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【鎧を脱ぐ日々】第5話:父の背中と、僕のなかの「正しさ」という名の鎧。〜病室に届いた二編の詩〜

母との再会。

病室での瞑想を通じて、亡き母の笑顔に触れ、自分を縛っていた「思考の鎧」を一枚脱ぐことができた。

心に静寂が戻ったとき、ふと、その背後に佇む「もう一人の存在」のことが 気になり始めた。

ぼくの父だ。


「3人目の大きな子供」

2年半前に母が急逝したとき、父の受けたショックは想像を絶するものだった。

昭和生まれで、厳格な祖父と慈悲深い祖母に育てられたお坊ちゃま育ちの父にとって、

3歳年上の母は、周囲の反対を押し切って結婚した唯一無二の味方だった。

文字通りの「おしどり夫婦」。

母が亡くなってからの父は、まるで自分の半分を失ったかのように、長い間暗いトンネルの中にいた。

ぼくはそんな父を気遣いながらも、どこかで心から寄り添い切れない自分を冷めた目で見ていた。

「結局、母に甘えていた『3人目の大きな子供』なんだよな」

エンジニアとしての論理回路は、父のその脆さを、客観的に、そして批判的に分析していたのだ。


「父のようにはならない」という呪縛

理系思考のぼくにとって、父の生き方は長年、理解しがたい「非合理」の連続だった。

平日は仕事に忙殺され、夜は決まって酒を飲み、上機嫌で大きな声を出す。

子どもの教育はすべて母任せ。

優秀な姉と弟に囲まれ、幼少期は虚弱体質で小学校すら満足に通えなかったという父の生い立ちを聞いても、ぼくは「だからこそ、もっとシャキッとしてほしい」という反感に変えてしまっていた。

そんな父への違和感は、いつしか強い決意へと変わった。

「ぼくは、父のようにはならない」

父を反面教師に、理想の「マイホームパパ」を目指した。

仕事は完璧にこなしつつ、週末は欠かさず子どもたちの少年サッカーに携わり、家族全員で過ごす時間を最優先にする。

ロジックに基づいた正しい家庭、正しい父親像。

そうやって作り上げた「完璧な自分」という鎧は、父という不器用な存在を否定することで、その硬度を増していった。

同居して20年。

定年後、読書と散策に、悠々自適に暮らす父を横目に、ぼくは分刻みのスケジュールで仕事と少年サッカーに駆けずり回っていた。

時折、酒を酌み交わすことはあっても、じっくりと言葉を交わすことは少なかった。

忙しく働くぼくの姿こそが、父に対する無言の「正解」の提示だったのかもしれない。


父だけが、気づいていた

しかし、その「正解」がぼくの体を少しずつ蝕んでいることに、父だけは気づいていた。

去年の秋頃から体調の異変を感じ始めたぼくに、父は会うたびに「絶対に無理をするな」「体を軽視するな」と繰り返した。

だが当時は、その言葉を素直に受け取ることができなかった。

「エンジニアとして、自己管理はできている。心配無用だ」

そう強がり、自分を過信した。

今思えば、父にだけは「弱い自分」を見せたくなかった。

父のようにはなるまいと、自分にさらに鞭を打ち続けた。

結果は残酷だった。

今年に入り免疫異常が急激に悪化し、指定難病「皮膚筋炎」と診断され、緊急入院することになった。

自ら着込んだ「正解の鎧」の重さに、ぼくの体はついに耐えきれなくなったのだ。


病室に届いた、2編の詩

入院から1週間。

病室の静寂の中で、父からLINEが届いた。

画面には2編の詩。立原道造と、金子みすゞ。

最初は「今さら何を……」と戸惑った。

相変わらず変わった人だ、と。

しかしその数日後、noteのタイムラインで偶然目にした「3月10日は金子みすゞの命日」という言葉に導かれるように、再び父のメッセージを開いた。


鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。

——金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」

静かな病室で、その一節がスッと胸の奥に染み込んできた。

その瞬間、気づいた。

父が背負ってきた「鎧」の重さに。

虚弱だった幼少期。優秀な姉弟。周囲の反対を押し切った結婚。

父もまた、自分なりの欠落を抱え、それを埋めるために本の世界へ逃げ込み、詩を愛することで繊細な心を守ってきたのではないか。

父が送ってくれたのは、医学的なエビデンスではない。

「仕事ができなくても、動けなくても、お前はお前でいいんだよ」

不器用な愛で、ぼくの「正解」という名の棘を 抜こうとしてくれていたのだ。


父を許すことは、自分を許すこと

父を許す。

それは、父とは違う「正解」を出そうと必死に自分を追い込んできた、自分自身を許すことでもあった。

「父のようにならない」という呪縛を解いたとき、ぼくを守っていたはずの重い鎧は、音を立てて崩れ落ちた。

ぼくは父を否定することで自分を奮い立たせてきた。

しかし、ぼくの半分は、繊細で、不器用で、愛に満ちた父の血でできている。

そう認めたとき、心は驚くほど軽くなった。

病室の窓の外には、父の詩にあるような澄んだ青い空が広がっている。

退院したら、父とゆっくりコーヒーを飲もう。

効率や正解を求める時間は少し横に置いて、父と一緒に過ごす時間を増やしたい。

父が週2回の訪問リハビリを頑張っているように、ぼくもまた難病との新たなリハビリに向き合い、一歩ずつ歩んでいく。

「父さん、ありがとう」

iPad miniの画面を閉じ、静かに目を閉じた。

そこには、重い鎧を脱ぎ捨てて、ただ一人の「息子」に戻った自分がいた。

あなたは今、どんな「正解の鎧」を脱ぎたいですか?


追伸: 父との確執の原因が溶け、自分を縛っていた「鎧」をまた一つ脱ぎ捨てた今、僕の心は驚くほど澄み渡っています。

2026年9月26日、僕の言葉が誰かの「鎧」を脱ぐきっかけになるその日まで。 この挑戦のプロセスも、少しずつここで分かち合わせてください。 いつも温かいエールをありがとうございます。


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