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【学校では教わらない#19】人の言葉を“真に受けすぎない”技術

こんにちは。ピアノ講師・メンタルコーチの One Heart です。


隔週日曜日にお届けしている“生きスキ”マガジン。
「学校では教わらない、生きるスキル。」
今日は19回めです。


人の何気ない一言が、なぜかずっと心に残ること、ありませんか?


その場では流したつもりでも、あとになって何度も思い出してしまったり。


もう自分の中では決めたはずなのに、誰かの言葉をきっかけに、急に不安になったり。


「やっぱり違ったのかな」
「わたしの考え、甘いのかもしれない」
そんなふうに、心が揺れることもあると思います。


でも、それはあなたの心が弱いからではありません。
人はみんな、言葉に反応します。
とくに、自分にとって大事なことや、少し不安のあることほど、
他人の一言は強く響きやすいものです。


学校では、勉強やルールは教わっても、
人の言葉との距離の取り方までは、教わりませんよね。


だから今回は、人の言葉に揺れてしまうとき、
その心をどう扱えばいいのかを、整理してみたいと思います。


✧✧✧


人の一言が、なぜこんなに残るのか

誰かに言われたひと言が、思った以上に長く残ることがある。


それは、言われた内容が特別きつかったから、とは限りません。
むしろ、まわりから見れば何気ない一言なのに、
なぜか自分の中では引っかかってしまう。
そんなことのほうが、案外多いような気がします。


たとえば、
「考えすぎじゃない?」
「そこまで気にしなくていいのに」
「向いてないんじゃない?」
「まだそんなことで悩んでるの?」


こういう言葉を聞いたとき、すぐに忘れられる日もあれば、
なぜか何日も残ってしまう日もあります。


この違いは何かというと、
その言葉が『自分の気にしている部分に触れたかどうか』、です。


少し自信がないこと。
ほんとは自分でも気になっていたこと。
できれば見ないふりをしていたこと。


そういう場所に言葉が触れると、人は強く反応します。


だから、言葉が刺さるのは、
心が弱いからでも、気にしすぎだからでもなく、
その言葉がいまの自分の中で、敏感な場所に触れた、
というだけのこともあるのです。


ここで大切なのは、刺さった=正しい、ではない
ということ。


心に残ったからといって、その言葉がそのまま真実とは限りません。


相手が見たのは、自分の一部分かもしれないし、
その人の価値観から見た感想かもしれません。

または、その人自身の不安や思い込みが、言葉にのっていただけ、ということもあります。


それでもわたしたちは、刺さった言葉ほど、「図星なのかも」と感じやすいものです。


でも本当は、刺さること正しいことは、同じではありません。


まずはそこを、切り分けてあげることが大切なのだと思います。


✧✧✧


真に受けるとき、心の中で起きていること

人の言葉を真に受けてしまうとき、
わたしたちは、その場で言われた一言だけに反応しているように感じます。


でも実際には、その言葉に、自分の中の何かが反応している
ことがあります。


たとえば、誰かに「そんなの難しいんじゃない?」
と言われたとします。


それだけなら、ただの一意見です。
でも、その言葉が強く残るときは、自分の中にもどこかで、
「ほんとうにできるのかな」
「やっぱり無理かもしれない」
という小さな不安が、すでにあることがあります。


つまり、相手の言葉が刺さるのは、その言葉が“初めて”だったからではなく、自分の中にある似た声に触れたからかもしれないのです。


わたし自身、子どもの頃に親戚から、
「ピアノ講師って、稼げるの?」
「やっても無駄じゃない?」
のようなことを言われたことがあったんです。


そのときは深く気にしていなかったつもりでも、
大人になってから何かに挑戦するときや、
仕事について迷いが出たとき、ふとした拍子に、その言葉が内側から出てくることがありました。


目の前の誰かに何かを言われた、というより、
ずっと前に取り込んだ声が、頭の中で再生されているような感覚です。


しかも、その内側の声って、必ずしも“本来の自分の声”とは限らないんですよね。


これまでに聞いてきた親の言葉。
社会の中で当たり前のように流れていた「普通はこう」という空気。
過去に誰かから受けた評価。


そうしたものが、知らないうちに自分の中に残っていて、
頭の中で何度も再生されることがあります。


すると、目の前の相手の言葉は、
ただのひとつの感想ではなく、
まるで「やっぱりそうだよね」と
答え合わせのように聞こえてしまう
のです。


だから、人の言葉を真に受けすぎてしまうときは、
相手の言葉にのみ込まれているというより、
外から来た言葉と、内側にある声が重なってしまっている
状態なのかもしれません。


