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北京スリリング・タイムアタック

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我的北京之旅(四)故地重游之旅圆满结束 北京,我走了

 最終日は午後3時半の便で帰国の予定だった。ホテルから空港までは鉄道で1時間くらいの距離である。つまり1時半頃には空港に到着している必要があるとしても、12時半までは北京の街で遊べるという算段だ。

 実質残された時間は午前中の限られた時間のみだが、我々にはまだ大きなミッションが残っていた。天壇公園と景山公園の観光である。
 私の記憶では以前の北京は万里の長城を全面に押し出して観光ポスターのイメージなどに使用していたような気がするのだが、今回北京に行って感じたのは、いつの間にか天壇公園の中にある祈念殿が北京のイメージイラストに主に使われるようになったようだ、ということだった。
 やはり全ての人がスマホを手に撮影する時代、青空をバックに撮る天壇公園の記念殿は他のどのスポットよりも写真映えするからだろうか。

 昨日は入ることができなかった天壇公園であるが、今日は無事中まで入り素晴らしい青空をバックに祈念殿を拝むことができた。まだ朝の9時くらいだったので、祈念殿の歴史についての展示写真をじっくり眺めたり、緑に囲まれた公園を歩きながら野生のリスを微笑ましく観察したりしてゆっくりと過ごした。あっという間に10時になった。

 慌てて、紫禁城を上から臨める景山公園に移動するが、これまたそれなりに距離があるため、到着した頃には11時になっていた。
 この辺りから段々雲行きが怪しくなってきた。
 私は、やるべきことよりもやりたいことを優先してやるタイプの人間である。試験が終わったご褒美に漫画を買うのではなく、読みたい漫画を全て読み終わってから試験勉強に取り掛かるタイプだ。つまり今日も、段々時間がなくなってきていることには薄々気づいていたが、行くと決めた景山公園を削ることは頭になかったし、北京での最後のランチを適当な肉まんやコンビニのおにぎりで済ませる選択肢も考えていなかった。
 景山公園で紫禁城を眺め、ホテルのある王府井に戻ってどこかのお店で北京らしいものを食べ、更にはチェックアウト後に預けてきたキャリーケースをホテルまで取りに行き、更に更にまたそのスーツケースを手に駅まで向かわなければならないのである。

 二日目に38000歩も歩いたと書いたが、実は昨日三日目にも38000歩を歩いていた我々の足はそろそろ限界を迎えそうだったが、やり切るほかない。

 といっても例によって最寄りの地下鉄の駅から景山公園まで徒歩20分、公園の中で少し上の展望エリアまで登っていくのにまた数分、この日のあまり澄み渡っていない空気の中モヤの中に潜む紫禁城をサッと見てから降りていくのにまた数分、などとやっていたら、信じられないスピードで時が流れていった。

 計算と計画が苦手で有名な私もさすがに時間が足りないことをはっきりと自覚し焦り始める。もう足も動かない。ここでこの旅初めて流しのタクシーを止めて乗り込んだが、北京らしく激しく渋滞しており歩いた方が早いんじゃないかと思われた。
 王府井の駅付近で降ろされる時、メーターは23元を指していた。ここで、お土産のチョコレートを買ったり別の店でお茶を買ったりしていた時にはずっと順調に使えていた夫のアリがまた不具合を起こした。
 私は心の中で、いつもギリギリなのになぜか飛行機を乗り逃したことはない人生だけど、今日こそは本当に間に合わないかもしれないなあ、と思った。
 現金もあるが、大きいお金しかない。相手は受け取るだろうがお釣りはないだろう。たった23元のために100元札を渡して、釣りはいらぬ、と降りるのはあまりにも悔しい。しかしここで浪費している時間もない。疲れと焦りでイライラがピークに達している我々。さあどうする。
 ふと、夫が鞄の中から茶封筒を取り出した。そこには、二日前に万里の長城から市内に戻るバスに乗りたかった時「ホテルに置いてきた」お金が入っていた。5元札4枚と、1元札3枚。合計は、23元!
 奇跡だ、と思った。なんともレベルの低い奇跡であるが、奇跡には違いなかった。ぴったりの現金を渡し、降りる。王府井エリアで降ろしてもらった、といっても範囲が広すぎるので、降ろされた場所はホテルからも食事所からも離れていた。
 この時点で12時。これでホテルにキャリーケースを取りに行き、また駅まで戻って来て地下鉄を目指せば、なんとか予定の12時半を少し過ぎて12時40分くらいには地下鉄に乗れるかどうか、という時間だ。

