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【キャリアの分岐点】教員採用試験を受けた私が、知らない町に赴任するまで

🏫新聞記者をめざした私のキャリアシリーズ

新聞記者を目指した学生時代。受けたすべての新聞社に落ちるまでを、2回にわたってお届けしました。

そして、新聞社に全滅した私が、ついに奮起して、教職を目指すまでをこちらの記事に書きました。

おかげさまで、多くの方にスキをいただきました✨ありがとうございます!

今日は、教員採用試験を受け、知らない町に赴任するまでの話です。


📢その前に、「ハルマガ」キャンペーンエントリーのお知らせ

ただいま、2週に渡って開催されている、共同マガジン「ハルマガ」の第19弾キャンペーン、「あなたのストーリーを届けよう」に、こちらの記事は参加します。

前回の記事は、すでに、経過報告で紹介していただきました!

皆さんも、「ハルマガ」に参加して、「あなたのストーリー」を届けてみませんか?

それでは、本編に戻ります。



🏫教員採用試験の準備は整った!

本命である新聞社の採用試験に全滅し、教職への道に本気になった私。ついに、教員採用試験の日がやってきました。会場は、弟と妹の母校である高校。(ちなみに妹は当時まだ現役高校生でした。)

集団討論が始まった

まずは、集団討論から始まりました。うろおぼえですが、5名のグループだったと思います。その場でメンバーが知らされ、教室へ。2名の面接官が討論を見守りました。


テーマは、私が予想していた通り「体罰について」!準備していたかいがありました。


さっそく、「どなたか、司会をしていただける方はいらっしゃいますか?」と、口火を切りました。複数人の手が挙がり、司会はお譲りしました。


司会の方も、他の受験者の方々も、たくさん意見を出すタイプでした。
事前に考えていた通り、私は、「私も〇〇さんの意見に賛成です。さらに〇〇するといいと思います」というように、追加の意見を言ったり、「皆さんの意見をまとめると、〇〇ですね」のような、まとめ意見をお伝えしました。


グループメンバーと意思疎通をはかることができましたし、自分の意見を言うこともできました。皆さん緊張はしていましたが、ポジティブな雰囲気だったので、終わって安堵したのを覚えています。



そして個人面接

個人面接に呼ばれ、面接室に入ると、2人の面接官が待っていました。志望動機、大学時代に頑張ったこと、将来への展望などを聞かれ、準備していた私らしい内容を、表情豊かに、前向きな声で伝えることができました。


ここでも、体罰についての意見を求められ、集団討論で話したことと同様の意見をを手短にお伝えしました。


面接官は、優しく、うなずきながら話を聞いてくださる方でした。おかげで、背伸びせずに、情熱を持って教育の道を進みたいと、語ることができました。


すると、最後に、面接官から、「あなたの目は、輝いていますね。教師になりたいという気持ちが伝わってきましたよ」と声をかけていただきました。


🏫等身大の自分で勝負できた

新聞社を受験した時の私は、尊大な態度だったのではないでしょうか。新聞社の合宿に参加して、「記事がうまい」と褒められてその気になっていたんですね。


目指していた新聞記者への道が断たれた時、初めて、自分が何者になりたいのかを考えました。


その時に気がついたんです。何者かになる前に、自立したいと。自分の足で歩き、見えてきた世界で勝負しようと思いました。


無我夢中で、これまでに自分がしてきた経験を掘り下げて、掘り返したもの全部をもって、教員採用試験に臨んだんです。初めて、等身大の自分自身を、全身全霊で伝えようと頑張りました。


🏫採用されたものの、「B登録」

結果は、「B登録」という通知でした。「A登録」から順に教員に登録され、「B登録」は4月までに登録されれば連絡が来るはずだ、という不安な結果でした。


待つしかありませんでした。そして、3月中旬に「登録された」という通知が!涙がでました。これで独り立ちできると思いました。


3月下旬に、赴任する土地を知らせる電話がかかってくるので、同封されている地図を手に電話に出る事と書いてありました。

大学の卒業式も終わってしまったある日、ついに、電話がかかってきました。「北海道教育委員会です。あなたの赴任地は、地図のアルファベット〇と、番号〇の交わったところにある、〇〇町です」


🏫まったく知らない過疎の町へ

小中学校の教員は、管内異動なのですが、高校は北海道一円異動。大都市がA地区、以下、都市がB地区、列車の路線があればC地区、列車の路線がない、または離島はD地区。初任地は、たいていがCかD地区という噂を聞いていました。


私の赴任地は、C地区にある、無人駅のある人口5,000人以下の町でした。北海道最大の都市、札幌市で生まれ育った私にとって、名前も聞いたことのない町でした。自分が住んでいる近所の地域一帯のほうが2倍以上の人口がありました。


当時、ピッチ(PHS)を使用していましたが、赴任先の学校に電話して聞いてみると、大手電話会社1社の回線しか使えないとのことでした。そこで、人生で初めて、携帯電話を購入しました。


車がないと生活ができない町だと聞きました。車の免許を取得して1週間しか経っていませんでしたが、自分で5時間運転して赴任しました。峠や断崖絶壁のような場所も運転していきました。よく命がありましたね。


🏫【次回予告】トイレは簡易水洗、セブンがない、住民は鍵をかけない・・・私の田舎奮闘記がはじまります


せっかく、ここまで書いたので、初任者として教育の道に足を踏み入れた私の奮闘記をしばらく書いてみたいと思います。


次回をお楽しみに!



📒実は、アラフィフで教員から転職しました!

就職氷河期に新聞社を全滅して教師になった私は、25年後、教員を退職し、4か月間の休止時期を経て転職に成功しました✨


👇氷河期世代の私が転職できた方法を、こちらの記事に詳しく書きました!ちなみに、求人サイト経由では60社あまり全滅しています。


🌸最後まで読んでいただき、ありがとうございました!





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秋月みりーほ | 人生の選択を、自分の言葉で 最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたチップで、本や有料記事を購入して、自分の文章に磨きをかけたいです。皆さんに還元できるような記事が書けるよう、応援してください! あと、たまにスタバのコーヒーが飲めたら、舞い上がって喜びます✨