そう考えると、少し見え方が変わってきます。


目の前の一言がすべてなのではなく、
その言葉に反応している自分の内側にも、やさしく目を向けてみる。

それができるようになると、
「言われたからそうなんだ」と、すぐ結論づけずにすみます。


✧✧✧


“真に受けない”は、人を否定することではない

「真に受けない」と聞くと、人の話を聞かないことや、
冷たく受け流すことのように感じるかもしれませんが、そうではありません。


大切なのは、すぐに信じる前に、いったん置いてみることです。


その言葉は事実なのか。
それとも、その人の意見なのか。
あるいは、その人自身の価値観や経験から出てきたものなのか。


そんなふうに、少しだけ距離を取ってみる。
それだけで、言葉にのみ込まれにくくなります。


そしてそれは、相手がただの通りすがりの人であっても、
あるいは先生のように、自分にとって影響力のある相手であっても、
本当は同じことなのだと思います。


少し前にも記事に書いたことがあります。
わたしは中学生のときに、ピアノの先生から
「あなた、センスないわね」
と言われたことがありました。


音大を目指していた時期だったので、
もしあの一言をそのまま“真に受けて”いたら、
わたしのその後は、かなり変わっていたかもしれません。


もちろん、すべての言葉を疑えばいい、ということではないと思います。
誰かの一言に励まされたり、救われたりすることも当然あります。
実際、言葉には人を支える力もあります。


とくに、先生や師匠のように、自分が信頼している人の言葉は、
また別の重みを持つこともありますよね。


経験がある人。
自分より先を歩いてきた人。
実際に、その言葉に助けられたことがある人。


そういう相手の言葉は、ただの通りすがりの一意見とは、やはり少し違います。


けれど同時に、どんなに相手を信頼していても、その言葉のすべてを、そのまま自分の真実にしなくていい
のだと思います。


先生の言葉にも、背中を押してくれるものがあります。
一方で、そのときの相手の見方や感情が乗ったままの言葉もあります。


だからこそ見たいのは、「誰が言ったか」だけではなく、
その言葉を受け取ったとき、自分がどうなるかです。


少し視界が開ける。
肩の力が抜ける。
無理なく前に進めそうな感じがする。


そんなふうに感じるなら、
その言葉は今の自分にとって、支えになる言葉かもしれません。


反対に、言われて苦しくなったり、
押しつぶされそうな感じがしたり、
無理に合わせなければいけない気持ちになるなら、
その言葉は、少なくとも今の自分には
そのまま採用しなくていいのかもしれません。


真に受けない、というのは、人を言うことを否定することではなく、
人の言葉をいったん自分の手のひらに乗せて、
それを心に入れるかどうかを、自分で選び直すこと、だと思います。


✧✧✧


その声は、本当に“わたし”の声?

人の言葉に反応したあと、心の中にはいろいろな声が浮かんできます。


「やっぱりやめた方がいいのかも」
「ちゃんとしていない自分が悪いのかもしれない」
「もっと正しくしなきゃ」


そんなふうに、頭の中で次々と声が出てくることがあります。


でも、その声は、本当にいまの自分の本音なのでしょうか。


もしかするとそれは、これまでの人生の中で取り込んできた言葉が、
頭の中で再生されているだけかもしれません。


親に言われたこと。
先生に言われたこと。
社会の中で、当たり前のように流れていた価値観。


「ちゃんとしなさい」
「迷惑をかけてはいけない」
「普通はこうするもの」
「失敗しないようにしなさい」


そうした言葉は、最初は“外から来た言葉”だったはずなのに、
何度も触れているうちに、だんだんと“自分の考え”のように感じられることがあります。


なので、人の一言に揺れたとき、頭の中で強く聞こえる声が、
必ずしも自分の本音とは限りません。


頭の声が大きいときほど、本音は静かになります。


本音はたいてい、大きな声で命令してくるものではなくて、
もっと静かで、もっと感覚に近いところにあります。


なんとなく苦しい。
無理をしている感じがする。
ほんとうは、少し違う気がする。


そういう小さな感覚のほうに、本音は先に現れていることもあります。


だから、人の言葉に揺れたときは、
すぐに反応して、「じゃあどうするか」を決めなくてもいいのだと思います。


まずやることは、いま心の中で大きく響いているその声が、ほんとうに自分の声なのかを見てみること。


それだけでも、言葉に引っぱられる力は少しずつ弱くなっていきます。


✧✧✧


心に入れる言葉は、自分で選んでいい

人の言葉に揺れるのは、みんな同じ。


誰かの一言に傷ついたり、迷ったり、
思っていたより大きく反応してしまう日があっても、
あなたの心が弱いわけではありません。


それだけ、その人が大事にしているものがある。
それだけ、自分なりにちゃんと受け取ろうとしている。


そういうことでもあるのだと思います。


でも、その言葉をそのまま自分の真実にしなくていい。


相手の言葉は、相手の視点を通ったものです。
そこに気づけるだけでも、心は少し自由になります。


すぐに飲み込まず、いったん手のひらに乗せてみる。


そして、ひと呼吸おいて見てみる。


そのうえで、心に入れるかどうかを自分で選ぶ。
本当は、それでいいんだと思います。


学校では、人の言葉にどう傷つくかは教わっても、
どう距離を取るかまでは、教えてくれません。


だからこそ、大人になってから少しずつ身につけていけばいい。


何を信じるか。
どこまで受け取るか。
どの言葉を、自分の内側に入れるか。


それは、自分で選んでいい。


そしてその選び方は、きっとこれから、練習することで、少しずつ上手になっていくのだと思います。



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