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なぜ"いま"日本の女性作家が世界中で読まれているのか? 偶然ではなく、ビジネス戦略に基づき翻訳環境を整えてきた地道な努力が形になってきたっぽく、ここに日本のコンテンツ産業が生き残っていくためのヒントがありそうだよ - 柚木麻子『BUTTER』と王谷晶『ババヤガの夜』をきっかけに女性作家の活躍を考える①

 メンバーシップ用の記事、7月は「自己啓発本の変遷に見るわたしたちのリアリティ」、8月は「シェイクスピアと陰謀論」をお送りしました。

7月 自己啓発本の変遷に見るわたしたちのリアリティ

8月 シェイクスピアと陰謀論

 今日から第3弾「柚木麻子『BUTTER』と王谷晶『ババヤガの夜』をきっかけに女性作家の活躍を考える」をお送りします。と言っても、無料部分もけっこうあるので、みなさん、途中までお楽しみください。面白かったら、ぜひ、メンバーシップ入ってね。

 さて、早速、本題に入っていきます。

 2010年代後半から、日本の女性作家が世界的に評価されています。特に今年はインターナショナル・ダガー賞(翻訳部門)に柚木麻子『BUTTER』と王谷晶『ババヤガの夜』が候補作に選ばれ、王谷晶さんが日本人初受賞者となり、大きな話題を呼びました。

 ちなみにインターナショナル・ダガー賞は過去、横山秀夫・東野圭吾・伊坂幸太郎が候補になってきました。また、柚木さんも王谷さんもともに1981年生まれの就職氷河期世代の女性ということで、その共通点にも注目が集まりました。

 他にも日本の女性作家の小説が相次いで翻訳されています。基本的には英訳されたものが大きな賞の候補作となり、他言語にも翻訳されて世界に広がっていくという流れができています。

 結果、日本国内よりも日本の現代小説がワールドワイドに読まれているという皮肉な状況が生まれています。例えば、柚木さんの『BUTTER』は2025年7月時点で日本では35万部なのに、イギリスでは45万部売れているというから驚きですよね。

 そんなわけで、ひとむかし前だとノーベル文学賞発表の時期になると、ハルキストたちが集まって、村上春樹さんに夢を託したものですが、最近は普通に多和田葉子さんや金井美恵子さんも候補者予想に名前があがり始めていますね。

 なぜ"いま"日本の女性作家の小説が世界で読まれるようになったのか?

 本好きはみんな、気になっている疑問だと思いますが、いろいろ調査をしていくと、主に3つの理由が見えてきました。勿体ぶっても仕方ないので、結論から言うと以下の通りになります。

①日本語→英語の翻訳文化育成&翻訳の推し活化
②毒婦・毒親という概念の持つ普遍性
③シスターフッドへの共感

 9月のメンバーシップ限定記事では、これらについて詳しく解説しながら、上記3つの要素を兼ね備えた柚木麻子『BUTTER』と王谷晶『ババヤガの夜』の魅力に迫っていく予定です。

 今回はまず、①日本語→英語の翻訳文化育成&翻訳の推し活化 から詳しく見ていきましょう。

 大前提として、どんなに素晴らしい作品でも、読まれないことには評価されることはあり得ません。世界で読まれるためには何より大切なことは翻訳されることです。

 そもそも「日本文学」は天才アーサー・ウェイリー(1889-1966)が英博物館に勤務しながら、独学で日本語をマスターし、『源氏物語』を翻訳(1925 - 1933)したことで世界に発見されました。

 ちなみにカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のマイケル・エメリックさんによれば、『源氏物語』の原文は難し過ぎて、日本の知識人の多くが読んだフリをしていた可能性が高いそうです。中央公論社長の嶋中雄作も同様だったようで、アメリカ出張時にアーサー・ウェイリー版を読み、「源氏物語ってこんなに面白かったのか!」と感動、それをお土産に帰国し、谷崎潤一郎に読ませたそうです。

谷崎研究者である千葉俊二氏が指摘するように、中央公論社長の嶋中雄作が谷崎に『源氏物語』の現代語訳をしないかと提案したのは、同年11月の末と思われる。1934年正月早々、谷崎はウェイリーの英訳The Tale of Genjiを中央公論社から送ってもらって読んでいる。そしてその後で『源氏物語』の現代語訳を引き受けるのである。

放送大学教材『世界文学への招待』(宮下志朗, 小野正嗣)よりマイケル・エメリック「お茶の間にいながら, 世界文学 - 『源氏物語』と日本文学の世界性」,232頁

 谷崎もこれに感動し、戦時中の紙不足を招くほどベストセラーとなった『谷崎潤一郎訳源氏物語』刊行に繋がったというから、アーサー・ウェイリー版『源氏物語』恐るべしですよね。

