【技術】400年崩れない石垣と、100年後へ残せない知恵──穴太衆からAI時代の継承を考える
激甚化する豪雨や巨大地震のニュースを目にするたび、私たちはある奇妙な光景を目にすることになります。
近代工学の粋を集めて作られたはずのコンクリート擁壁や舗装が水圧で崩落する傍らで、数百年前の戦国時代に築かれた城郭の石垣が、何事もなかったかのようにその姿を保ち続けているという現実です。
その石垣を築いたのは、近江国坂本を拠点とした伝説の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」。
織田信長が安土城を築く際に登用し、以来、全国の名城の土台を支えた職人たちです。彼らが得意とした「野面積み(のづらづみ)」は、自然石をほとんど加工せず、そのまま積み上げる手法でした。
一見すると不規則で乱雑に見えるその石垣は、実は極めて合理的な免震・排水構造を持っています。接着剤(漆喰)を使わず、石と石の噛み合わせと隙間に詰めた小込石(こごめいし)によって、地震の揺れをいなし、豪雨の水圧をいとも簡単に逃がしてしまう。
しかし、これほどまでに堅牢でサステナブルな技術でありながら、現代において穴太衆の正統な技法を継承する組織は、滋賀県大津市に拠点を置く「粟田建設」ほぼ1社(第15代当主・粟田純徳氏の系統)のみという極限的な状況に追い込まれています。
1. 「野面積み」はマニュアル化できなかった。
なぜ、これほど優れた技術が「100年後の未来」へと滑らかに引き継がれなかったのでしょうか。答えは単純です。
「同じ形をした石は、自然界にふたつと存在しないから」
近代以降の産業革命が成し遂げた「標準化」と「大量生産」は、すべてを規格化(コンクリートブロック化)し、数値化し、テキストや図面という「形式知」に変換することで拡大してきました。
しかし、穴太衆の技の真髄はまったく逆の場所にあります。
彼らは石を積む際、「石の顔を見る」と言います。ひとつひとつ形の異なる自然石を前にして、瞬時にその石がどの位置でどの角度で収まるべきかを見極める。これは言葉や数式でマニュアル化できるものではありません。10年以上の現場経験を通じて、身体感覚として獲得される「暗黙知」の極致です。
近代化というシステムは、「形式知化できるもの」だけを正義として採用し、効率化してきました。その結果、形式知に落とし込めない超・高精度な暗黙知は、継承のコスト(徒弟制度・膨大な時間)に耐えきれず、次々と絶滅危惧種となっていったのです。
2. AIは「暗黙知」を継承できるのか
ここに、現代のあらゆる組織やプロダクトが抱える「ナレッジ継承の限界」を迎える一方で、私たちはAIという新たなテクノロジーの前に立たされています。
「AIを使えば、この形式知化できなかった職人の暗黙知もそのまま継承できるのではないか」
しかし、ここには慎重な洞察が必要です。
技術的に言えば、AIが暗黙知そのものを直接学習・継承することはできません。 AIが学習できるのは、どこまでも「観測可能なデータとして現れたパターン」に過ぎないからです。石の重さを感じる身体も、風の匂いから雨を予知する皮膚感覚も、AIにはありません。
ならば、AIに意味はないのかといわれると、そうでもありません。AIの真価は、「暗黙知が現実に残した『痕跡』を大量に学習することで、形式知化できなかった知恵を再現可能な形に近づける」という点にあります。
穴太衆が組んだ石垣の3D構造、石同士の接地面の微小な角度、隙間に詰められた栗石の密度、それらが耐えてきた数百年の環境データ——。これまでは「職人の勘」と一蹴され、テキストには残らなかった膨大な「痕跡のデータ」を、現代のAIは高解像度でパターン認識することができます。
AIは暗黙知を言葉(形式知)に変換するのではない。暗黙知が残した「揺らぎ」や「文脈」のパターンをそのまま保持し、再現可能な補助線として人間に提示する。それこそが、私たちが手に入れた新しい技術の正体です。
4. 継承すべきは「答え」ではなく「見るべきもの」
人間がAIに継承させるべきものは「この石はここに置け」という単純な答え(出力)をAIに学習させることではありません。
穴太衆の棟梁は、単に石の置き場所の答えを持っていたわけではありませんでした。彼らが持っていたのは、何を見るべきかという「眼差し」です。
石の顔を見る。
地形を見る。
水の流れる道を見る。
垂直・水平にかかる荷重を見る。
周囲の石との調和を見る。
そして最後に、「この石を、この場所で、この向きに置く」と決断する。
つまり、重要なのは「石を積む技術(答え)」そのものではなく、「答えを導き出すために、何を見るべきかを知っていること(構造への眼差し)」に他なりません。
「AIに仕事を奪われるか?」という不毛な問いに留まる必要はありません。私たちが突きつけられている本当の問いは、「AIに何を見せ、何を継承させるのか?」なのです。
5. 未来へ残す「見方」の美学
穴太衆が残したのは、頑丈な石垣だけではありません。「自然を完全に支配しようとせず、その形を読み、その場所に最も適した構造を与える」という、ひとつの大きな知恵でした。その思想は、400年前の石垣の中にしっかりと埋め込まれています。
そして今、私たちは初めて、その「痕跡」を大量に読み取れる機械を手にしました。
AIは、穴太衆そのものにはなれません。 石の重さを感じることも、現場の風を受けることも、何百年先の大地に立つ城を想像することもできないからです。
人間が「何を見るべきか」の軸を定め、AIが「そこに何があるのか」のパターンを精密に読み取る。そのとき、暗黙知は初めて、個人の身体という枷を超えて未来へと移動し始めるのかもしれません。
400年前、穴太衆は石に知恵を刻みました。 私たちは今、データに知恵を刻もうとしています。
未来に残すべきなのは、無機質な「答え」ではない。
複雑な世界から美しく強靭な構造を導き出すための「見方」そのものなのです。
さらに深堀りしたい方へ:
「私たちは語ることができる以上のことを知っている」という名言で知られる、暗黙知(Tacit Knowledge)の概念を提示した名著。穴太衆が「石の顔」を読む行為の哲学的・科学的根拠を提示し、なぜそれが簡単に形式知化できないのかを本質から理解するための必読書です。
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