アメリカと「国際法」との関係は、実におもしろい
前回の記事で「アメリカが奉じている理念や考え方に背くものは、いきなり攻撃を受ける可能性がある」という話を整理したのだが、では
■ 国際法では、いったいどうなっているのか
ということについて補足をしてみたい。
アメリカは「ならず者国家」をいつも成敗するのだが、当のアメリカ自身が「ならず者(ジャイアン的)国家」である可能性だってあるわけで、そこに「国際法」がどう絡んでくるのかを知っておいて損はないからだ。
この点についてはChatGPTの回答が実におもしろかったので、ぜひ紹介しておこう。
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Q 国際法はどこまで機能していて、アメリカに対してはどのような評価をすればよいのでしょうか
A ChatGPT
ここでは 「国際法はどこまで“実際に”機能しているのか」 と 「アメリカは国際法上どう評価される存在なのか」 を、理想論と現実論を分けて整理します。
① 国際法は「どこまで」機能しているのか
結論から言うと、
国際法は
・弱い国どうしの間では比較的よく機能し
・強大国どうしでは抑制的にしか機能せず
・覇権国に対しては、ほぼ“規範”としてのみ機能する
というのが実態です。
1. 国際法の本質的限界
国際法には、国内法と決定的に違う点があります。
強制執行機関が存在しない
裁判所(ICJ・ICC)に強制管轄権がない
最終的な実力(軍事力)を独占する主体がいない
つまり国際法は:
「守らせる法」ではなく
「守ると約束された法」
です。
2. 実際に機能している領域
それでも国際法は無力ではありません。
特に次の分野では、かなり機能しています。
外交特権(大使の不可侵)
国境確定
海洋法(EEZ)
貿易・航空・通信ルール
戦争捕虜の待遇(部分的)
👉
国家間の日常的な協調コストを下げる「技術的ルール」
としては非常に有効。
3. 機能しない/破られやすい領域
一方、次の分野では極端に弱い。
武力行使の正当性
越境的な暗殺・空爆
内戦・テロ対策
覇権国の安全保障行動
ここでは国際法は:
事後的に語られる「言い訳の言語」
に近い役割になります。
② アメリカは国際法をどう扱っているか
1. 基本姿勢:選択的遵守(Selective Compliance)
アメリカの国際法観は一貫しています。
国際法は有用なツール
しかし国家安全保障に優越しない
最終判断はアメリカ自身が行う
典型例:
国際刑事裁判所(ICC)に非加盟
ICJの強制管轄を限定
自国兵士の訴追を認めない
👉
「法の外にいる」のではなく
「法の適用範囲を自分で決める」
2. 武力行使に関する公式ロジック
アメリカは、越境的武力行使について次の論理を使います。
自衛権の拡張解釈
予防的自衛
先制的自衛
「武力攻撃の差し迫った危険」
テロとの非対称戦争
これは国際法学的には 非常に争いのある解釈 ですが、
明確に違法と断罪できる裁定主体が存在しない
ため、現実には止められません。
3. 国連との関係:支配でも無視でもない
重要な点として、
アメリカは国連を完全に無視していない
しかし拒否権・資金・影響力を使って制御している
👉
国連はアメリカの“道具”ではないが
アメリカに“逆らえる装置”でもない
③ 国際法から見た「アメリカの評価」
評価は立場によって三層に分かれます。
① 法形式的評価(厳密法学)
越境的暗殺や無許可空爆は
→ 国連憲章2条4項違反の疑いが強い自衛権の拡張解釈は
→ 国際慣習法として未確立
👉
「違法性が高い行為を繰り返している国家」
② 国際政治学的評価(現実主義)
覇権国は秩序維持コストを負担している
国際法は覇権国の行動を前提に形成される
アメリカの逸脱が新しい慣行になることもある
👉
「ルール違反者であると同時に、ルール製造者」
③ 規範論的評価(倫理・正義)
国際法を普遍的規範と主張しつつ
自国には適用を免除する
👉
「二重基準(double standard)」
という批判は免れない。
④ では国際法は「意味がない」のか?
