【映画感想文】言語隠蔽現象って知ってる? 言葉にすると感情が隠れちゃうんだって。嫌なときに「やめてください」と言っても適当に扱われちゃうのはそういうことなのかも。だから、嫌なときには沈黙し、行動で嫌さを示すしかないんだと思う。 - 『グッドワン』監督:インディア・ドナルドソン
言語隠蔽現象って知ってる?
顔や味、匂いなどの非言語的な情報を言葉で説明しようとすると、記憶の正確さが低下する心理現象らしい。
たしかに感じたことを言葉にすると、「好き」とか「嫌い」とか「楽しい」とか「つまらない」とか、大味なくくりになってしまって、本当はそうじゃないのに……ってなりがち。
だから、すごく嫌なことをされたとき、「やめてください」と言っても伝わらないことがある。
「嫌よ嫌よも好きのうち」や「冗談もわからない」といった加害者に有利なクリシェに回収されて、わたしの感情は言葉にした瞬間、よくあることになってしまう。
そこから逃れるために必要なことは沈黙である。ただ、それは我慢するということではなく、行動を伴う沈黙でなくちゃいけない。
映画『グッドワン』はティーンエイジャーが勇気を出して、行動を伴う沈黙で自分に対して嫌なことをした大人たちと対峙する物語だった。
この映画を見ると、わたしたちは被害者としても、加害者としても価値観を揺さぶられるに違いない。
勇気を出して不満を伝えたのに「まあいいじゃん」「気にし過ぎ」「仲良くしようよ」みたいにいなされた経験は誰もがあるはず。逆に、不満を伝えられたとき、その場をまとめようと似たようなことを言ってしまったこともあるんじゃなかろうか。
作中、"good one"という言葉は「いい日にしよう」という意味で使われていた。
離婚し、離れて暮らす17歳の娘と2泊3日のキャンプを楽しむ父親。親友の男も一緒で最高に楽しい時間を過ごしているはずだった。しかし、なぜか娘が不機嫌な態度でツンツンし始める。なにかあったんだろうと当たり障りのない質問で様子を探ってみると、実は、昨夜、自分の親友に嫌なことを言われたと相談されてしまう。
「なんだ、そんなことか。あいつは昔から冗談ばかりのクソ野郎で、ろくでもないやつなんだよ。頼むよ。適当に聞き流せ。変な空気はやめよう。せっかくのキャンプなんだ。いい日にしよう。な?」
もちろん娘は大切だけど、中年男にとって気楽に話ができる昔からの親友も大切な存在。問題発言があったと認識していても、できるだけ穏便に済ますべく、つい、そんな風に言ってしまう気持ちはわからなくもない。
しかし、父親を信頼し、思い出すのも嫌なことを言葉にした娘にしてみれば、こんな態度を取られて失望せざるを得ない。
だいたい、この父親は娘の意向も聞かずにキャンプを企画し、家族みたいなもんだし、別にいいだろうとホテルの部屋も三人一部屋しか取ってくれなかった。同性愛についてカミングアウトしていないのに、二人で女同士で付き合うのはいいよなぁとか、俺らはそういうのに理解あるからみたいな感じで茶化してきた。雰囲気がベジタリアンっぽいとか、車で酔ったらスマホばかり見ているからと決めつけてきたり、生意気な女を甘やかしたらダメとか不快なことを当たり前のように言ってばかり。てか、こっちは生理中で体調がよくないっていうのに、そういうことも一切気にしてくれない。山の中でタンポンを変えることがどれだけストレスか……。ちょっとぐらいわかろうとしてくれてもいいんじゃないの? なのに戻ってきたら「お花摘みはどうだった?」みたいな軽口叩いてきたりしてさ……。他にも、知らない男たちが近くでテントを張ったとき、全然、気にしていなかったよね。怖いから。普通に。なんつーか、わたしも来年から大学生だし、お父さんとこんな風にキャンプへ行くのも最後になるから、娘として付き合わなくちゃいけないなぁって我慢してきたんだよ。せめて父親らしく娘の味方をしてちょうだいよ!
