北京相席チャンス白熱レース
全4話。第2話はこちら↓
我的北京之旅(三)”要拼桌的? “ ”要要要!这里这里!”
私が当時の留学仲間達に「北京に行って来たよ」と報告すると、皆んなが一斉に羨ましがるのは万里の長城でもなく、天安門広場でも紫禁城でもなく、「五道口」という地下鉄の駅である。私達の通っていた大学はここが最寄りで、この駅の周辺で数えきれないほどの食事をし、買い物をし、泣いて怒って笑って成長した。
この日は朝早くから五道口にやって来たが、大学には見たことのないゲートが出来ており、身分証だか学生証だかをかざさないと入れない仕組みになっていた。来る前から、なんとなくそんな予感はしていた。事前に予約して見学を申し込めば入れないこともないようだが、それはきっと受験生などが来ることを想定していて、かつて通っていた者がふらっと「懐かしいので〜」と訪れるためのものではない気がする。
ここに来れば、もっと「懐かしい……!」を全力で感じられるかと思っていたが、懐かしさを感じるにはちょっと風景が変わりすぎていた。この辺は多数の大学が集まる大学街でもあったので、かつてはお昼ご飯の時間になると縁もゆかりもない真向かいの大学にずかずかと入っていって、グシャグシャになった汚い10元札なんかをポケットから出し、マーラータンを食べるのを日課にしていたが、そんなことも今の留学生達は出来なさそうである。
それでもなんとか当時の面影を残したまま生き残っている駅前のショッピングビルをぐるぐる見学し、お昼はまた評判の店で水餃子でも食べようと地下鉄に乗った。
相変わらず一駅一駅の間隔が長い。長すぎる。水餃子を食べるだけのために一体何十分電車に揺られなければならないのだろうか。タイパタイパ言っている効率重視の忙しい人達にこの非効率的な移動を見られたら嘲笑われそうだ。
そんなことを思いながらぼーっと地下鉄のアナウンスを聞いていると「望京西〜望京西〜」と聞こえた。どこかで聞いたことのある駅名だ。次の瞬間ハッとした。慌てて夫に声をかける。「北朝鮮レストランのお店、次の駅だ!」「えっ」「降りよう」「水餃子は?」「水餃子はもういい!」
実は北京旅行を決めた時、中国自体初めての夫に「北京のどこに行ってみたい?」と聞いたら、一番最初に返ってきた答えは「北朝鮮直営のレストラン」だった。北朝鮮が運営しており、本場の冷麺や焼き肉が食べられるというので、貴重な体験には違いない。そしてその貴重な体験がより魅力的に映るのは、ここが韓国人お断り、の場所だからでもある。
本当にお断りなのであれば、身分証のチェックをすれば確実だと思うのだが、それはしない。口頭で何度も韓国人ではないか確認されたり、朝鮮語を聞き取れないか試されたりするのみ。だからYouTubeなんかを検索すると、大勢の中国人に紛れて北朝鮮レストランに潜入してみた、みたいな韓国人の動画が溢れている。ただ、韓国人だけで訪れるのはなかなか難しい場所であることは間違いないだろう。
行かなければ帰ってからも後悔するだろうと思う一方、郊外にあって出向くのも大変そうだし、少し怖い気持ちもあるし、で、あまり積極的に行き方を調べないまま三日目を迎えていたのだった。
明日は午後一には空港に着いて帰国である。今行かなければもうここまで来ないだろう。非効率的に動いていていいこともあった。我々はあっさり水餃子を手放し、望京西で下車した。
入店すると早速「二人とも中国人ですね?」と確認されたので、「(私は)日本人です」と回答して席についた。店内はとても煌びやかな装飾で、奥にはこれまた豪華な個室もあり、政治家の接待などにも利用されているんだろうなと想像できる。
メニューを開いて注文しようとしたら、また「韓国人ではないですよね?」と中国語で聞かれた。韓国語には反応してはいけない、してはいけない、と頭の中で反芻するあまり、「韓国人ではないですよね?」という問いかけの中国語が、中国語なのか韓国語なのかが一瞬わからなくなり、「はい、(私は)違います」と答えるまでに数秒間の変な間が生まれてしまった。
嘘つきは饒舌になる。なんだか無駄に声を張り上げ、日本語で「わ〜美味しそう、どれにしよう〜」とかオーバーリアクションをしてしまう。頼んだいくつかの料理はとてもおいしかった。本場の冷麺とビールも堪能できて満足した。



