんなものに合うのにすればいいのかも……」
「難しく考えすぎでは?」

 あんなホイホイと商店街の人間に提案ができる男が、悩む内容がこれ?

「いいんですよ、フードメニューが増えたらブレンドコーヒーの種類を増やせば。最初に、ナツさんが美味しいと思ったブレンドコーヒーをひとつ作ってみれば良いじゃないですか」

 私は当然のことを言っただけなのに、ナツさんは「ええー利津さん、そんな男気溢れる感じですかー?」と引いている。

「もし……ご迷惑でなければ、ですよ」
「はい」
「ブレンドコーヒーの試飲と意見を言うくらいなら、協力します」
「え!!」

 決しておかしなことは言っていないし、大した協力でもないはずだった。
 なのに、ナツさんはカウンター越しに私に握手を求めて来たから「ええ? やめてくださいよ……」と言いながら渋々手を差し出す。

「利津さんが協力してくれるなんて、百人力です!」
「大袈裟です。1人分にすら足りません」
「いや、この瞬間、成功する未来が視えました!」

 定食屋の給仕が協力するだけで、なんで百人力なんだろ。
 それに手とか握られても困るんですけど……。

 キラキラした目で嬉しそうなナツさんを見て、ああ、あの髭剃ってくれないかなあ、なんて変な感想が浮かぶ。
 写真で見た髭のないナツさんは若々しくて、ぱっと見だと私とあまり歳が変わらないように見えるから。

 ん? 私とあまり歳が変わらない見た目だからなんだというのだ。

「あの、ナツさん。手を離してもらっても……」
「ああ、すいません! 嬉しくて、つい!」

 ナツさんは謝りながら苦笑した。人懐こそうな、くっきり二重が目立つ人だ。

「じゃあ、利津さん、明日から意見もらってもいいですか?」
「ええ、別にいいですけど」
「午後お店に来ていただいた時に、試作品を用意しておきます!」
「はい」

 ブレンドコーヒーという話を出した途端に顔を曇らせていたナツさんが、すっかりブレンドコーヒーづくりに燃えている。

 私は素人なんだけど……本当にこれでよかったのかなあ……。


 次の日。
 私はいつも通り午後の時間にナツさんの店を訪れた。

「こんにちはー」

 私がお店に入りカウベルの音がカランと鳴った途端、ナツさんがカウンターから顔を出す。

「利津さん! お待ちしておりました!」

 本当に期待しすぎだ。私は定食屋だって言っているのに。
 店内には4人ほどお客さんがいて、でもカウンター席は空いている。
 私はすぐにいつものカウンター席に着き、期待に満ち満ちたナツさんの顔を見る。

「まず、今日は2種類用意しました。ベースはどちらもモカです」
「モカってよく見ます、市販品見ていると」
「そうなんです。モカは、やっぱり香りが良いので。ちなみにこちらはエチオピア産のモカです」
「カフェモカってチョコが入ってたりしますけど、これとは違いますよね?」
「ああ、モカっていうのはイエメンの港の名前で。そこから輸出されている豆の総称ですね。カフェモカはエスプレッソにチョコレートシロップを入れるドリンクのことですから、全くの別物です」

 私が初めて知った知識に感心していると、ナツさんは同時に2杯のコーヒーをドリップし始めた。

 両方を飲み比べろ、ということなのだろう。ナツさんのやかんを持つ手が、なんだかウキウキしているように見える。

「では、ご意見をお願いします。利津さんから向かって右が①で左が②です」
「はい……」

 店内は静かで、他のお客さんにも私たちのやり取りは聞こえている。
 カウンター席で、後ろからの視線を痛いほど感じるんですけども……。

「じゃあ、まず①をいただきますね。……なるほど」

 うーん、これは、なんというか……。

「どうでしょう?」
「とりあえず意見は比較して伝えようと思います。では、②を……」

 こっちは、こういう感じか……。
 これ、思った以上に言葉にして伝えるのが難しい……。ええと、コーヒーを表現するのは酸味と苦味とコク、ね。

「①の方は、酸味が目立ちます。好きな人には美味しいのでしょうけど、酸味が苦手な方も多いという点から、ブレンドコーヒーとしてこれをメインに出すのがこれで良いのかは難しいかなという印象です。コクも少し弱いですね」
「……没ですね」

 しまった、自信作だったのだろうか。ナツさんの顔が翳っている。
 いや。ここで嘘を言っても仕方がない。

「②ですが、こちらのコクは良いと思います。ただ、焙煎なのかもしれませんが苦味が強いですね、人によっては苦手な印象を持たれそう」
「……商品化はやめた方がいいですね」

