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【鎧を脱ぐ日々】第3話:ポータブル心電図と僕の心拍数。降参して見つけた「ケセラセラ」

昨日の血液検査の結果が、朝の病室に届けられた。

期待していたステロイドの減量は、今回も見送り。

それは同時に、退院の日がさらに遠のくという宣告でもあった。

主治医は、いつも穏やかな口調で話してくれる。

数値の説明も、治療方針の変更も、決して突き放すような言い方をしない。

それでも、「減量は見送り」という言葉が耳に届いた瞬間、病室の空気がほんの少し重くなるような気がした。

「わかりました」と答える自分の声が、どこか遠くから聞こえた。

数値は嘘をつかない。

体の中ではまだ目に見えない炎がくすぶっており、それを抑え込むためには この強い薬の力を借り続けるしかない。


胸につながれた、3本のライン

その現実を象徴するように、ぼくの胸にはポータブル心電図の送信機が24時間、片時も離れずつながれている。

パジャマの下から伸びる、赤・黄・緑の3本のライン。

ぼくの心臓が刻む微かな鼓動を、一刻の休みもなくナースステーションへと飛ばし続けている。

左手の人差し指には、血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターのブルーのライン。

深夜、寝返りを打つたびに、何本ものコードが体中に絡まる。

そのわずかな「不自由」が、かつての自分を思い出させる。

「ああ、何の線にもつながれず、ただ大の字になって眠りたい」

かつては当たり前すぎて意識もしなかったことが、今のぼくには、どれほど手を伸ばしても届かない贅沢に思えた。

初めて装着されたのは、入院から数日が経った夜のことだった。

「少し心臓の数値が気になるので、モニタリングしましょう」

主治医からの指示を受けた看護師さんがそう言いながら、慣れた手つきで電極を胸に貼り付けていく。

冷たいジェルの感触。ぴったりと肌に吸い付くテープ。コードを1本ずつ丁寧につないでいく、その静かな作業。

終わったとき、ぼくはベッドの上でしばらく動けなかった。

コードが引っ張られる感覚が怖かったわけではない。

痛みがあったわけでもない。

ただ、「自分の体が、自分だけのものではなくなった」という感覚が、じわりと胸に広がってきたのだ。

30年間、自分の体は自分がコントロールするものだと信じて疑わなかった。

それが今、見知らぬ機械とつながれ、24時間監視されている。

その夜は、コードの存在が気になって、十分に眠ることができなかった。

皮肉な話だ。


「コントロール」を武器に戦い続けた30年

30年間のビジネスの最前線で、ぼくは常に「コントロール」の中に身を置いてきた。

締め切り厳守は、プロとしての最低条件。資料の完成度は細部に宿る、と信じ、1ミリのレイアウトのズレも、たった1文字の脱字も許さない。

すべてを管理下に置き、完璧な精度でアウトプットを出すこと。

それがぼくの矜持であり、戦うための武器だった。

20年間情熱を注いだ少年サッカーの現場でも、子どもたちに「自立」を説き続けた。

「試合終了の笛が鳴るまで絶対にプレーをやめるな。最後まで何が起こるかわからない」

自分の足でしっかりと芝を噛み、最後まで自分の力で戦い抜くことの尊さを、誰よりも強く信じていた。


増える薬、崩れていく「自分」

そんなぼくにとって、今の状況は、これまでの価値観を根底から揺さぶるものだ。

昨日の追加検査では、レントゲンの肺炎症状こそ小康状態で安堵したものの、骨密度の数値は芳しくない。

ステロイドの副作用が、ぼくの骨を少しずつ削り取っている。

今日からまた、新しい薬が処方されることになった。

入院前のぼくは、薬をなるべく遠ざける人間だった。

「整腸剤を飲むくらいなら、食事と運動で治せばいい」

自分の体くらい、自分の意思でどうにかできる。