問題は、支払いであった。
……夫のアリがエラーで支払えなかった。金額が高いから?いや、昨日の北京ダックはこれより高かった。だけど支払えた。私は一瞬頭が真っ白になった。どうしよう。今の中国はキャッシュレスオンリーだからなんて言っていないで、現金を多少なり準備しておくべきだった。でももう遅い。ここで夫と分かれて一人が店に残り一人がキャッシングできるATMを探してこの広い郊外の街を彷徨うなんて不安が大きすぎる。
なぜよりによってこんなところで夫のアリまでエラーになるのか。自業自得なのに目に見えない何かを恨みたくなった。店員さんに覗き込まれても大丈夫なように夫のスマホの言語を韓国語から日本語に変えておいたのはナイス判断だったが……。
中国人に紛れて潜入してみた!系のYouTube動画はいくつか見たものの、満足に食事を済ませて最後の最後で実は韓国人だったことがバレてしまいました〜、という内容の動画は私が見た中には存在しなかった。食事前なら追い出されるのだろうが、美味しくいただいた後でしかも支払いがうまくいっていない場合はどうなってしまうのだろうか。
ずっと処理中画面のまま動かない夫のアリに店員さんも困り果て、我々は我々で店員さんの知り得ないところでパニックに陥っていた。なんだか上の人まで出て来て大ごとになりそうである。そこで私は無謀な提案をしてしまった。「あの、現金、日本円ならあるんですけど……」
まだ昼間だし、銀行で両替して来なさい、と一蹴されて当然であるが、実際に食べた金額よりも少し多めの金額を提示してみると、奇跡的にもこの提案は受け入れられた。
極度の緊張からか、やりとりの途中から私は便意をもよおしていた。しかしさすがにこの状況で「最後にトイレに行かせてもらってもいいですか」と言う勇気はなく、日本円で会計を終え「本当にすみません」と本場仕込みの低姿勢でへこへこ謝り、「いいの、いいの、大丈夫」と優しく言っていただいた後、逃げるようにお店を出て駅(のトイレ)に向かって全速力で走った。そんな今日は結婚記念日。
夫とは「貴重な体験だったけど、嘘をついて食べるって最後までこんなに落ち着かないことだとは思わなかった」とか「やっぱりどんなトラブルがあるか分からないから現金は準備しておかなければ」とか至極当たり前のことを言い合った。
私は初めてドラマではない本物の朝鮮語を聞けたことに少し感動を覚えていた。そして、ある言語を話せるのに話せないふりをすることは簡単だが、聞き取れるのに聞き取れないふりをするのは容易ではないことを学んだ。
その後は、大型スーパーを散策したり、スーパーから地下鉄の駅に歩いて行く道すがら、北京の伝統的な住居である胡同が連なる道に迷いこんで感動を覚えたりした。おしゃれなバーなどに生まれ変わった胡同ではなく、今尚北京の人々が暮らす本物の胡同。数十年前の北京にタイムスリップしたかのような感覚だった。その空気感までは写真には到底おさめることが出来ず、体全体で胡同通りを味わった。
北京の中でも忘れられない、胡同の並ぶ道の息遣い。よくぞまだ残っていてくれた。ここだってもう、次に来た時にはなくなっているかもしれない。本日2度目の、非効率移動による収穫である。
天壇公園まで行ったら、今日は休みなので奥までは入れないという。そういえば、今日は月曜日で、月曜日が休みの施設が複数あったのを思い出した。当然天壇公園が月曜休みであることも把握していたのだが、何度もスケジュールの変更を繰り返しているうちに今日に滑り込ませてしまったのだ。夫と相談して、やっぱりあの祈念殿は見ないとねえ、とぼそぼそ言い合い、「やっぱり明日出直します」と言ったらパスポートを無言で思いっ切り投げて返された。こういうところは変わっていない。
天壇にフラれたので、予約していた天安門広場に早めに行くことにした。天安門広場なんて!広場なんだから!かつては駅を出たらいつでも誰でも自由に辿り着ける場所であったのに、広く柵で囲まれており、予約無しでは全く近づくことが出来ない状態になっていた。