 さらに、1940年、これを読んだドナルド・キーン(1922-2019)は日本文学に興味を持ちます。1942年、アメリカ海軍日本語学校に志願し、従軍経験を経て、戦後は「日本文学の伝道師」として近松門左衛門・松尾芭蕉などの個展から谷崎潤一郎・川端康成・太宰治・三島由紀夫など同時代の作家を英語圏に紹介。川端康成のノーベル文学賞受賞にも関与したわけですから、その連鎖は本当に半端ない。

 その後、日本文学は翻訳文化に対して、ポジティブな作家の作品が外に出ていくことになります。

 例えば、大江健三郎(1935-2023)は晩年まで午前中を外国語学習に当て、自ら英語で数多くの講義を行うなど翻訳に積極的な作家として知られています。1994年にノーベル文学賞を受賞しますが、その前からグローバルな活躍を若い頃から続けていました。

 翻訳小説を読んで育ったという村上春樹さん(1949 -  )も同様です。早くから外国で講義を行うなどグローバルに活動した上、実際に、自分も英米文学の翻訳を行なっているだけあって、自作が翻訳される際も、理不尽な条件も受け入れたことで知られています。

 有名な話は3部作長編『ねじまき鳥クロニクル』の英訳が決まったとき、無名の作家で3冊セット売るのは厳しいから、1冊にまとめてくれと出版社の都合で翻訳者が内容を1/3まで削るよう話があったそうです。村上春樹さんはこれに無条件OKを出したというからすごいですよね。しかも、その短縮された英訳からドイツ語訳を作りたいとなったというから、オリジナルとは? って感じになっていきます。

 このあたりの事情もマイケル・エメリックさんが簡潔にまとめています。

 日本文学の作品が日本語の原文からは訳されず、英語を介して重訳されたもっとも有名な例は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のドイツ語版である。村上春樹本人が原文から翻訳してもらうのは時間がかかりそうだと納得し、何よりも同時代性を重視し、英訳からの重訳を許可したという。もちろん、作家がそれでいいというなら、それでいいのかもしれない。しかし、この場合、ドイツ語の「原文」となった英訳は初めから日本語の『ねじまき鳥クロニクル』とはまるで異なる代物である。翻訳者のジェー・ルビン氏の説明によれば、クノップフ社が『ねじまき鳥クロニクル』の英訳を依頼した際、原文が長すぎるといって、約二万五千語の短縮を要求した。そこで、ルブン氏は完訳を準備してから、ところどころ村上の提案を参照しながら、短縮版を準備した。賞を削ったり、前後の関係を入れ替えたりもした。言うまでもなく、英語圏で出版されたのは短縮版の方であり、この短縮版こそがドイツ語に重訳されたわけである。

放送大学教材『世界文学への招待』(宮下志朗, 小野正嗣)よりマイケル・エメリック「グローバル化する現代日本文学 - 日本語では読めない日本文学」,245-246頁

 結果的にこれがヒットし、英語版をもとにした各国翻訳が出たことで、村上春樹さんは世界のムラカミとして認知されるようになります。対して、この時期、翻訳で改変されることに懐疑的だった作家は残念ながら翻訳の機会を逃し、国外に出ていくことができませんでした。

 なんでも、日本の作家は翻訳によって自作が改変されることに抵抗を覚える人が多かったようです。その点、大江健三郎と村上春樹さんは特殊で、自分でも自分の過去作を修正してり、タイトルを変えたり、翻訳によって改変された内容を参考にしたり、異常なほど柔軟なんですよね。

 ただ、それはどう考えても例外なので、「日本文学を世界で売る」という産業計画を立てる上でまったくもって再現性がありません。

 尊敬はするけど参考にならないというやつです。

 ただ、この二人が経済的にも文学史的にも大きな功績を残したことは次世代のマインドに「翻訳ってそういうものである」というゆるい共通意識を広めた可能性はあります。

 とはいえ、簡単に「翻訳で改変されたくない」という精神的なハードルが崩れるわけではありません。これじゃあ、まずいということで、日本財団が現代日本を知ってもらうため、国際的な日本理解促進プログラムの実践しました。

 その中でも戦略的に日本文学が翻訳される土壌を作るための翻訳支援プログラムも開催したことが重要になってきます。特に、2010〜13年にかけて、英イースト・アングリア大学の英国文芸翻訳センター(BCLT)に現役で活躍している日本の作家を招き、その作品を実際に翻訳し、作家本人とその場で意見交換する翻訳ワークショップを開催。これがめちゃくちゃな成果を上げたようです。

 作家として、2010年に多和田葉子さん(1960- )、2011年に川上未映子さん(1976- )、2012年に古川日出男(1966- )、2013年に松田青子さん(1979- )が参加しています。それまで翻訳は孤独な作業でしたが、このワークショップをきっかけに、翻訳家は作家と意見交換をすることで作家を神聖化しない文化が育まれたそうです。