 飲んでみて分かった。
 ただ豆を混ぜただけで、こんなに印象が違うんだ……。

「すいません、なんか落ち込ませてしまって」
「いや、物凄く参考になります。①の配合と焙煎だと酸味が強くコクが弱いけど、②の配合と焙煎だとコクはあっても苦味が強い、と」
「……そんな感じです」

 私は返事をしながら①のコーヒーをごくりと飲む。これはこれで美味しいと思う。一般ウケはしないかもしれないけれど。

「利津さんのお陰で分かりました。①は苦味を足す豆の配合を増やしてチャレンジした①-2を、②は焙煎を浅くした②ー2を明日お出しします」
「はい」
「いやあ、コーヒーのブレンダーさんってこの作業の繰り返しで黄金の味を発見するんでしょうねえ」

 晴れ晴れした顔をしているナツさん。本当にこれで良かったのかな……。

「いや、利津さんは僕の救世主ですね。何かお礼しないと……」
「お礼……」
「何か、考えておいてください。欲しいものとか」
「いえ……いや……はい……」

 何かお礼をしてくれるって言うんだから、考えておこうかな。
 ほんとに、何でもいいんだろうか。

 *

 夜の仕込みをしていたら、お父さんが私の様子をじろじろと見て来た。

「なに?」
「利津、隣のお店のメニュー開発に協力してるってホントか?」
「ああ、うん。誰から聞いたの?」
「いやまあ、お客さんから……」

 全く、この町は客までがお節介だ。私が隣の店にいて何をしていようが、お父さんにわざわざ言うようなことなのだろうか。

「いやその、楽しいか?」
「まあ、うん、そうだね。ナツさんは自分でブレンドコーヒーを作るのに迷いがあるらしくて、私は試飲して感想を言ってるだけなんだけど……楽しいよ」

 私が仕込みのために手を動かしながら言うと、お父さんは満足そうに目を細めていた。また、例のやつだろう。

「利津……料理の道で、重宝されているスキルは何だと思う?」
「うーん……手先が器用で要領が良くて繊細で……」
「味覚が敏感で、味に対する記憶力が正確なことだよ」

 お父さんはそう言って、その日に使う鯵を捌いている。
 出刃包丁が流れるように動いて、まるでこの魚に骨などなかったように身が切れていく。

「まさか、私がそうだって言いたいの? その、味覚に敏感で記憶力が正確ってやつ」
「間違いない」

 恐らく親バカなんだろう。父ひとり子ひとりで長年一緒にいると娘の過大評価が進むらしい。

 お父さんが腕を振るえなくなったら、この店は営業できない。
 一定のクオリティでひたすら同じ料理を作るスキルがない私には、店を維持することなど不可能だからだ。

「お父さんの言うようなスキルが私にあったとしてもさ、お父さんみたいな料理人がそばにいなきゃ何もできないよ」

 味見だけで料理ができるなら、そんな楽なことはない。世界中の料理人たちは、味見だって料理だってできるから味覚のスキルが重宝されるのだから。

 *

 ブレンドコーヒーの試作も早いもので7回目、昨日までで12杯もの試作品を飲んでいる。

「今日のは、どうです?」

 ①ー7を飲んだ私は、コメントに困っていた。

「悪くはないんです。コクがあって香りもいいし、酸味と苦味のバランスもいい……だけど、なんていうのかな」

 これまでの試作品に比べてバランスが良く飲みやすい。恐らく、本来のブレンドコーヒーとはこういうものを言う。

「もしかして、特徴がなくてこれといって感動もしないノーマルな味?」

 カウンターの向こうで私の言葉を待つナツさんが、まるで私の心を読んだかのように言う。
 ここで取り繕っても仕方がない。私は頷くことしかできなかった。

「確かに、そうですね」

 ナツさんは、がっくりしながら②ー7の方も試飲を勧めるように手を広げて隣のカップをどうぞ、と示した。

 私は申し訳ない、と思いながら、もうひとつの試作品に口をつける。

「ん?」

 ひと口飲んで、感想がわかない。
 こんなことは初めてだったから、もうひと口飲んだ。

「不思議……ですよね? これ」
「不思議?」
「酸味も苦味も感じるのに、味の感想が浮かんでこない……」

 そう、味の感想が難しい。だって……。

「香りが強い?」
「はい。最初にふわぁっと香ってひと口飲み終わったらコクが余韻を残すんですけど……なんだろう、不思議」
「それ、利津さんにとってはどうです?」

 そうだ、味の感想がうまく湧かなくても、肝心なことを言っていない。

「美味しい、です。とても」
「ホント?!」

 ナツさんはお客さんがいる店内で、今まで聞いた中で一番の声を上げた。
 それまで談笑していた店内のお客さんが、その声に驚いたのか急にしんとする。

「他の……シングルオリジンのコーヒーに比べて味の特徴はないんですけど、香りと余韻が美味しいっていうか」
「うん」
「ブレンドコーヒーだから、酸味や苦味が目立たなくても正解なのかも」
「うわぁ、すごいな、プロのブレンダーみたいだ」

