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財牟一家の家計事情 (日本経済の問題点:税金のムダ使い?)

国の財政と、家計を一緒(の扱い方)にするな、という主張を目にすることがある。
でもそれは、関連付けを間違えると意味がないという程度の話ではないだろうか。

以前、財牟一家の借金物語 (日本の「国の借金」の誤謬)という投稿で、日本の国債が「国の借金」という表現は、誤解を招くという主旨のもとに、「財牟一家の借金」に託した小話にしてみた。

その内容に特に問題は無いと考えている。


日本経済の問題点を調べるにつれ、

日本経済について、国債の対GDP比率や、税負担、増減税の正否、インフレ・デフレ、金利など、マネーの量的な問題ばかり議論されるが、

本質はその使い方、更に言えば、使い方を決める「政策設計」の問題ではないか

という気がしてきた。

もう少し言えば、「政策の目的の曖昧さが、様々な税金の使われ方の「ムダ」を生んでいるのではないか」という推測だ。

その具体例として、これまで以下の記事を投稿してきた。

目的が曖昧な「政策」が税金の「ムダ」を生む (メガソーラー事業の例)
目的が曖昧な「政策」が税金の「ムダ」を生むメカニズム (大阪万博の例)
日本版DOGE関連 (税金のムダ事例:介護大手のニチイ学館・外国人家族受け入れ)

 それらの全体像として、

日本経済問題のボトルネックは、マネーの過不足ではなく、その構造の老朽化にある (VEM分析)

もう一点気になるのは、これらは全て国内の「分配」に関する議論でしかない、ということだ。

そもそも、分配する為の稼ぎを、どう増やそうとしているのか?
日本国内で稼ぎを増やしても、財牟家の例で言えば、家庭内での手伝いの対価をどうするかという、ある意味内輪の話だ。(それはそれで、大事だが)

大切なのは、どうすれば社会(国際社会)にどのような付加価値を提供
して、家庭全体の稼ぎ(家族=日本の収入)を増やせるか
、であろう。

しかし私も含む一般人から見ると、兆円単位の話は身体感覚としては分かりにくい。

そこで、以前投稿した、財牟家の小話が使えるのではないかと思い、AI を使いながらお話を作ってみたので、是非読んでいただきたい。

それぞれの章は、国の政策のパロディである。
万円を兆円と読み替えれば、国の政策に関する「税金のムダでは?」という問題意識のアナロジーにしてある。
それを頭の片隅に置いて、読んでいただければ幸いである。




前編:財牟家の「漏れ出るお金」と庭のモダンアート (目に見える失敗と、膨らみ続ける維持費)

プロローグ:財牟家の食卓

最近はあまり言わなくなりましたが、おじいちゃんはこれまで口癖のように「ウチは1,200万円も借金を抱えてるんだ。いつかは返さなきゃならん。このままじゃ家が潰れるぞ」と、「家計再建計画」を指差しながら言い続けてきました。

おじいちゃんに悪気はないのです。ただ、この家を自分の代で潰すわけにはいかないという一心でした。

パパは、毎日クタクタになるまで働いて、毎月10万円を「家計管理費」としておじいちゃんに渡しています。
パパの給料はここ20年ほとんど増えていないのに、管理費だけは毎年、数万円ずつ増えていくのです。

食事は皆それぞれ忙しいので、その日その日で違いますが、ママが忙しくて夕飯を作れない時、佳子姉ちゃんに「これで美味しいもの作っておいて」とお金を預けることがあります。

すると佳子姉ちゃんは「任せて!」と明るく引き受けますが、自分ではあまり厨房に立ちません。
渡されたお金の中から「調整費」と称して自分の分をちゃっかり抜き取ると、そのまま弟の正くんに「これで作って」と丸投げします。

弟の正くんは、定職につかず、気が向いた時にバイトをするだけ。ママが忙しい時に手伝うこともありますが、計画的には動いてくれず、スキルを磨く意欲もあまりなさそうです。

その正くん、包丁を握るのが面倒なので、そのお金を削って近所のスーパーやコンビニで惣菜を買ってきて済ませ、残った差額を自分の小遣いにしてしまうのでした。
ママが5千円出しても、食卓に並ぶのは、3千円程度の内容になってしまいます。