 日本経済新聞 2025年5月21日の記事「英語圏で日本文学ブーム、立役者の翻訳家たちに共通の原点」によれば、単に翻訳を体験させるだけでなく、ちゃんと出版されるまでの出口戦略を立てていたことが窺えます。

 ワークショップでは約1週間、日本人作家と経験豊富な翻訳家がリーダーとなり、10人ほどの参加者と議論を重ねて一つの作品を英訳。参加者の多くは翻訳出版の経験がない新人だった。

〈省略〉

 もっとも「1週間でアマチュアからプロになるわけではない」(辛島)。翻訳家リーダーを2度務めたカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授のマイケル・エメリックと辛島は、英国の出版社に働きかけて日本文学の中編シリーズを創刊。訳者の中心はワークショップ参加者だ。
 翻訳の依頼は実績ある人に集中しがちだ。このシリーズは日本文学の紹介はもちろん、翻訳者たちの「名刺代わりの一冊」をつくる狙いがあった。個別指導や、短期のワークショップを開いたりもした。

日本経済新聞「英語圏で日本文学ブーム、立役者の翻訳家たちに共通の原点」

 単なる翻訳技術の向上だけではなく、イギリスの出版社と組むことで、翻訳の裾野を長期的に広げることもワークショップの目的だったのです。

 小説の翻訳ビジネスで重要なのは「上質なコンテンツ」と「翻訳者」であり、それらを安定供給できないと読者は獲得できません。幸か不幸か日本の文化はガラパゴス化によって、わざわざ翻訳するに値する特殊性に恵まれました。従って、翻訳者さえ確保できれば、外国の出版市場で勝負できるという目算があったのでしょう。

 そして、このワークショップは想像以上の成果につながります。

 ワークショップの後も翻訳家同士のつながりは深まる。竹森は16年、同じく参加者だったルーシー・ノースに、川上弘美や西加奈子作品の英訳をするアリソン・マーキン・パウエルを加えた3人で、翻訳家集団「Strong Women, Soft Power」を始めた。日本の女性作家を推す記事を発信したり、作家を招きシンポジウムを開いたりしている。
「日本文学を刊行したい出版社にとって、翻訳者のネットワークがインフラのようになってきた」とエメリックは説く。繁閑に応じて翻訳仕事を融通したり、得意ジャンルによって翻訳者を紹介し合ったり、編集者につないだりと、緊密な情報交換が日常的に行われているという。

日本経済新聞「英語圏で日本文学ブーム、立役者の翻訳家たちに共通の原点」

 ワークショップに参加し、日本の女性作家に魅了された翻訳家たちが、独自の翻訳家集団を結成。自ら情報発信も行うことで、日本の女性作家の小説が読まれる土壌も耕してきました。

 このように翻訳者自ら営業活動を行う風景は、従来、見られないことだったそうです。

 英米圏の日本文学を巡る潮流は変化していると辛島は見る。海外での日本文学研究は、伝統的に米国の大学が強い。かつては評価の定まった作品を学者が翻訳し、大手版元や大学出版会から出すことが多かった。近年は翻訳家が自ら、同時代の作品の出版を企画し、特に英国の中小出版社で出すケースが目立つ。翻訳家の「推し」が果たす役割は大きい。

日本経済新聞「英語圏で日本文学ブーム、立役者の翻訳家たちに共通の原点」

 つまり、SNSで情熱による広報が可能になったことで、翻訳も推し活化が進んでいるのです。

 イギリスでもかつては大学の先生が強い影響力を持ち、学術的に評価の定まった作品が翻訳され、大手版元や大学出版会から出版されるケースが多かったそうです。これだと自然と過去の名作やすでに有名な作家ばかりが選ばれてしまいます。

 ところが、最近は翻訳家が個人的に「面白い! 好き! 訳してみんなに読んでもらいたい!」と思った作品が中小出版社から発売されるようになりました。翻訳家もSNSでちゃんと宣伝するし、その情熱が連鎖し、インフルエンサーに繋がったら大ヒットも十分あり得ます。

 実際、翻訳家の情熱は大きな役割を果たしているのです。

 ちなみに、同ワークショップは終了後、ユニクロ柳井正さんの寄付による早稲田大学とUCLAの共同連携事業「柳井イニシアティブ」が引き継ぎ、2021年に再開しています。

 政府や電通などの民間企業の出資で推し進められた官民ファンドであるクールジャパン機構がセンスのなさと多額の赤字や吉本興業への公金支出問題、投資先に関連した疑惑で批判され、特段、成果を出せていないのに対し、日本財団がイニシアティブをとった日本語→英語の翻訳文化育成は見事に成功しました。

 個人的にはここに日本のコンテンツ産業が生き残っていくためのヒントがあるような気がしています。

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