「あ、その情報見た」で去る人へ
こんにちは、静観です。
一生懸命に記事を書いても、
「あ、その情報見た」
と思われて、
そのまま閉じられてしまう。
noteを書いていると、
そんな怖さが出てくることがあります。
すでに誰かが書いている話なら、
自分が書く意味はないのではないか。
もっと新しい情報を探さないと、
読んでもらえないのではないか。
でも最近、僕は少し違うことを
考えるようになりました。
そもそも、誰も知らない情報など、
もうほとんど残っていないのではないか。
情報だけを見れば、同じ話になる
たとえば、
僕が熊本の牛深へ行ったとします。
海辺を歩いて、
貝を拾ったとします。
その日に見た海や、
吹いていた風や、
そこで感じたことは、
僕だけの体験です。
現実の時間としては、
間違いなく一次情報です。
けれど、それを文章にして、
「牛深へ行って、貝を拾った」
と書けば、
同じ経験をした人はたくさんいます。
言葉だけを切り取れば、
それほど珍しい話ではありません。
本を読んで得た話も、
誰かから聞いた話も同じです。
僕たちが話していることの多くは、
過去の誰かが一度は考えています。
仕事の話も、
人間関係の話も、
生き方の話もそうです。
情報そのものだけで見れば、
ほとんどの話は、すでに存在している。
だから、
新しい情報だけで勝負しようとすると、
いつまでも苦しくなります。
2日前の記事は、スキが2つだった
僕はnoteを毎日書いています。
同じ僕が書いているのに、
ある記事にはスキが28ほど付き、
別の記事には2つしか付きませんでした。
もちろん、
AIにも手伝ってもらっています。
でも、考えたことも、
伝えたかったことも僕のものです。
書いた人間は同じです。
それなのに、
数字には大きな差が出ます。
こんなとき、
「今回の記事は価値がなかったのか」
と思いそうになります。
もっと有益なことを書けばよかった。
もっと読者に合わせればよかった。
もっと受ける題材を選べばよかった。
そうやって、
少しずつ自分の話をやめてしまう。
でも、それを続けていると、
いつか誰が書いても同じ記事になります。
見られるために書いているうちに、
自分のことを何も話さなくなるのです。
「知っている」で終わる人もいる
記事を読む人の中には、
「その話は知っている」
と思った瞬間に、
読むのをやめる人もいます。
それ自体が悪いわけではありません。
必要な情報を探しているときは、
知っている話を飛ばすこともあります。
僕だって同じことをします。
ただ、
いつも知らない情報ばかり探していると、
人を読むところまで進めません。
同じ内容でも、
この人はどう考えたのだろう。
この人は何を経験したのだろう。
この人は今、どこに立っているのだろう。
そこを見るようになると、
文章の読み方が変わります。
会話では、
一度聞いた話でも聞けるのに、
文章になると急に厳しくなる。
「あ、それ知ってる」
と閉じてしまう。
でも本当は、
知っている内容の中にも、
その人にしか出せない温度があります。
スキは、答え合わせではない
僕は最近、
スキを挨拶のようなものだと
考えることがあります。
「読みました」
「ここに来ました」
「今日も書いていますね」
そのくらいでもいい。
必ずしも、
「この記事は有益でした」
「新しい知識を得ました」
という評価だけではないはずです。
人が一生懸命に書いたものに触れたなら、
何かを受け取った印として、
スキを置いて帰ってもいい。
もちろん、
押すかどうかはその人の自由です。
押してくれと
強制したいわけではありません。
ただ、スキの数だけで、
この記事には意味があった。
この記事には意味がなかった。
と決めなくてもいいと思うのです。
スキは文章の価値を測る採点ではなく、
人と人が触れた印でもあります。
自分の話を、堂々とすればいい
では、
僕たちは何を書けばいいのか。
僕は、次の3つでいいと思っています。
自分が実際に経験したこと
そのとき自分が感じたこと
今の自分が考えていること
題材そのものは、
誰かと同じでもかまいません。
同じ本を読んでも、
引っかかる場所は違います。
同じ失敗をしても、
あとから考えることは違います。
同じ情報を知っても、
どの言葉で人に渡すかは違います。
海に行った人は大勢いても、
その日の僕として海を見た人は、
僕ひとりしかいません。
そこまで書けば、
ただの情報ではなくなります。
新しい事実を作る必要はありません。
自分の人生を通して、
もう一度言葉にすればいいのです。
人は、情報から人へ移っていく
最初は、
役に立つ情報を探していた人も、
何度も同じ書き手に触れていると、
「この人は今日は何を書くのだろう」
と思うようになります。
ここまで来ると、
情報だけを読んでいるのではありません。
その人を読みに来ています。
知っている話でも読む。
似た話でも読む。
ときには日記のような話も読む。
なぜなら、
内容だけではなく、
書いている人に興味があるからです。
この関係は、
一度の記事ではできません。
似たことを何度も書きながら、
少しずつ作られていきます。
同じ価値観を、
違う体験から何度も伝える。
昨日の自分と、
今日の自分の違いを書く。
それを積み重ねた先に、
「この人の話だから聞きたい」
という人が残ります。
去る人ではなく、残る人を見る
「あ、その情報見た」
と思って去る人は、
これからもいると思います。
その人たちを、
止めることはできません。
だから、
そこを気にしすぎなくていい。
知らない情報だけを探す人に合わせて、
自分の話を消す必要はありません。
むしろ大切なのは、
同じような話でも読んでくれる人。
自分の体験に耳を傾けてくれる人。
また来てくれる人。
その人たちです。
大勢に新しい情報を渡すより、
必要な人に自分の言葉を重ねていく。
僕は、そのほうが
長く続くと思っています。
すでに誰かが話したことでもいい。
自分の人生を通った言葉なら、
それは、まだ誰も話していない。
だから今日も、
自分の話を堂々と書けばいい。
「あ、その情報見た」と去る人ではなく、
「この人の話を、また読みたい」と
残ってくれる人のために。
もし、
「自分らしく書けばいい」
そう思えたなら、
僕がどうやって「売れる記事」ではなく、
「また読みに来てもらえる記事」を目指すようになったのか。
その流れを、一つの場所にまとめています。
大勢に届く方法ではありません。
必要な人と、もう一度つながるために、
僕が19年かけて少しずつ作り直してきた考え方です。
興味があれば、こちらから読んでみてください。
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