佳子姉ちゃんもたまには自分で作ることもあるので、ママも強くは言えません。

「正なら惣菜を買ってくるだけでもマシか」と、いつの間にか諦めるようになってしまいました。

パパは、「せめてこのくらいの贅沢は……」と、自分へのご褒美に少し高いプレミアムビールを開けるのが毎日の楽しみでした。

第一章:おじいちゃんの口癖「家の借金」

ママは薄々気づいています。おじいちゃんが「借金だ」と騒いでいる相手は、外の金貸しではありません。

パパが家族の将来や子どもたちのためにコツコツ預けてきた「町の銀行」なのです。その貯金は、もう2,200万円にもなってました。

でも、おじいちゃんは借金もあるし、利払いもあるから大変だと口癖の
ように言うので、いざという時の為には頑張るしかありません。

町の銀行は、パパをはじめ町のみんなから預かったお金を、おじいちゃん
に貸しています。おじいちゃんは、そのお金を家のやりくりに使いながら、「家にはこんなに借金がある」と言っては、毎年のようにパパへ「もっと家計管理費を増やさなきゃならん」と話すのでした。

ママは心の中でつぶやきます。「でも、その借金って、もともとはパパたちが銀行に預けたお金よね…」

喉まで出かかった言葉を、ママは飲み込みます。おじいちゃんは決まって「信用問題だ!」と一蹴しますし、おしゃべりな佳子姉ちゃんも、「そうよ、借りたものは返さなきゃ」と、おじいちゃんの言葉を信じ切っているのです。

ママには、どうしても腑に落ちませんでした。もし外の誰かから借りているのなら心配になるのも分かります。でも実際には、家族が銀行に預けているお金が、巡り巡っておじいちゃんに貸し出されているだけではないのでしょうか。

でも皆なんとなく、おじいちゃんの言うことを信じて、それ以上は詳しいことを調べようとはしませんでした。

第二章:消えない「維持費」の罠

庭を見れば、そこにはおじいちゃんの誇る「実績」が並んでいます。数年前、おじいちゃんは「これからは電気代もいらん。余った電気は売れる。将来は家計を支える金脈になるぞ!」と言って、庭の一角に植えられていた、先代からの立派な梅の木を何本か切り倒して、ソーラーパネルを設置しました。

正くんは、子どもの頃からの工作好きで、独学で試作器を自作したこともあり、以前から「材料費さえ出してくれれば、太陽熱温水器なら作れるよ」と言っていたのですが、おじいちゃんは「お前に何ができる。流行のソーラーパネルを知らないのか」と聞く耳を持ちませんでした。

おじいちゃんの目論見と違い、現実は甘くありませんでした。今やソーラーパネルは夏は熱気を放ち、台風が来れば「剥がれて飛ぶのでは」と皆気が気ではありません。

ある日、ついにパネルが故障しました。設置業者はすでに倒産。パパが
調べると、特殊な部品の修理に数万円もかかることがわかりました。

「タダになるはず」だった電気代どころか、パネルを維持するためだけに、パパが納めた「管理費」が修理業者へ次々と消えていきます。

ある晩、家計簿を見ていたママは心の中で呟きました「ソーラーパネルの維持費にまだ月4千円も取られている。もう何年も経つのに、毎月引き落とされている。おじいちゃんは、電気代がかからなくなるって言ってたのに、あれは何だったのかしら…」

正くんは、自分の小遣いでコツコツと次世代型の薄い発電シートを研究するためのおカネが欲しかったのですが、おじいちゃんは「そんな得体の知れないシートより、この堂々とそびえる大きなパネルの方が立派だし、家格にも合う。わけのわからん趣味にカネを使えるか!」と一蹴。

「これだけあれば十分だろう」と渡される少額の小遣いでは、専門書を買うか、実験装置の部品を購入するか、いつも悩むのが精一杯でした。

第三章:佳子姉ちゃんの「魔法の言葉」とモダンアート

おじいちゃんは、自分の太っ腹なところを見せたくて「家のためにドカンと金を使うぞ!」と気が大きくなることがあります。パパの給料からこっそり貯めた「特別なお小遣い(交付金)」が、金庫に貯まったときです。

ある日、佳子姉ちゃんはおじいちゃんの部屋へ行き、囁きました。「ねえ、おじいちゃん。お隣に負けないくらい目を引く『モダンアート像』を置きましょうよ。立派な像があれば近所中の人が見に来て、うちのパン屋さんも大繁盛間違いなしよ!」「SNSでも話題になるわ」

財牟家では、ママが家の一角を使って、小さな自家製パン屋を開いています。近所では割と評判が良く、贔屓にしてくれる人もけっこういます。おじいちゃんは、商売のことは良く分かりません。「そうか、客が来るか!それはいい投資だ」と二つ返事で決めてしまいました。

