熱を帯びた文章
その手紙を読んだ時、
「とても整ってる手紙だな」
と感じた。
それと同時に
「熱のない文章だな」
と思った。
私は熱を帯びた文章が好きだ。
実際に文章の温度を測ることはできないので、「熱を帯びた文章」とは、あくまでも比喩となる。
しかし、私は温度の高い文章は本当にあると思っている。
私が入社してから早くも14人目の退職者。
2月末に新しいステージに向かって颯爽と去っていった。
彼女は最終出勤日に、ピンク色の包装紙に丁寧なリボンがついているお菓子と、会社の人全員に対する感謝を綴った手紙を持ってきてくれた。
仕事をお願いすると嫌な顔一つせずやってくれ、誰がやるか決まっていない雑用をスッとやっておいてくれる。
そういう気遣いができる方だった。
気遣いはできるが、仕事でのメールの文章などは、ところどころ日本語がおかしかった。
文章を書くのは得意ではなかったと思う。
文頭のある手紙への私の感想は、そんな彼女が最終出勤日にお菓子と共に持ってきてくれた手紙に対しての感想だ。
花柄模様のついた真っ白な封筒に入ったその手紙には、手書きの文字で、決まり文句が次々と並べられ、収まりよく整っていた。
綺麗だった。
でもそこには温度が感じられなかった。
普段は不器用な日本語でメールを送っていた彼女が、こんなにも整った文章を書けるわけがなかった。
一緒に働いてきたからわかった。
彼女らしくなかった。
その違和感への答え合わせは彼女自らしてきた。
「昨晩チャッピーに考えてもらって書いたんです」
やっぱり。
「へぇー、チャッピーってこんな文章も書けちゃうんですね」
と、私は何も知らないふりをした。
その日の帰宅後、彼女からいつもの拙い文章で、長文の感謝のLINEが送られてきた。
そこに書かれていたのは温度のある言葉たちだった。
会社に向けてのメッセージからは温度が感じられなかったので、
「あー、やっぱりこの会社が嫌だったんだな」
と思うと同時に、そう思わせてしまった申し訳なさもあった。
しかし、自分だけには気を許してくれたことが少しだけ誇らしかった。
彼女から送られてきた熱を帯びた文章には、
「今までありがとうございました」
という言葉はなかった。
それなのに、滲むような感謝が伝わってきた。
言葉とは相手に伝えるために、人間がずっと昔から培ってきた伝達手段だ。
近年AIが急激に進化を遂げ、精度の高い文章を簡単に量産できるようになった。
人間の文章力など、もはや必須のものではなくなった。
すでにAIを使いこなし、自分らしい言葉を覚えさせ、自分で書いたものと見分けがつかないくらいに、AIに完璧な躾をしている先駆者たちもいる。
そういう人たちは、そこまでしてでも文章を書くという行為を効率化したい方たちなのだろう。
熱を入れて育て上げたAIが書く文章は、温度のある文章だろう。だからそれはそれでいい。
しかし、無料のAIアプリに、都合のいい時だけ気まぐれに、文章作成を依頼するような一般人は別だ。
相手にAIで書いたと悟られてしまったら、それは自分の価値を下げることになる。
拙い文章でも自分で書いた文章の方が、よっぽど人間らしくて美しい。
そう信じながら、私は今日も自分の文章に熱を加え、拙い文章でどこかの誰かに言葉を届ける。
観葉植物に水をあげるように、毎日想いを込めてnoteを書いているおかげで、表現できる言葉が少しずつ増えてきた。
言葉が育っていくのを感じる。
文章に熱がこもっていくのを感じる。
私は昨日より、書くことが楽しい。
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