金曜日の知らんけど_無
ヤスシさん主催の「放課後ライティング倶楽部」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
私は、企画ものが大の苦手で。四苦八苦なのであるが。
さて。今回のお題は……。

いつものように、私の思うことを勝手気ままに書くが。
そもそも、私に文体があるのかどうかは、非常に疑わしい。
私の文は、読点が多い。その時点で、私の文は、文章じゃない。喋り言葉なのだ。
ちょっと文語体に似せた、喋り言葉。それが私の文章である。
これを文体と呼んでいいのならば、まあ、呼ばせてもらおう。
で。この文体を変えると、感じが違ってくるのかと言われれば、まあ、そんな部分もあるのだろう。きっと。
だが、あまり変わらないような気がする。
実は、このヤスさんの「土曜日の知らんけど」を、私は翌週の金曜日に書くので「金曜日の知らんけど」になるのだが、これを書き始めた頃は、ちょっと書き方を変えてみたのだ。
私の記事は、曜日によってベースとなるテーマを変えている。性格的に、そういうとき、テンプレート的なものをベースにしておくと書きやすいと思っている。
つまり最初は、そのテンプレートを探りつつ書いていたのである。
で。なんとなく、型ができた。
私自身は、当面、この手法自体を変えてしまうことは考えていない。
質問に戻ろう。
文体を変えて良いか。
それは多分、変えて良いのだと思う。
読んでくれる人は、面白ければ読むし。逆なら読まない。ただ、それだけのことで。それは、文体を変えることとは関係ないように思う。
ちなみに。
私の古くからのnoteの友人に、てるとさんという人がいる。
てるとさんは、ある時、文語調から口語調に変えた。これは、文体を変えるということに近いように思う。
で、どうなったかというと。
私の目から見たら、前も良かったが、今は更に良い。そう、思う。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジは、文体どうのこうのではないよね。全て駄文だから。
そうだ。実に、恥ずかしい限りだ。
さて。ヤスシさんの記事に書いてあることをバッサリ私流に要約するとこのようなことが書いてある。
文体は変えて良い。むしろ、恥ずかしくなるくらい変えてみたほうがいい、と。
私の思っていることと、ちょっと似ていると思うのは、思い過ごしだろうか。……だろうな。
ここまで来て思い返すに。こんな私の拙ない記事にでも読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。
本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心の底から感謝を申し上げたい。
あれ?
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内と語らおうとしてソファーに目をやると、家内が脚を指さしてニッコリと笑って言った。
「コジくん、文体変えなくて良いから、マッサー(注1)にまわす時間を多めに変えて」
……。
マッサージすると、家内は上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。