パパは普段から「まずは雨漏りを直さなきゃ」と言ってたり、ママも「効率のいいパン焼き器に替えれば、売上も増えるのに…」と言っていたのですが、パパもママも佳子姉ちゃんがお願いしたモダンアートのことは知りませんでした。

そんな中、おじいちゃんは皆と相談するわけでもなく、佳子姉ちゃんが特注したモダンアートの5万円を支払ってしまいました。

しばらくして、庭に像が立ちました。ママのパンを買いに来る近所の人たちは、最初は「えっ!」と驚いたようですが、すぐにあまり気にしなくなりました。

佳子姉ちゃんはといえば、スマホで一度写真を撮ったら満足して、制作をお願いした友人からもらった「仕事紹介料」で、何を食べようか考えてます。もうアート像はどうでもいいようです。

「客を呼ぶはず」だった像は、今や掃除をサボるとすぐ錆びる、ただの厄介者。 しかしおじいちゃんはおカネを出した手前、「我が家のシンボルを汚すな。一度やると決めたことだ!」と頑なに譲らず、パパの給料から「像の磨き代」を毎月2千円引き落とすようになりました。

パパは夜、暗闇に浮き上がる像の輪郭を見上げながらため息をつきます。「このお金があれば、ミライ(末っ子)を塾に行かせてやれたのに……」

今日もママはお店に出てます。パンの香りが漂う店先とは対照的に、庭のアート像は、今では誰も気にも止めません。それでも翌月になると、像を磨くためのお金だけは、何事もなかったように引き落とされ続けます。

第四章:最新式の「壁掛けモニター」と、開かずの納戸

庭だけでなく、家の中も色々なもので溢れています。
ある日、おじいちゃんは「これからはデジタルで家計を管理する時代だ」と鼻を高くして、すべての部屋の壁に、最新式の大きな「家計管理モニター」を設置しました。

おじいちゃんが知人に頼んで特注で作らせたそのモニターは、パパの毎日
の歩数まで自動で集計するという触れ込みでしたが、操作が驚くほど複雑で、家族の誰も使いこなせません。

結局、パパは今まで通りノートに家計簿をつけ、壁で黒く光っているだけ
のモニターは、単なる「高価な壁飾り」と化していました。それなのに、おじいちゃんが契約した管理会社には、システムの「保守点検料」として、パパの給料から年間3万円の引き落としが続いています。

さらに、廊下の突き当たりにある納戸を開けると…そこには、数年前におじいちゃんが主催した「村一番のお祭り」で余った、大量のキャラクターのお面やバッジが、埃を被って山積みになっています。

その奥には、数年前の「感染症の騒ぎ」の時に慌てて買い込んだ、合計金額にすれば10万円程の山のような予備の食料や、使いにくい形のマスクが、一度も使われないまま期限切れを待っていました。

おじいちゃんは「備えあれば憂いなしだ」と言いますが、家族が今まさに必要としているのは、古びたお面でも、期限切れの食料でもありません。「今、この瞬間の生活」を支えるためのお金が、おじいちゃんの曖昧な安心感のために、形を変えて納戸の中で眠り続けているのです。

第五章:消える20万円の正体

深夜、パン屋の仕込みを終えたママは、一人で台所の食卓に帳簿を広げました。電卓を叩く指が、何度も止まります。パパが汗水垂らして働いておじいちゃんに納めている「家計管理費」。その金額は年々増えているのに、実際に屋根の雨漏りを直したり、ミライくんの教育に使えている額は、驚くほどわずかなものでした。

「……じゃあ、残りの20万円はどこへ行ったの?」

ママは、おじいちゃんが「家計再建」と称して作成した分厚い書類の束を、一枚ずつ読み解いていきました。そこには、家族の生活とは無縁な場所で、湯水のように溶けていくお金の足跡が記されていました。

それは、誰も使いこなせない「壁掛けモニター」のシステム更新料であったり、庭で熱を放つだけの「壊れたパネル」の定期点検費。そして、誰も見ていない「モダンアート」を磨き上げるための、専門業者への無視できない金額の謝礼……。

それらおじいちゃんが作った「積み重なっているムダ」に家計が圧迫されているせいで、家族には時間も心の余裕もなくなり、結果として外食代やパパのビール代といった「小さな悲鳴」のような出費も重なっていたのでした。