 だがしかし、私はやりたいことを優先するタイプで、計画性に乏しい。また二人とも歩き疲れている上に、判断力も鈍っている。
 というわけで、信じられないことに我々は炸醤麺の店に入店した。二日目にテイクアウトして食べたあの店の王府井店である。「国際線は2時間前なんて誰が決めたんだ」「1時間半前だって間に合うに決まってる」などと口々に言い合って自分達の理解し難い行動を正当化し、ガツガツと炸醤麺を頬張った。卓上に置いてあり自由にトッピングできる緑色をしたにんにくの漬け物が美味しくて、私は何個も何個も追加して食べた。

 炸醤麺の消化もままならないまま、ホテルまでキャリーケースを取りに行くために走り出した。夫がもう足が痛くて走れないと言うので、私はかっこよく「歩いて来ていいよ。私が走って取りに行くから!」と言いながら走り去った。さながらヒーロー。頼りになる自分に惚れ惚れしながら走った。
 だがしかし、忘れていたが私は方向音痴なのである。更に、毎日夫とおしゃべりしながら歩いていた時には大した距離ではないように思えた道のりが、実は非常に遠いのではないか、ということに走りながら気づいてしまった。炸醤麺の店からホテルまで、全力で走っても15分以上かかるのだ。
 でもかっこよく走り去った手前、私は自分を信じて走り続けた。方向音痴というのはなぜか自分を信じているからタチが悪い。どうせ真っ直ぐ行って最後に右に曲がるだけ、と記憶を頼りに走ったが、どこで右に曲がるのかを思い出せず、私は目的地を過ぎても走り続けた。
 何かおかしい、と思ってようやくスマホを取り出し道を調べ、どうやら曲がるべきポイントを既に過ぎているらしい、ということに気づいた時にはさすがの私も絶望した。
 そしてまた全力でホテルに向かって走っていると、なんとゆっくりゆっくり疲れた足でなんとか歩いて来た夫と再会した。私は信じられない、という顔で夫を見て、夫はもっと信じられない、という顔で私を見た。唖然、といった表現がぴったりの表情だった。
 夫は私が方向音痴であるという事実を忘れていなかったため、かっこよく走り去った私がホテルに辿り着けないのではないか、と思ったらしい。しかしもう走る力はないので後ろからゆっくり歩いてきたそうだ。途中で、もうそろそろ私がキャリーを引いて折り返してきてもいいはずだ、という時間になっても全く姿が見えないため、やはり私が迷ったことを確信したとのことである。
 こんなに切迫した状況でも数日泊まって何度も駅から往復したホテルに到着できないなんて、私の方向音痴は本物なんだなあ、と私は自分で自分に感心した。
 夫と二人でホテルの受付に向かいキャリーを無事受け取った後は、もうなるべく時間のことを気にしないようにして駅に向かって走った。
 だって、走るしかない。運が良ければ間に合うし、良くなければ間に合わないだろう。こちらはベストを尽くすのみだ。