荷物検査を2回ほど行い、服の中にまで手を突っ込まれての身体検査があり、ようやく解放されて天安門に辿り着いた時には「ここに来るのにこんなにまでしなきゃダメ……?」と疲労困憊であった。
夕食は羊鍋と決めていた。北京の鍋といえば、今日本でも流行りの味つきスープの火鍋ではなく、さらのお湯で羊の肉をしゃぶしゃぶしてタレにつけて食べるものだ。東京でラム肉を頼んでも出てくるのは限界まで薄く切ったぴらぴらのラム肉をくるくる丸めて冷凍したものである。せっかく北京に来たのだから、あのぴらぴらくるくるではなく、新鮮で美味しい生のラム肉をたくさん食べたいと意気込んでいた。
昨日のミシュランだかなんだかの炸醤麺屋さんで「中国人も飲食店には何時間も並ぶ」ということを学んだばかりだったが、目星をつけていた羊鍋の店も、それ以上に並んでいた。整理券をとると230番代であったが、まだ呼ばれているのは70番である。
昼間の教訓を活かして、ATMでキャッシングを行い、銀行のカードで人民元を引き出して戻って来ても、隅から隅までメニューに目を通し、頼みたい具材をほぼ暗記してしまっても、まだ100番代の人が呼ばれている。この時点でもう2時間ほど経過していた。いつの間にか夜の8時である。このペースで待っていたら、今日中に我々の食べる順番は回ってこない。
少し前から、店員さんが時々声を張りあげ、「相席でもいい人〜?」と言っているのに気づいていた。相席はちょっとなあ……と思いスルーしていたが、ここまでくると相席でもいいかなあという気もしてきていた。しかもこの突如訪れる相席チャンス、店員さんが呼びかけた瞬間、中国人のお客さんと競い合いながら徒競走ばりの速さでその店員さんの元に走り行き、「はいはいはいはいはい!」と自分の存在をアピールし、相席チャンス券をもぎ取らなくてはならない。そしてチャンス券を手にしたら、勝利の喜びに浸る間もなく、限られた時間で自分の頼みたいメニューを早口で伝える必要があるのだ。相席希望者は多いので、チャンス券は一瞬で締め切られる。
何度目かに「相席希望する人〜?」と言われた時、私は店員さんまでのその10メートルかそこらの距離を全力ダッシュで走って行った。勢い余って突撃するほどのスピードだった。チケットをとり、待ち時間に暗記するほど読み込んだメニューから食べたいものを澱みなく列挙し、最後に「これで二人分のつもりなんですけど、量どうですかね?」とチェックして「ちょうどいいくらいでしょう」と店員さんのお墨付きをもらう余裕までみせる。
案内されたのは、私達の待っていた場所からは見ることの出来ない奥まった場所にある、貸切用の個室の円卓だった。なるほど。相席ってこういうことだったのか。日本の感覚で、なんとなく二人客と二人客を組み合わせて4人席に座らせたりするのかと思っていたが、12人は座れる円卓をシェアして使うということだったのだ。これはいい。スルーしていないでもっと早くレースに参加すればよかった。
我々含め二人客が6組ほど席についたところで、次々と鍋が運び込まれ始めた。鍋は一人一つ、肉や野菜は大皿で届いて夫婦でシェアして食べる。
新鮮な羊はとても美味しく、私はガツガツ食べた。先ほどATMからキャッシングしてきた人民元が鞄の中にあるという安心感が私の食欲を増幅させる。思えばこの三日間の中で、これほど安心して食事をしているのは初めてではないだろうか。いい値段の料理を頼んでおいて「でもお金が払えるか払えないかわからない。私のアリは使えないし、夫のアリも謎のエラーで払えない可能性がある」という不安を抱えながら食べるのが、精神衛生上良い訳がない。

たらふく食べて満足し、贅沢だわあ……と会計しようとしたら、また夫のアリが不機嫌モードに入った。心底、待ち時間に人民元をおろしておいた自分達のナイスプレーに感謝した。堂々たる振る舞いで現金を取り出し、支払いを終えて店を出る。
短時間で極度の緊張を感じたり、安心感に包まれながら羊を食らったり、高低差の激しい一日だったが、人間らしく生きている気がして楽しかった。
私は日本ではモバイルSuicaを振りかざすSuica盲信人間で、現金をちょっと小馬鹿にしていたが、今日心から「最後に信じられるのは現金」だと思った。