その不器用な自負が、いつしか自分を縛る厚い鎧になっていた。

しかし今、掌にこぼれる錠剤の数は日に日に増え続けている。

ステロイド、免疫抑制剤、胃粘膜の保護剤、肺炎防止の薬、そして今日からは骨を守るための1錠が加わった。

それらを見つめるたびに、「コントロールできていた自分」が崩れていくような、一抹の不安が胸をよぎる。


不自由なラインが教えてくれたこと

胸元の送信機は、物理的な違和感としてぼくを現実につなぎ止める。

コードを固定するテープは、時折かゆみを引き起こし、リハビリの歩行を邪魔し、このnoteを綴るキーボード操作さえぎこちなくさせる。

だが、その煩わしさと同時に、不思議な「安らぎ」が同居し始めていることに気づいた。

正直に言えば、最初は素直に任せることができなかった。

「本当にこの治療方針で正しいのか」

「もっと早く減薬できる方法があるのではないか」

夜中に目が覚めるたびに、スマホで学術論文や同じ病気の患者さんたちの体験談を検索した。

膠原病について、皮膚筋炎の治療について、ステロイドの副作用について、代替療法について。

エンジニアとしての習性が、データと根拠を求めて止まなかった。

でも、調べれば調べるほど、不安は深くなるばかりだった。

医療の世界は、ぼくが30年間戦ってきたビジネスの世界とは違う。

締め切りも、仕様書も、保証された正解もない。

同じ病名でも、人によって経過はまったく異なる。

「コントロールできる」という前提そのものが、最初から存在しなかったのだ。

ある夜、回診に来た担当医が、ぼくの顔を見てこう言った。

「心配しすぎないでください。私たちがついています」

たった一言だった。

でも、その言葉が、ぼくの中で何かをほどいた。

プロに任せることは、敗北ではない。

それは、自分にはできないことを正直に認める、 一番誠実な選択なのだと、 ようやく思えた。

「主治医を信頼し、このチームにすべてを任せよう」

そう思えた瞬間、ふっと肩の力が抜けた。

このラインは、ぼくが一人で戦っていないことの証明だ。

万が一、ぼくの心臓が悲鳴を上げても、ナースステーションのモニターがすぐさまそれを察知し、看護師さんたちが駆けつけてくれる。

子どもたちに教えてきた 「最後まで足を止めるな」という言葉は、「一人の力だけで頑張れ」という意味ではなかったはずだ。

周囲のサポートに感謝し、委ねるべきところは委ねる。

それもまた、人生という長い試合を戦い抜くための、大切な戦術なのだと、 この病室が教えてくれている。


降参することが、最良の治療だった

自分一人で何とかしようと、歯を食いしばって踏ん張ってきた30年。

でも、このサンクチュアリでは、白旗を揚げて「降参」することこそが、未来へと続く一番の治療になる。

「何とかなる。ケセラセラ」

胸元の送信機の確かな重みを感じながら、独りごちる。

不自由なコードにつながれ、多くの薬に支えられながらも、ぼくの心は不思議と、

かつての「完璧な自由」を求めていた頃よりも、穏やかで自由な場所へ向かっている。

30年間守り続けてきた、孤独な「自力の鎧」を脱ごうとしている。

それは決して敗北ではなく、誰かを、そして自分を信じるための新しい一歩だ。

あなたは今、どんな「自立の鎧」を脱ぎたいですか?


追伸: たくさんの「スキ」と応援のメッセージをありがとうございます。副作用で思考がフラフラすることもありますが、皆さんからいただく言葉は、増える一方の薬よりもずっと、心に深く効く特効薬になっています。

「完璧でなくても、誰かに頼っていい」そう思えたのは、このnoteという場所で皆さんが温かく迎えてくださったおかげです。今日は心電図のコードに少しだけ感謝して、穏やかな気持ちで一日を過ごします。

皆さんにも、どうか「ケセラセラ」な優しい風が吹きますように。

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