 地下鉄から空港鉄道への乗り換えも走りに走って、空港には2時に到着した。飛行機の時間は3時半なので1時間半前の到着である。目標の2時間前到着からはだいぶ遅れてはいるものの、絶対に間に合わない、という時間でもない。
 カウンターに並ぶが、これがなかなかの列である。時間の余裕がないためか、進みも亀の歩みの如く遅く感じる。15分以上待って、やっと順番が回ってきたが、パスポートを渡して待てども待てども一向にチケットが発券される様子がない。何を言っているかまでは聞こえないが、スタッフがパソコンの画面を覗き込んでこそこそ話したり、どこかに電話をかけたりしている。
 ここまで来たのに!両隣のカウンターではもう何人もが荷物を預けチケットを受け取って去って行った。何か問題があったのだろうか。予約の日付を間違えていたとか、実はチケットを買えていなかったとか。
 急に、カウンターのお姉さんが無言で私に向かってニュッとスマホの画面を突き出した。そこには翻訳アプリで翻訳した日本語で「あなた達は英語でコミュニケーションがとれますか?」と書いてあった。いよいよ不安になりながら、私が「中国語、できますけど……」と答えると、パッと明るく優しい表情になって「隣の彼は?」と中国語で私に尋ねる。
「夫は、できませんね」
「英語も?」
「英語もできません」
「そういうことなら、あなた達には離れた席に座ってもらうしかなくて」
 なんということだ。
 帰りのオンラインチェックインについてはやる前からもう諦めていた。帰りの数時間くらい席が離れたってなんてことないし、そんなこと気にもしていなかった。この人は我々の席をなんとかくっつけようとして、一生懸命ああでもないこうでもないとパズルを組み合わせていたのだが、最終的にどうしても無理だった、ということのようだった。
「いいんです、いいんです、席は離れても!それよりもう時間がなくて!」
と慌てて伝えたが、その後も彼女は職業病なのか性格なのか絶対に席を少しでも近づけたいらしく、チケットを何度も発行してはシュレッダーにかけ、ああでもないこうでもないと座席パズルに勤しんでいた。
 やっとのことでチケットを受け取った我々は、荷物を預け、手荷物検査も身体検査も終え、後は出国審査を残すのみ、となったところでまた出国審査の列に絶望した。大人しく待っていたが、どうにも間に合わない気がする。
 考えたくないが、北京は当然空港も広いのである。私はその昔留学を終えて帰国する際、空港に早く到着して余裕をかましていたら、実は飛行機の搭乗口がとんでもなく遠いところにあり、最後は1分の猶予もなく泣きながら空港内を走り、最後には空港内を走るカートに10元で乗せてもらってなんとか飛行機に飛び乗ったという悲しい思い出をもつ。
 しばらく並んだところで、もうダメだ、と確信し、手を揚げてスタッフに「もう無理です。あと15分でチェックイン締め切りなので。もう間に合わない」と先ほどバリバリ噛んで食べた生にんにくの漬物のにおいを振り撒きながら申告した。早くから余裕をもって行動していた方々には心から申し訳ないが、スタッフが「これはもう無理だね」と特別に一番に通してくれた。
 出国審査を終えると、全力で搭乗口まで走った。もう荷物は預けてしまったし、出国してしまったし、飛行機に乗るしかない。記憶のとおり、空港内はとんでもなく広かった。疲労困憊の体に鞭打って、我々は震える太ももを前へ前へ動かし、なんとか締め切り前に飛行機に飛び乗った。

 私の座席は非常に広々とした場所で、非常口の隣であった。ここに座る者はできれば中国語、そうでなければ英語ができる必要があるのだそうだ。チケット発券の時に英語ができるか聞かれたことを今思い出して、そういうことだったのかと納得する。先ほどはあまりに焦っていて、なぜそんなことを突然聞かれたのか、それがなぜ私と夫の席が離れることにつながるのかを疑問に思う余裕さえなかった。

 非常口の隣に座ってのフライトは広々としていてとても快適で、幸いなことにここで自分の中国語能力を発揮する事態も起きず、我々は何事もなかったかのように羽田空港に到着した。私は日本人のレーンで入国手続きをし、夫は外国人のレーンで入国手続きをした。
 旅行、楽しかったなあ、と思った。そしてこれから国際線に乗る時は絶対に2時間以上前には空港に到着しようと、強く心に誓った。

(完)

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