おじいちゃんがかつて「家のため、未来のためだ」と、良かれと思って
始めたこと。でもそれらは結果的には、家族を助けていないどころか、ただ「以前決めてしまったことを続けるだけ」の、やめるにやめられない「習慣」になっていたのです。

お金は、何かに変わる前に、その「習慣」を続けるための手数料や維持費として、雲散霧消していました。家も老朽化しているので、時々雨漏りや水漏れもします。そのたびに、業者に来てもらい、修理費もその都度払ってます。

ママは、高騰する小麦粉の請求書と、おじいちゃんの「再建計画」を見比べ、深くため息をつきました。

パパが毎日、削り取ってきた命の時間は、将来の投資、ミライくんの塾代や、佳子姉ちゃん、正くんのスキルアップなどに使われるのではなく、モダンアートを磨くための維持費に変わっていたのでした。

第六章:十二月恒例の家族面談と、新年の恒例行事

財牟家には、毎年十二月になるとおじいちゃんによる「家計予算編成」が始まります。

おじいちゃんは家族を食堂に集めて全員で話し合うことはしません。書斎で一人ひとりと話して、個別に要望を聞く「面談」のスタイルをとるのです。

「おじいちゃん、庭のモダンアートを磨く業者の契約更新、月3千円は削らないでね。友達に頼んでせっかく作ってもらったんだから」佳子姉ちゃんは、おじいちゃんの肩を揉みながら頼んでます。

正くんは、「最近、バイトもきついから。予備の生活費として4万円は確保しておいてよ。何に使うかはその時考えるからさ」と、中身の薄いメモを渡します。

ママは、必死に訴えました。「おじいちゃん、パン屋のオーブンがもう限界なの。最新式に買い換えれば、光熱費も下がるし、もっとたくさん焼いて通販でも売れるわ。たった3万円あれば、来年の稼ぎを倍にできるのよ」

しかし、おじいちゃんは渋い顔で首を振ります。
「ママさん、気持ちはわかるが、もう予算の枠がいっぱいなんだ。佳子のモダンアートの維持費も、正の生活費も、一度決めてしまったから削るわけにはいかん。我が家は借金まみれなんだぞ。今のオーブンが使えるうちは、新しい投資なんてもったいないよ」

おじいちゃんは、家族から持ち込まれた「要望」を繋ぎ合わせて金額を調整するだけで、消費も投資もあまり区別できないようです。

何に使ったほうが、より将来の家計の助けになるかとか、家計が安定するか、子どもたちの将来に役立つかということを、家族全員で話し合うことはとくにしません。

基本的には前年の踏襲で、結局は帳尻を合わせるためにパパの「家計管理費」がまた少しずつ上乗せされるのが常でした。

家族は皆、「うちは貧乏で、稼ぎには限界がある」と思い込んでます。本当は、ママのパン屋が成長すれば家計は楽になるはずです。お姉ちゃんや弟がスキルを上げて稼ぎを増やし、その一部でも家計の足しにしてくれれば・・・

なのに、誰もそのようなことは口にせず、限られた稼ぎでどうやりくり
するか、あるいはおじいちゃんからいかに「小遣い」を引き出すかしか
考えてませんでした。

正月。おじいちゃんが意気揚々と発表した「新年予算書」には、相変わらず「モダンアートの維持費」や「誰も使わないモニターの通信料」が例年通り並んでいました。

「これで借金も増やさず済んだ。今年も財牟家は安泰だ。これからも少しずつ借金を返しながら、伝統を守っていくぞ」

おじいちゃんの満足げな声が響く中、ママは動かなくなりそうな古いオーブンを見つめ、パパはさらに薄くなった財布を握りしめました。

「ねえ、パパ。おじいちゃんが言う『ムダを削って借金を返す』って、結局、私たちの未来を削っているだけじゃないかしら」

ママの小さな呟きは、新年の宴会で騒ぐ佳子姉ちゃんと正くんの笑い声にかき消されていきました。

第七章:家計アドバイザーの診断

ある日、ママが友達のつてで評判の良い「家計アドバイザー」を呼びました。おじいちゃんは「外の人間に家の中を見せるなど、恥さらしだ!」と激怒しましたが、ママも今回は譲りません。「でも、もっと家計を楽にできないか、一度相談しましょうよ。このままじゃパパが倒れてしまうわ」と説得し、しぶしぶ受け入れさせました。

