【エッセイ:第24回】🌏 時代に翻弄されながらも、伝えるべきこと
バブル就職の売り手市場。
そして、就職超氷河期時代――。
こうした言葉に象徴されるように、
「時代に翻弄された」と感じる世代は、きっとどの時代にも存在するのだろう。
👶 私は第二次ベビーブーム世代。
子どもの数が多く、受験も就職も、常に競争と隣り合わせだった。
教職を志し、努力を重ね、運よく教師になることができた。
そこには「狭き門をくぐった」という自負と、
どこか「選ばれた存在なのではないか」という感覚すらあったように思う。
🏫 しかし、今の教育現場を取り巻く状況は、当時とはまるで違う。
教職を志す若者は年々減少し、
教員採用試験の倍率も下がり続けている。
かつては
「なりたくてもなれなかった職業」だった教師が、
今では
「なれるけれど、なりたがられない職業」へと変わりつつある。
⚠️ 過重労働、理不尽なクレーム、成果主義、
そして保護者との関係――。
教育現場が抱えるこうした課題は、
確実に若者たちの心を遠ざけている。
もし、かつて教師になりたくてもなれなかった私たちの世代が
この現実を目の当たりにしたら、どう感じるだろう。
「時代のせい」と片付けるには、
あまりにも胸の奥がざわつく。
📞 そんな中、耳を疑うような話を聞いた。
最近では「退職代行業者」というものがあり、
就職したばかりの会社を辞める際、
本人に代わって業者が連絡をしてくれるという。
最初は正直、驚いた。
「それくらい自分で言えばいいのに」と。
だが、裏を返せば――
それほどまでに、若者たちは精神的に追い詰められているということなのだろう。
🗣️ 自分の言葉で思いを伝える。
かつては当たり前だったこの行為が、
今では大きなハードルになってしまっている。
さらに、「〇〇ハラスメント」という言葉が、
職場や学校に過剰に広がっている現実もある。
パワハラ、セクハラ、モラハラ、アカハラ、オワハラ、マタハラ……。
そもそもこういう話題を持ち出すこと自体が「ハラハラ」なのだとか……。
😔 上司が部下を指導しようとしても、
「ハラスメントと受け取られたらどうしよう」と口を閉ざす。
善意からの助言さえ「強要」と捉えられ、
厳しさの中にある愛情も、言葉にしづらくなっている。
教育現場でも、
「言いすぎたかもしれない」
「感情的だったかもしれない」
そうやって教師自身が自己規制してしまう光景を、私は何度も見てきた。
🚫 もちろん、人格を否定する言葉や暴力的な指導は、決して許されない。
けれど人は、ときに
耳の痛い言葉からしか学べないこともある。
その瞬間には理解できなくても、
時を経て、
「あの一言があったから今の自分がある」
と気づくことだってあるはずだ。
その“本気の言葉”までが
ハラスメントという一括りで封じられてしまうとしたら、
それはあまりにも大きな損失ではないだろうか。
🔄 時代は変わる。
価値観も変わる。
それでも――
「人が人を育てる」という営みの本質は、決して変わらない。
退職代行に頼る若者も、
何も言えなくなった上司も、
きっとどこかで
本音で語り合える場を求めているのだと思う。
教師である私たちができることは、
その対話の扉を閉ざさないこと。
そして、自らの姿勢と言葉で、誠実に向き合い続けることだ。
🌱 バブルに踊った世代も、氷河期を耐え抜いた世代も、今を生きる若者たちも――。
それぞれの時代に揺れながら、
それぞれの場所で、懸命に生きている。
どの時代であっても、
「何を選び、どう生きたか」。
その選択が、やがて誇りになる。
📘 教師という仕事には、
そのことを次の世代へ伝えていく使命がある。
変わりゆく時代の中で、
変えてはならないものを、静かに、しかし確かに語り続けること。
それこそが、私たちに託された役割なのだと、私は信じている。
📕 拙著『日本の英語教育のゆくえ』では、
こうした「時代の変化」と「教育の本質」のはざまで、
私たちは何を守り、何を変えるべきなのかを、
現場の実感をもとに綴りました。
制度や方法論の前に、
人を育てるとは何かを、もう一度考えたい方に、
ぜひ手に取っていただけたら幸いです。
📖 次週の予告
(毎週水曜日更新です。ご期待ください!)
第4章 社会の中の「私」
― 他者とともに形づくられる〈私〉
【第25回】止まらないための力学
エッセイ全体の目次はこちらです。
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