矛盾だらけで「おまいう案件」なカフカだけど、その小説を読むと「現代人なんじゃないの?」って共感が湧いてきてしまうのはなぜなのだろう - フランツ・カフカという不条理②
今月のメンバーシップ限定記事では、「フランツ・カフカという不条理」をテーマに分析しています。
初回はフランツ・カフカの人生を振り返り、その面倒臭い性格と第一次世界大戦との独特な距離感について見ていきました。
一般的にカフカは戦争に興味がなかったと言われています。その根拠として日記内で戦争についての記述が極端に少なく、仮に取り上げられたとしても日常の些細な悩みと同格の扱いになっている点が挙げられています。
第一次世界大戦中、カフカは奇妙な行動をとっている。つまり彼は、いかなる奇妙な行動もとらなかった。
開戦とともに誰もがこれまでとは違った感情に襲われ、これまでとは違った言葉を口にした。ついぞなかった熱狂を示したり、にわかに愛国主義者になったりした。あるいは反戦家になった。戦況に一喜一憂し、勝利を称えながら、ひそかに不安を漏らしたりした。トーマス・マンは「非政治的人間の政治的思考」と題する長文の時局論文を発表した。ヘルマン・ヘッセは反戦のペンをとった。詩人リルケは「微力ながらの奉仕」の呼びかけに応じて戦時報道局に勤務した。そんな時代相にあって、カフカはまるきり戦争がないかのようにふるまった。いかなるきわだった行動もとらなかった点で、このプラハの小官吏兼無名の作家の日常はきわだっていた。
実際、サラエボ事件(1914年6月28日)直後の日記はこんな感じ。
六月三十日
ピック(友だち)とともにヘラーアウ、ライプチヒへ。ぼくはひどく不器用に振る舞った。一問も発せず、一答もできず、身動きすることもできず、辛うじて人の目に見入ることができただけ。
〈省略:旅先で出会った人たちの情報の羅列〉
失敗:「自然」(森の居酒屋)が見つからなかったこと。シュトルーヴェ通りを探し回ったこと。ヘラーアウ行きの市電をまちがえたこと。森の居酒屋に部屋がなかったこと。そこでE(運命の恋人フェリーツェの妹エルナ)から電話を受けることになっているのを忘れていたので引き返したこと。ファントルともう一回会えかったこと。ダルクローズがジュネーヴに行っていたこと。翌朝おそく居酒屋に着いたこと。だからF(運命の恋人フェリーツェ)の電話は徒労だった。ベルリンではなくライプチヒに行くことを決めたこと。無意味な旅だったこと。
〈省略:ひたすら失敗の羅列〉
七月一日
疲れすぎている。
その後も日記には戦争に関する記述が異様なほど出てきません。
ようやく出てくるのはドイツがロシアに宣戦布告した1914年8月1日の翌日のことです。
八月二日
ドイツがロシアに宣戦布告した。 ➖ 午後、水泳学校に。
このような戦争と水泳学校が同格に扱われている日常の記録から、カフカは戦争に興味がなかったという評価がなされてきたのです。後日にも、長編小説『審判』がうまく書き進められない悩みが記され、その際、戦争と恋愛の悩みが同格に扱われています。
が、あらゆる憂慮に悩む人間がこれを書いたと考えればむしろ戦争も恋愛も同じぐらい重要だったと言えるのではないか?
そんな先行研究に対する疑問から、カフカの作品を第一次世界大戦に絡めて読み解き直すという発想がわたしの中に湧いてきて、今回、カフカを徹底的に調べることに決めました。
ところが、カフカを知れば知るほど、カフカがわからなくなるという底なし沼にハマってしまいました。というのもカフカは矛盾だらけの人間で
なにを考えているのかさっぱり見えてこないのです。
今回はそんなカフカの矛盾っぷりに迫っていきます。
☆矛盾だらけのフランツ・カフカ
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