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理想の歴史教科書界隈(15)教科書のパート構成案

 藤岡信勝氏は、40年前にこれからの社会科教科書のあり方として以下の4点を「提案」をしていました(藤岡信勝「社会科の教科書のあり方?魅力ある教材づくり」柴田義松編『教科書』有斐閣選書)。

①思い切って辞書並みの厚さにする。
②教育内容のパート、文章教材のパート、資料集のパートと分ける。
③資料集に特化する。
④戦後の文部省教科書のように一単元一教科書とする。

 繰り返しますが、上記の提案は40年前のものです。当時と現在では子どもたちの学習環境は大きく変化しています。とくにテクノロジーの進歩によるデジタル環境の変化は大きいです。
 
 現在の状況から判断して①③④は実現するのは難しいと思われます。
 ①はすでに教科書の教室置きは許されてはいるものの、やはり自習やテスト勉強等での家庭への持ち帰りは必要です。日本においてこれ以上「厚い」教科書は現実的ではありません。但し、デジタル教科書が中学校現場で無償購入可能になればこれは可能性があります。③もタブレット端末の利用によるリサーチ学習が広まっていますので、資料集に「特化」するのはあまり意味がないと言えるでしょう。④は現状の教科書採択と販売を考えると実現は難しいです。
 
 しかし②のコンセプトは十分に実現可能と考えます。そこで藤岡提案の②を基本コンセプトと考えて、そこに私の提案を加えてみたいと思います。②の提案を、ひとつの単元の構成に当てはめてみます。

(1)「教育内容パート」としての「扉」…時代区分ごとに2ページ
 ここは主に教育内容のパートです。時代区分のトップページに「この時代を見る視点」として指導要領の目的と内容を踏まえてガイドとなる文章を提示します。そしてこの時代の中心人物数名と時の天皇の肖像画・写真を並べ、簡単なキャプションを付けます。これでこの時代で何を学ぶのか?どんな人物の行動に注目すればよいのか?という見通しを持つことができます。さらに、この「扉」で社会科問題解決的学習で言うところの「単元を貫く課題」を見通せるようにしたいと思います。課題を発見するための導入として画像+資料ワンセットを提示してもいいですし、課題集のようなものを提示してもいいかもしれません。

(2)「資料集パート」としての「本文」「図版」「脚注」…一つの単元につき2ページ
 ここは資料集のパートです。見開きの左ページで統計資料、画像資料、史料からの引用を並べます。簡単な学習ガイドを付けます。その読み取りは児童・生徒に任せます。そして、右ページには従来のいわゆる「本文」を載せます。「本文」も資料として位置づけます。ここのパートのコンセプトは客観性です。客観的な資料と客観的な文章による説明です。児童・生徒が本文で「知識」を得て資料と突き合わせて「思考・判断・表現」する場です。

(3)「文章教材パート」としての「コラム」…時代ごとに10~20コラム
 ここは文章教材のパートです。本文も文章教材ではあるのですが、ここでは抽象性を排して具体例となる事象を扱います。資料集パートでの生徒の議論に対して一つの回答を与えるようなコラム、自分の生き方を見つめ直す人物や事件などを深めるための的なコラム、セルフディベートできるような意見対立のある学説の紹介コラム、その時代と現在が結びつくようなコラム、歴史の学習法についてのガイドとなるコラムなどを計画的に並べます。少なくとも今よりも多くのコラムを掲載すべきと考えます。

 ちなみに、現行の歴史教科書も上記の考え方に近い構成になっていると言えなくもありません。が、私にはそのコンセプトが中途半端に感じられます。

 松森靖行氏は社会科という教科の特性と教科書の関係について次のように述べています。

「社会科の教科書には「答え」はほとんど書かれていません。社会科の「答え」とは、社会的事象の「意味」と「解決策」です。「事象」「事実」(日本国憲法やその条文の内容など)については、教科書などに詳しく書かれています。しかし、その「意味」(なぜ日本国憲法が誕生したのか、その条文の真意など)や「解決策」(日本国憲法はどのように生活に生きているのか、日本国憲法の未来など)については、子どもたちが調査活動や話合いを通して、考えていくことになります」(松森靖行『子どもの思考をゆさぶる発問・指示テクニック』明治図書p8)

 社会科の「答え」は子どもたちが考えるものだという指摘です。この基本は歴史学習においても同じと言っていいでしょう。社会科としての「よさ」も踏まえた歴史教科書づくりを進める必要があります。


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