■ロックンコラム:noteという遊び〜書き続けること、考え続けるということ〜

■ロックンコラム
noteという遊び
〜書き続けること、考え続けるということ〜
noteを始めたころは、
こんなに書き続けるとは思っていなかった。
ひとつ書く。
投稿する。
誰かが読む。
スキがついたり、
つかなかったりする。
それだけでも、けっこう面白かった。
でも、
ずっと書いているうちに、
少し違う遊び方をしていることに気づいた。
書くことそのものより、
書いたあとに、
また何かを考えている。
そんな時間が増えた。
たとえば、
本を読んでいて、
「えっ、そうなの?」
とか思う。
それを書く。
すると、
書きながら、別の疑問が出てくる。
その疑問を、また書く。
町を歩いていて、
「あれ?」
と思う。
それも書く。
半年くらい前に書いた記事を、
たまたま読み返す。
すると、
「これ、
今ならもう一回遊べるな。」
と思ったりする。
そうやって、
ひとつの記事から、
また別の記事が生まれる。
答えが出たから、
書いているわけではない。
むしろ、
書いたから、次の問いが出てくる。
最近、
「歴史の授業参観日」
(▶️歴史の授業参観日:本能寺の変)
という妄想授業ドラマを書いている。
授業の最後に、
先生が子どもたちへ言う。
「今日からの宿題です。」
(▶️【005】明智班〜本能寺、やる?)
でも、よく考えたら、
宿題を出されたのは、
子どもたちだけではなかった。
先生も、
まだ答えを知らない。
(▶️【006】後日の学級通信)
書いているおいらも、知らない。
だから、
また考える。
そして、
また書く。
noteは、
「書き続けること」を
応援してくれる場所らしい。
でも、
おいらにとっては、
少し違うものにもなってきた。
考え続けるための遊び場。
いつも難しいことを、
考えているわけではない。
本を読んで、
「へえ。」
町を歩いて、
「あれ?」
昔の記事を見つけて、
「おっ。」
そのくらいである。
そして、
その小さな引っかかりを、
記事にして置いておく。
しばらくすると、
未来の自分が、
そこにつまずく。
「あれ? これ面白いじゃん。」
そして、
また書き始める。
もしかすると、
おいらがnoteに残しているのは、
答えではないのかもしれない。
考えた跡。
いや、
それよりもう少し軽く、
引っかかった跡。
そんなものを、
あちこちに置いている。
だから、
いつまで経っても、終わりがない。
まあ、
それでいい。
遊びなんだから。
また何かに、
引っかかるだろう。
今日からの宿題です。
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2026年8月14日
むこパパ
