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#角川武蔵野ミュージアム 夢みたいな現実、そして歌を詠みはじめる

私の夢、それは図書館みたいな家に住むことです。

だからずっと行きたかったその場所に足を踏み入れたとき、思わず友人とつぶやいていました。

「うわあ、夢。」「こんな家に住めたら、仕事とか全部忘れて本読みたい」

そう、それなのです。こんな風に本が重なり合う空間で、没頭したりうとうとしたり、自分だけのために流れる時間の中で過ごしたいんです。

『本棚劇場』

この空間は、夢なんじゃないかな。

気づいたらそばの本棚に手を伸ばし、そこに広がる言葉を辿っていました。

まず、本棚。天井のぐっと高い空間で、どこまでも続く本棚がぞくぞくとさせます。

それなのに、対照的に手に届く位置にあるタイトルが憎らしいほど面白い。

とても惹きつけられたのはこちらのコーナー(笑)

見上げてみたりしゃがんでみたり、すっかり空間のペースに飲み込まれていました。

そこかしこに雑然と配置している、形の違う椅子も好きです。自分専用の秘密基地を探すときのような、ワクワク感があります。

座っていると立っているときとは違う目線で眺めるから、また違うことに好奇心が湧きます。そんな連鎖を、いつまでもひとりでごっこ遊びみたいに続けるんです。

階段でも本が気になって進めない

言葉に囲まれたい人たちは、みんな本棚への執着と人への無関心を持っていました。

図書館や美術館が居心地がいいのって、みんなの矢印が様々に作品へと向かっているからだと感じます。自分は、ぽつんと空気になれるんです。

時間ごとのプロジェクションマッピングは圧巻

優しい無関心に、放って置おいてもらえます。喧騒からもあらゆるデータからも逃れるのが難しい現代社会で、自分に関心を向けられないという楽さ。

ソーシャルディスタンスのアイコンまでおしゃれ

けれども同じ言葉を、作品を好きだという根底に流れる魂が、私達を空間に同期させています。

だから、それぞれが壁に熱心に目を向け合う無関心の中で、人間同士は心の手を握っている。

それが、図書館や美術館という取り残された時空の、他にはない心地よさだと思うのです。


そして今回、俵万智さんのかの有名な『サラダ記念日』を買いました。

自分へのお土産に、俵万智さん『サラダ記念日』

口語短歌の括りだったか、何だったのかは今は判然としませんが、国語の教科書の中に空間をたっぷりと使って並べられた歌の中に、彼女の「サラダ記念日」があったことは覚えています。

あのときはどうってことなかった言葉に、今は強く惹きつけられます。

一日中言葉に触れて、感性のとびらがいつもより少しだけ開いたのか、それとも私はこういうリズムが好きなのか。

もっと言えば、16歳のあの頃より、日常の至るところに思い出す人が増えたのか。

休日に夢を見に出かけた場所で、日常への素敵なお土産を見つけた気分です。

言葉も、表現も、感性も、きっとだれにでも開かれているんだと教えてくれました。

角川武蔵野ミュージアム、また行きます。

次は、普段小説は読まない彼を連れて。読まないけれども、強い表現の力に凝縮されている空間で、一緒に少しどきどきする呼吸を楽しめる人だと思っています。

買いかぶりすぎかな。でも大丈夫、地下のマンガ・ラノベ図書館でゆったりと時間を潰していてもらってもいいです。

私も漫画が読みたければそこへいくし、ひとりで永遠を感じる本の世界を散歩するのも好きだから。

もう次に来ることを考えながら揺られた電車では、一首一首を惜しむように『サラダ記念日』を追いかけました。

「生きることがうたうこと、うたうことが生きること」。なんて素晴らしいんだろう。

この言葉たちが嬉しくって、帰り道に残した言葉たちを、最後に記しておきます。私は、そのくらい真に単純な人間なんです。

これから、歌でも表現できたら嬉しい。そんな願いと誓いを込めて。

この言葉欲しいと手に取る本の帯 驚く彼女二十四の歌
教科書に並んだ文字より二十五のわたしに似合うサラダ記念日

2022年3月のうた


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