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芥川賞候補作「エレクトリック」を読んでみた

そのどちらでもない時間がとても贅沢だ。

7/19に発表される芥川賞の候補作を読んでいます。

今回のnoteは、その候補作のひとつ、「エレクトリック」(著千葉雅也)のブックレビューエッセイです。この芥川賞をより楽しむための記事となっています。

「エレクトリック」あらすじ

舞台は1995年、阪神大震災、地下鉄サリン事件が起き、最初の"エヴァ"が放映され、Windows95が発売、インターネットが本格化した年。

主人公は、高校2年生の達也。心と身体の変化、性への目覚めは、父親の姿を通じて、重ねることで、自分の中にある揺れ動きの存在と共に理解していく。

達也にとって父親は英雄だ。自身の事業を経営し、自分の哲学で生きている。父親が今夢中になっているのは、50年前の伝説のアンプの復活。父は高校時代の友人である野村と共に、配線を繋げる。

その父の背中を見て成長する達也は、2人だけが理解し合える世界が存在し、その世界に自分は決して入り込めないことに気づく。それは、父と野村との間に広がる特別なコミュニケーション空間があることで、達也にとって未知の領域だった。

そして達也はつながったばかりのインターネットを通じて、ゲイコミュニティに恐る恐る接触を図っていく。

心と身体、そして社会全体が大きく変化する中で、自分の中にも確かに大きな揺れ動きがあることを自覚する。それが父を英雄と呼ぶ最大の理由だったのかもしれない。

達也は、その英雄の背中を見ながら一歩一歩大人へと、男に成長していく。

目の前に起きた現象に対し、自身の中で電気信号のような反応が生じる。しかし、それが何を意味するのか、それをしっかりと認識するにはまだ時間が必要だ。

それでも構わない、自分自身がどちらなのか、何者であるのかをすぐに決める必要はない。そのどちらでもない、揺れ動く時間が達也にとってはとても贅沢な時間なのだから。

みんなから祝福される、それのいったい何が面白い?

みんながいいということ、そればかりがなぜこんなに求められるようになったのか?

その分岐点となったのはエレクリックの舞台である1995年なのかもしれない。

同じ世界にいたとしても、目の前で全く同じことが起きたとしても、それに対しての電気信号が頭の中のどの配線を走るのかは人それぞれだ。

みんながわかること、みんなから祝福されることよりも、2人だけがわかること、その2人だけのコミュニケーションが、2023年で何よりも貴重で贅沢なものなのかもしれない。

読み手にマウンティングしてくる小説が純文学

このエレクリックは、みんながわかること、それの何が面白い?と、最初から最後まで読み手にマウンティングをしてくる一冊です。

これほど読み手に不親切な小説はなかなかない。だから何度も何度も読み返す。
読み返す度にわかってくることとそれ以上にわからなくなることがある。

わかるって何を持ってしてわかるというのか?

そんなことよりも、そのわかろうとする、それが許される時間の方が贅沢だ。

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ギフテッドブックスの本棚(K') AIを使えばクリエイターになれる。 AIを使って、クリエイティブができる、小説が書ける時代の文芸誌をつくっていきたい。noteで小説を書いたり、読んだりしながら、つくり手によるつくり手のための文芸誌「ヴォト(VUOTO)」の創刊を目指しています。

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