【エッセイ:第9回】「ふつうにおいしい」という不思議 🍜
「ふつうにおいしい」――
テレビで芸能人が食レポをしていると、よく耳にする言葉ですよね。
でも、なぜかいつも少し引っかかるんです。🤔
美味しいなら素直に「おいしい」と言えばいいのに、なぜわざわざ「ふつうに」をつけるのだろう?
おかげで、「すごくおいしい」でもなく、「まずくはない」でもない――そんな微妙なニュアンスが漂ってしまう。
私だけでしょうか、この「ふつうに」に違和感を覚えるのは。
「ふつう」という言葉のあや🌱
「ふつう」という言葉は、私たちの日常にあまりにも自然に溶け込んでいます。
「ふつうに辛い」「ふつうに面白い」など、私たちは無意識のうちに口にしてしまう。
けれども、よく考えてみると――
その「ふつう」の基準って、人によってまったく違うはずなんです。
味覚や感性、生まれ育った環境、文化、言語、そして日々の経験。
それらすべてが、その人なりの「ふつう」を形づくっている。🌍
「ふつう」に寄りかかる私たち🪞
それでも私たちは、「ふつう」という言葉にどこか安心して寄りかかってしまう。
「特別でもない」「極端でもない」――その中間的な響きが、他者との衝突を避け、自分の意見をやわらかく伝える便利な道具になっているのかもしれません。
テレビの食レポで「ふつうにおいしい」と言うのも、強く断定することで生まれる違和感を避け、誰にとっても受け入れやすい“共感”を演出するためなのかもしれませんね。📺
「誰のふつう」なのか?🔍
けれども、そこにこそ私はもやもやを感じます。
「ふつう」と言いつつ、それが一体“誰のふつう”なのかが見えてこない。
ある人にとって「すごくおいしい」ものが、別の人には「まあまあ」かもしれない。
そう考えると、「ふつうにおいしい」という言葉は便利なようでいて、どこか他者の感覚を置き去りにしているようにも思えてくるのです。
「ふつう」を問い直す時代へ🌈
いまの時代は「多様性」が尊重される時代。
国籍、性別、価値観、生活スタイル――
見える違いもあれば、見えにくい感覚の違いもあります。
だからこそ、「ふつう」や「当たり前」といった言葉を使うとき、
私たちはもう少しだけ敏感になってもいいのかもしれません。
あなたの「ふつう」、わたしの「ふつう」💬
自分にとっての「ふつう」が、他人にとっては「異質」かもしれない。
逆に、自分にはピンとこないことが、誰かにとっては「ふつう」の日常かもし④ない。
そんなふうに考えるだけで、言葉の背後にある多様な世界が見えてくるような気がします。
言葉の奥にある世界を感じて🌸
「ふつうにおいしい」の一言にも、
その人なりの経験や文化が映りこんでいるのかもしれません。
そう思うだけで、言葉に対する見方が少し変わってきます。
私たちはみな、自分なりの「ふつう」を持って生きている。
だからこそ、「ふつう」という言葉を使うとき、
ほんの少しだけ立ち止まって考えてみたい。
その「ふつう」は、どんな背景や価値観とともに語られているのだろう?
「ふつう」が交わる世界へ🌏
多様な「ふつう」が共存する社会は、たしかに不便かもしれません。
でも、そのぶん世界はずっと豊かで、奥行きがある。
だから私は、これからも「ふつうにおいしい」という言葉に
少しだけ引っかかりながら、
誰かの「ふつう」を丁寧に受けとめていきたいと思うのです。🍵
次回は、「言葉に保険、かけてませんか?」をお送りします。毎週水曜日更新です。ご期待ください!
全エッセイの目次はこちらです。
✨拙著『日本の英語教育のゆくえ』のコラム3本も以下の記事でお読みいただけます✨
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