【鎧を脱ぐ日々】第6話:幸せにするという「責任」の鎧。〜30年目の懺悔と、愛の再定義〜
「家のことは任せて、 ゆっくり療養してください」
入院直後、家族LINEに届いた息子たちからの返信を読み、スマホを握りしめたまま、鼻の奥がツンとした。
幼児教育に生涯を捧げた亡き母は、生前よく言っていた。
「人は、自分が育てられたようにしか、子育てはできないものよ」と。
成人した3人の息子たちは、いつの間にかぼくよりもずっと強く、優しく育っていた。
母がぼくに注いでくれたような大きな愛を、ぼくは子供たちにリレーできていただろうか。
不自由なベッドの上で、30年という長い月日を遡り始めた。
スピード婚と、見えていなかった孤独
妻と出会ったのは、30年前。
見えない引力に手繰り寄せられるように出会い、1年でプロポーズ、その3ヶ月後には挙式した。
周囲からは「おめでたか?」と疑われたが、現実は逆だった。
憧れの「マイホームパパ」を夢見るぼくたちの元に、なかなか子どもはやってこなかった。
両親からの無言のプレッシャーが、妻の細い肩にどれほど重くのしかかっていたか。
当時のぼくは「大丈夫だよ」と口では言いながら、彼女の孤独な戦いを、本当の意味で自分事として捉えていなかった。
ようやく授かった長男は、切迫流産の危機を乗り越えて生まれ、その1年後には次男。
年子という嵐のような日々。
妻は自分の時間をすべて投げ打ち、三男が生まれた後も、細い体で3人の男の子を自転車に乗せて走り回っていた。
ぼくはといえば、仕事、飲み会、友人との付き合い。
エンジニアとして「家計を支える」という責任の鎧をまとい、家事や育児も 「協力している風」を装っていた。
しかしその実、一番泥臭く精神を削る部分は、すべて彼女と献身的な義母に 任せきりだった。
30年間、軽視し続けた「痛み」
何より、今、猛烈な後悔とともに自分を責めていることがある。
妻は若い頃から、今のぼくと同じ「自己免疫疾患」を患っていた。
理系思考で、数値やエビデンスには敏感だったはずなのに。
なぜ、一番身近な存在である彼女の「痛み」を、これほどまでに軽視してしまったのか。
妻が「体が重い」「だるくて起き上がれない」と漏らしたとき、
ぼくは心のどこかで「寝不足じゃないか」「運動不足だよ」と、無神経な「論理的解決策」を提示していなかったか。
目に見えない倦怠感を、怠けや気力の問題にすり替えていなかったか。
自分が皮膚筋炎になり、指1本動かすのが億劫なほどの激痛と倦怠感に襲われて初めて、膠原病の教科書を貪り読んだ。
ページを捲るたびに、心臓を刺されるような感覚に陥った。
「これほど、辛かったのか」
怠けなどではない。
自分の免疫が全身を攻撃し、内側から命を削る、逃げ場のない悲鳴だったのだ。
30年間、彼女はこの重みを背負いながら、3人の男の子を育て、ぼくを支え、笑顔を作り続けていた。
ぼくは、彼女の絶望を 1ミリも理解できていなかった。
「幸せにしてやってくれ」という約束
結婚式のバージンロードの終わり。
妻が大好きだった義父が、ぼくに託した最後の手。
「よろしく頼む。幸せにしてやってくれ」
あの静かで重い約束を、ぼくは30年間全力で守ってきた 「つもり」だった。
でも、それは経済的な安定という形を整える、自分本位な責任感に過ぎなかったのではないか。
1人娘を愛情深く育ててくれた義父を若くして亡くし、絶望の淵にいたとき。
厳格な義母との確執に悩み、逃げ場を失っていたとき。
ぼくは「親子なんだから」と、どこか他人事のような正論で、彼女の孤独を置き去りにしていなかったか。
ぼくが支えていると思い込んでいた家族。
でも、ぼくの不在を「任せて」と笑って埋めてくれる息子たちと、3頭の愛犬に囲まれて家を守る妻の姿を見ていると、
本当に守られ、生かされていたのは、ぼくの方だったのだと気づかされる。
鎧のない素顔の幸せ
去年、30年ぶりに2人で行ったコンサート。
大好きなアーティストの音楽に身を任せて笑う彼女の横顔を見て、
「これからも、この笑顔を守り続けたい」と心の底から思った。
今年もチケットは手元にある。
全国ツアーの追っかけをするなんて年甲斐もないかもしれない。
でも、その「無駄で愛おしい時間」こそが、ぼくたちが30年かけて辿り着いた、鎧のない素顔の幸せだ。
早く病気を治さないとな。
退院したら、「つもり」ではない、本当の意味での寄り添い方を始めよう。
「必ず、幸せにします」
天国の義父に、今なら少し震える声で返事ができる気がする。
形だけの責任ではなく、心を通わせる、本当の家族になれたから。
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