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『風、薫る』第5週「集いし者たち」ーー西周の「観察」

第5週は、いよいよ看護婦養成所に入所するメンバーが出揃う回であった。

しかし、肝心の外国人教師はまだ到着していない。代わりに彼女たちに与えられたのは、看護婦の心得を記した英語の書物であり、それと格闘する時間であった。

とくにクローズアップされたのが、「observation」という語をめぐる場面である。

りん(見上愛)も直美(上坂樹里)も、この言葉をどう訳すべきか分からず立ち止まる。単に辞書的な意味ではなく、看護の現場で何を意味するのかが掴めない。

その行き詰まりを破ったのが、シマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)の一言であった。

「観察する。西先生は、observe にそう訳語をつけた」

この「観察」という訳語は、明治期の思想家であり明六社同人でもあった 西周 によって与えられたものである。彼は哲学者として知られるが、もともと典医の家に生まれ、医学や科学の領域にも通じていた。そのため、西の訳語には単なる翻訳以上の含意――実践のなかで意味を持つ言葉としての強度――が宿っている。

明六社については、最近刊行された 河野有理『明六社―森有礼、西周、福澤諭吉らが集った知的結社』(中公新書)が非常に面白い。そこでも描かれているのは、異なる背景を持つ人々が集い、新しい言葉と思想を生み出していく過程である。まさにこのドラマの主題とも響き合う。

さらに付け加えるならば、西周の影響は、思いのほか広い。

たとえば経済史家の平沼淑郎もまた、西と接点を持っていた人物である。上京後、西の家塾で学び、その勧めによって洋学に先立って漢学を修めたという。のちに平沼が山県有朋系の新聞『明治日報』の記者となった際にも、西の推薦があった可能性が指摘されている(猪谷善一「歴史派経済学者としての平沼淑郎先生」『経済史学』1964年)。

こうしてみると、「観察」という一語は、単なる翻訳語ではない。
それは、人を育て、知を媒介し、異なる領域をつなぐ回路として機能していた言葉であった。

ドラマのなかで、英語の一語に立ち止まり、考え込む彼女たちの姿は、まさにその回路に触れる瞬間を描いていたのではないだろうか。

言葉を学ぶとは、世界の見方を学ぶことである。

そしてその見方は、誰かから手渡され、別の誰かへと受け渡されていく。第5週は、そんな「知のリレー」のはじまりを静かに描いた回であった。

画像は©NHK

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