おそらく、そういうキャンプ中に溜め込んでいたモヤモヤが父親の「いい日にしよう」の一言で爆発し、娘は沈黙の覚悟を決める。
この感情に値する言葉はこの世に存在しない。既存の言葉にしてしまったら最後、よくある話として適当に処理してしまう。そして、怒っているわたしの方がおかしいと言わんばかりに困った表情を浮かべられるのだ。だから、言葉になんかしてはいけない。
でも、泣き寝入りをするつもりもない。娘は父親とその親友のリュックにこっそり石を大量に詰め込み、なにも伝えず、一人で山をずかずか降りていく。本当はそのまま帰ってしまいたかったけど、車のキーは父親が持っているので、その場で立ち尽くす。
やがて、日が落ちた頃、父親と親友も降りてくる。意味がわからないと不平不満を述べている。娘は「でしょうね」とキレ返す。疲れ果てた父親は娘に「運転してくれ」と車のキーを渡そうとするも、嫌だと拒否されてしまう。その真剣な瞳に気圧されて、「運転してください」と丁寧にお願いし直すと娘と「わかった」と引き受ける。
その後も会話は交わされない。でも、運転席に座った娘に対し、助手席の父親がダッシュボードに石を置く。それは娘がリュックに詰め込んだものだった。ここで初めて親子の視線はようやく交わる。
要するに、娘が抱えていた困難が石となって可視化されているのだ。父親はその重みを知らなかったけど、沈黙した娘に無理やり待たされたことで、彼女がなにを背負わされていたのか、おそらく、理解するに至った。
言葉では伝えられないことがある。特に「しんどさ」や「つらさ」、「苦しさ」は。言葉にした途端、陳腐なものになってしまう。みんな色々あるんだよという相対主義の暴力によってたちまち過小に評価されてしまう。
このことを追求し続けた小説家がいる。ある朝、目が覚めたら虫になっていたという世にも奇妙な物語『変身』で知られるフランツ・カフカだ。
カフカは27歳の頃の日記に「書かれたものは、その自律性によって、またかたちとなったものの圧倒的な力によって、ただのありふれた感情にとって代わってしまう。そのさい、本当の感情は消え失せ、書かれたものが無価値だとわかっても、すでに手遅れなのだ」と書いているという。これについて頭木弘樹は以下のように分析している。
少し難しいですが、ここはとても大切なことを言っていると思います。
じつは最近、「言語隠蔽」という現象が明らかになってきています。
たとえば、こんな実験があります。
事件の犯人の顔を目撃した人に、犯人がどういう顔をしていたか、言葉で説明してもらい、その後で、複数の顔写真の中から、犯人の顔を選んでもらいます。
すると、言葉で説明しなかった場合に比べて、正しく犯人を選び出せる確率が格段に下がるのです。つまり、顔を言葉で説明したことによって、顔の記憶が不確かになってしまったわけです。
〈省略〉
言葉にできたところだけが鮮明に記憶に残って、言葉にできなかった要素は記憶から消えてしまったり、不正確になってしまったりするのです。
それが「言語隠蔽」という現象です。
言葉にしないほうが、全体的な印象がそのまま残るので、より正確なのです。
どうやらカフカは言葉にすることで大事なことが消えてしまうと知っていたらしい。
かけがえのない出来事や経験をしているにもかかわらず、それを安易に「うれしい」とか「悲しい」とか言ってしまったら、ありふれたものになってしまう。そういう出来合いの感覚ではなく、自分がたしかに感じているものを表現したかったはず。しかし、どんな言葉も所詮は「あいうえお」の組み合わせに過ぎず、どんなに工夫をしても、究極的にはありふれたものになってしまう。
その矛盾を認めた上で、それでもカフカは小説を書き続けたからこそ、異様に曖昧な物語ばかりが作られた。
実際、『変身』もツッコミどころがたくさんある。リアリティは全然ない。が、それ故に普遍性を獲得し、現代のわたしたちが読んだとき、そこに引きこもりや介護の問題を読み込むことができる。すべてを言葉にせず、沈黙し、曖昧にしておくことで大切な感情は人に伝わる。
そんな曖昧さを保ち、中途半端な場所に留まろうとすることはカフカの人生哲学だった。
29歳で昇進し、給料も上がった際、恋人フェリーチェから結婚を念頭にしていたのか、将来の展望を聞かれ、こんな手紙を送っている。
将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
一見するとふざけているかのようだけど、困難の中にいるとき人間は、倒れたままでいることによって、一般的な「幸せ」や「成功」の基準から外れ、冷静さを取り戻せるのかもしれない。
特に情報化社会がいくところまでいった現代。ありとあらゆるものが高速化し、最適化されている現代において、バズった価値観が濁流のようにわたしたちを容赦なく飲み込んでくる。ヒットしているものはとりあえず褒めなくちゃいけないし、炎上している人は叩かなきゃいけない。さもなくば、時代についていけないという危機感であふれている。自分は遅れていないと表明するため、言語化に焦っている。なにか言わんくちゃとプレッシャーを感じている。
でも、本当にそうなのだろうか? 簡単に言葉にできることなんて、わざわざ言葉にしなくてもいいんじゃなかろうか?
カフカは二十歳の頃、親しかった同級生にこんな手紙を送っている。
いったい何のために、ぼくらは本を読むのか?
君の書いているように、幸福になるためか?
いやはや、本なんてなくても、ぼくたちは幸福になれるだろう。
それに、幸福になるための本なら、いざとなれば、ぼくたち自身でも書ける。
いいかい、必要な本とは、
苦しくてつらい不幸にように、
誰よりも愛している人の死のように、
すべての人から引き離されて森に追放されたように、
自殺のように、
ぼくらに作用する本のことだ。
本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。
言葉は世界をパターン化し、単純でわかりやすいものに変え、過剰な熱狂を作り出すけど、そうやって凝り固まった思い込みを破壊することができるのも同じ言葉。言葉はそのためにこそ使うべきである。
娘の真剣な訴えを"good one"、「いい日にしよう」の一言で抑圧してしまった父親だったけれど、石の重さを知った後なら、自分の内の氷結した海を砕く準備ができているかも。映画はここで終わってしまったけれど、きっと、娘は素敵な斧で父親を一刀両断するだろう。そのとき、本当の意味で"good one"、二人に「いい日」がやってくる。
そのことを想像し、劇場を後にしながら通知の溜まったLINEを開き、つい適当に返事をしてしまいがちな連絡に対し、わたしはいつもより丁寧な回答を心がけた。わたしの中にはあの娘もいるし、あの父親もいて、被害者でもあって、加害者でもあり、両方の立場から打ちのめされた。
でも、それはとても爽やかなノックアウトだった。
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