 ナツさんが私に感心している間、私の頭の中にはお父さんに言われた味覚と味の記憶の話が浮かんでいた。

 プロのブレンダーって、こういう風にブレンドコーヒーを作る人のことを言うのだろうか?

 でも、私は焙煎や豆の配合なんかは全く考えていない。そこはナツさんに任せっきりで、やっぱり大したことはしていなかった。

「これは、ナツブレンドですか?」

 これから、このお店でどんな評価をされるか分からないブレンドコーヒーを想像してドキドキしながら尋ねる。

「うーん、このコーヒーが出来たのは利津さんのお陰なので、利津ブレンドですよね?」
「私はただの客です」

 ナツさんは、自分の店の名前が『The Coffee Stand Natsu』であることを忘れたのだろうか?
 隣の店の定食屋にいる女の名が付いたブレンドコーヒーなど意味が分からない。

「利津ブレンドがこの店にあったら変です」
「じゃあ、カタカナで書こうか? リツブレンド。ナツブレンドと殆ど変わらないから違和感なく……」
「違和感しかありません」

 ナツさんは残念そうに眉を下げた。
 メニューに『リツブレンド』なんて書いてあったら、お客さんから誤植だと思われるに違いない。
 店長、このメニュー間違ってますよ! なんて指摘されて、その度に私のことを話されるなんて。
 いや、勘弁してほしい。

「前も言いましたけど、僕にとって利津さんは救世主で……」

 いや、世の中そう簡単に救世主など現れない。まして、下町の定食屋なんかにいるわけがない。

「変なこと言ってないで、折角ブレンドコーヒーが完成したんですから、フードメニューも考えた方が良いんじゃないですか?」
「ああ、確かに……」
「何でしょうね、このコーヒーに合うのは。甘みの強いものではなさそう……」 「えっ?! 利津さん、フードメニューも協力して下さるんですか??」

 さっきの「ホント?!」に引き続き、ナツさんは大きな声を上げた。ナツさん、今日はテンションが高いのだろうか。

「ここまで協力しておいて、あとはご勝手になんて薄情なことを言うつもりは無いですよ。余計なお世話でしたら、やめておきますけど」

 残念ながら私の中に流れる血は、下町製だ。
 乗りかかった船を放ってはおけない。

「ちゃんとナツさんの力になります。ナツさん、お祭りのポスターの制作とか破格で請けて下さってるって……」
「あ、祥太くんに聞きました? 看板のデザインを納品したら、ポスターまで頼まれてしまいました。僕、デザイナーじゃないんで自分で手を動かすのは得意じゃないんですけど、気に入ってもらっちゃって」

 ナツさんは祥太と仲良くなったのか、呼び方が変わっている。

 祥太のお母さんが経営する『美容室 前田』は、もともと祥太のお祖母さんのお店だった。お店は昭和アンティークな雰囲気そのものだ。
 レトロな書体の看板に変わり、新規で学生さんの利用者が増えたらしい。

 店内は若い女性が好きそうな昭和アンティークなインテリアで、祥太はまだキャリアは浅いけど専門学校時代も成績優秀だったらしいし、腕も提案も良い。

「ナツさん、無理してません? この商店会の仕事なんか請けなくったって誰も恨みませんよ?」

 やっぱり気になるのは、ナツさんはもう前の仕事は辞めたってことだ。コーヒーショップの店長なのに、辞めた仕事に近いことをさせるなんて。

「無理しているのは、むしろコーヒーショップの方ですから。デザイン関係の仕事は、それぞれ1、2時間でできる範囲での提案しかしていないんですけど、それを気に入っていただいているんで全く労力なんか掛かってなくて」

 無理をしているのは、コーヒーショップ。
 その言葉が引っかかってしまって、私はその後の内容はちゃんと聞いていなかった。

 ナツさんがこのお店を開いたのは、自分の夢ではなかった?


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