やってきたアドバイザーは、おじいちゃんが大事にしている「家計再建計画」には目もくれず、家計簿と財牟家の日常を静かに観察していました。

「おじいさん、再建計画で『借金をいくら減らすか』を論じる前に、まずはこのカルテを見てください」アドバイザーは、淡々と一枚の紙を差し出しました。

「あなたは『パパからの管理費をあと数千円増やすか』とか、『町の銀行
からあと数万円借りられるか』といった、バケツに注ぐ水の量ばかりを気に
されている。でも、問題の本質はそこじゃない。

何のために使っているか、家族の皆さんに意識されないまま、引き落とされたり、使われたりするおカネが多いのではないでしょうか」

アドバイザーは、家計簿から浮き彫りになった「漏れ」を指差しました。

「これを見てください。佳子さんが頼んだモダンアートの清掃代、誰も使い
こなせない壁掛けモニターの維持費……。これらの一つひとつは、家計全体から見れば数千円の小さな出費に見えるかもしれません。

でも、こうした『以前に決めてしまったからやめられない』という理由だけの浪費が、家計のあちこちに見受けられますね。

他にも、家のあちこちの補修で、数十円から数千円単位の補修費・材料費があまり意識されることもなく無数に使われている。その数は誰も把握できてないようですね。

どんなにパパが必死に働いて水を注いでも、このバケツの底に空いた無数の穴を塞がない限り、家全体の稼ぎを増やすための『投資』には一円も回りませんよ」

おじいちゃんは顔を真っ赤にして反論しました。「これは家族の絆だ! 業者との付き合いもあるし、一度決めたことをやめるのは、我が家の信用に関わる!」

アドバイザーは、眼鏡の奥の目を少し細めて、静かに問いかけました。

「おじいさん、この家計の『目的』は何ですか。『今の生活スタイルを維持する』ことですか。パパが退職したあと、ママ一人のパン屋の収入で、この巨大な維持費を払い続けられますか」

おじいちゃんは言葉に詰まりました。

「佳子さんや正くんが、自分たちでもっと稼げるようになるために、そのお金を『目的をはっきりさせて』使う必要があるのではないでしょうか。

スキルを磨くのか、新しい商売を始めるのか。目的が曖昧なまま、ただ『手当』としてお金を渡しても、二人がそれを食事や遊びに使ってしまっては元も子もありません。

今の財牟家のお金は、未来を作るためではなく、『過去に決めた形』を維持するためだけに、消費されているのではありませんか」

アドバイザーが帰ったあとの静かな食堂で、おじいちゃんは一人、カルテを見つめたまま色々考えてました。「たしかにムダもありそうだ。でもまだまだこんなものじゃないはずだ…要はもっと稼げばいいんだ」。

おじいちゃんは、ますます闘志を燃やしたようです。

その横で、正くんがまた「予備費」で買ってきた冷めた揚げ物を、佳子姉ちゃんが何も考えずに口に運んでいました。


小話の洗練度は度外視していただきたいが、少なくとも、数字はそれほど
違和感がないのではなかろうか。

これらの数字を1億倍すれば、日本経済の問題点をおおよそ表現できているはずだが、どうだろう。(万 X 億 = 兆 : ざっくり、個人の1万 が、日本の人口1億人分で、1兆円になると考えれば覚えやすいだろう)

冒頭に出てくる、おじいちゃんが言ってる「1,200万円の借金」というのは、国が言う「1,200兆円もの国の借金」だ。

しかし、財牟家で言えば、パパが2,200万円銀行に預金があり、(日本の個人貯蓄は約2,100兆円超)借りているのはおじいちゃん個人(政府)の話。 (日本国民の貯蓄2,200兆円の威力参照下さい)

「国の借金」というのは誤解を招く。端的に言えばだ。
だから、最近はおじいちゃんもあまり言わなくなったが、これまで国民を萎縮させ続けたその罪は大きい。

毎年10~20兆円(財牟家の10~20万円)規模の「税金のムダ」が
垂れ流され続けているのを「仕方がない」と考えてよいのだろうか。

このような視点で、冒頭のメガソーラーや大阪万博、ニチイ学館などの実際報道で流れている「税金のムダ」の事例と比較してほしい。

また、コロナ予備費の使途不明金の約10兆円(10万円)も、その中に
入る。

財牟家の家計の状況とのアナロジーは十分成立していると思うが、いかが
だろう。

「このアナロジーは正しい」と思った方は、是非、友人や知人にも広めて
いただければ幸いです。

まだ後編も書くつもりでいます(未)


関連ノートの全体像は下のノートマップを参照して欲しい。


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