ここが重要です。
国際法は
強者を縛る鎖ではなく
強者の行動を“正当化させる言語”として機能する
アメリカは:
国際法を無視していない
しかし常に 国際法の言葉で説明しようとする
これは逆に言えば、
国際法が完全に無意味なら、説明すら不要
ということでもあります。
⑤ 一文でまとめると
国際法は、覇権国の行動を直接止める力は持たないが、
その行動を「言語化・正当化・批判可能なもの」に縛りつける力を持ち、
アメリカはその枠組みを最も巧みに利用し、同時に最も逸脱する国家である。
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↑ この回答そのものが、よく整理されている。
■ 大国同士では抑制的にしか機能せず、覇権国にとっては「規範(お題目)」としてしか機能しない
というのは、まさに今起きている事態だ。アメリカしかり、ロシアしかり、である。
なぜそうなるかも明解で
■ 守らせる主体が存在しない。力(実力)を持っているものが存在しないから
ということである。
そして、アメリカの行動原理は明白で
■ あらゆる国際法より、自分の安全保障は上である
と主張している。つまり、平たく言えば、自分への「正当防衛」はいつでも発動される、ということである。
もちろん、これを言い出すと埒があかないのだが、実質的にアメリカを「ジャッジメントできる主体」が存在しないため、ここが常にグレーゾーンと化しているわけである。
ただし、「では国際法は無意味なのか?」というと、単純にそうではなく、ちょっとした叙述トリックのようなポイントがあり、
■ それでも正当化できる言い訳に使えるかどうか、その内容は「気にかかっている」
というのである。なるほど、これはミソである。
つまり、アメリカがいかに暴れん坊であったとしても「国際法を完全無視して、無茶苦茶をする」というわけには「いかない」のである。
いちおうは「言い訳が立つかどうかの、微妙なラインのものさしとしては、立派に機能している」ということなのだ。
だからアメリカしかり、どの国が覇権国家となったとしても
■ どちゃくそヤバい大きな逸脱
は、やりにくい。
■ ちょっとだけよ、という逸脱のラインにおける、キワキワのせめぎ合いは起きる
ということなのである。これが「抑止力」になっている、というのが国際法の正体なのだ。
そういう意味では、いきなりある権力者が自暴自棄になって
「誰でも良かった!」「みんな死ねばいいのよ!」
みたいなことを言い出して核のボタンをぽちっとな!というわけにはいかない、ということなのだ。
少なくとも「国際法で言い訳が立つ程度の正当性」がないと、人類を滅亡させることはできない、ということになるので、いかに横暴なジャイアン君主があちこちに現れても、
「最後の安全装置」
くらいの役割は果たしている、とも言えるだろう。
ありがとう国際法!
役に立たないけれど、ガチで役に立たなくなった時には、もう人類滅亡がやってきている、ってことなのね!
さて、真面目な話として「国際裁判における司法執行者が誰なのか?」ということが、これからの未来社会における課題であることがよくわかる。
いまはその立場の者がおらず、擬似的にアメリカがそれっぽい役回りをしているから、当然横暴になる、というわけだ。
はてさて、未来の世界はどうなるのか。
我々はそれを乗り越えた次世代の世界を、作り上げることができるのだろうか?
了
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<ムコガワ的補足>
ここまで書いてきて「アメリカ」という国がなぜ強いのか、なぜ世界最強足り得るのかがなんとなくわかってきた。
それは、アメリカというのはこうした法解釈や論理的なロジックを、そもそも「書ける」という能力が非常に高い、ということである。
それはもしかしたら覇権国家であったイギリスや欧米などの叡智を引き継いでいるからかもしれないが、アメリカという国は
「そもそもの大きな流れという脚本も書けるし、精緻な台詞回しも書ける」というものすごい能力を持っていて、またそれを演じられる実行力を持っているのが強さの秘訣なのだろう。
つまり、「国際法」という漠然とした「守るべきもの」があるとして、少なくとも欧米文明でなければ「国際法そのものを書ける」力がない、ということなのだ。
日本人は、いちからこれを書き上げることなど到底できず、欧米からやってきた個々の条文を訳して「はあ、そうですか」と受け入れるくらいしか能力がない。
中国は諸子百家以来の理念を立ち上げることはできるかもしれないが、近代国家の条文としてはブラッシュアップするところまでは追いつけないだろう。(中国は「昔こそが理想」なので、進化してもついつい前に戻ろうとしてしまうのである)
ところが少なくともイギリスやアメリカは、近代がはじまってからずっとこれを書き続け、運用し続けているため、その経験の蓄積が長い。
これこそが西洋リベラリズムの正体、と言ってもよいだろう。
なぜ「書ける」ことが重要かというと、「自分たちに都合がいい条文であっても、それが万人に有益である、と信じ込ませるだけのロジックを展開できる」からである。
その論理展開を書き連ねられるだけで、世界を掌握したに等しいのである。
さすがにロシアも中国も、そこまで「書く能力がない」から、何か条文めいたものを提案しても、「周囲を信じ込ませて、たしかにそうでんなあと思わせられない」のである。そこが限界値だ。
これは一人の「独裁者」なり「権力者」がなし得ることではなく、ある程度の文化集団の「経験値の集合体」によって書かれるから、プーチンや習近平には不可能な芸当なのである。
もちろん、日本人にも無理だ。
なぜなら日本人は、精緻な論理展開で脚本を書くなどもってのほかで、文化総体としては
「もののあはれですなあ」
「わびさびですなあ」
「諸行無常ですなあ」
と、全部ワヤにしてしまう(笑)からである。
論理を構築しようという ”つもり” が最初からないのだ。せいぜいカチッとした何か、を整理しようとしたら連綿たる「皇室」の歴史、くらいしかないので、なんとなく戦前の日本軍みたいになってしまうのがオチだろう。
「皇室はまあ確実なものであり、それ以外は無常で奢れるものは久しからずである」
というドチャクソアンバランスな国民性ゆえ、さすがに論理的脚本は書けないのである。
同じように、実は個人であるトランプにも不可能なので、それゆえに彼がやっていることは「ボロが出やすい」きらいはある(笑)
ただし、そこはアメリカなので、トランプがちょっとくらいの逸脱をしようと、「修正した筋書きを書ける」才能が周囲にゴロゴロいるに違いない。
そして、その頭脳が「個人」ではなく、「バラバラに分布した総体」として活動しているのがアメリカなので、そこが真の強みなのである。
たしかにトランプは「号令者」としてはものすごく適任である。
しかしトランプが死んでも、アメリカには何人でも「筋書きを書く者」が現れ続けるだろう。
おそろしい国である。
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