199:母との終戦記念日|人生#013 - final
・毎日の鬱備忘録を生み出す思考回路の原体験。
・前回。
・今回が最終回。人生、完。
・自分の成人式ということで帰省した時、母から彼女自身の人生を聞いた。
・2018年1月。
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・母の母、つまり自分の祖母は母が高校生の頃にガンとなったので、母はその頃から家事の切り盛りをするようになった。
・母の兄、つまり自分の叔父は祖父母から長男としての寵愛を受けており、浪人などもさせてもらいながら私立大学へと進学した。
・その頃はいまに比べて男尊女卑の風潮も強かったので、母は今の時代だったら虐待と取られてもおかしくないような家庭環境だった。
・勉強などもろくにさせてもらえない中、祖母に散々悪口を言われながらその反対を押し切ってなんとか家事と勉強を両立し、4年制の大学に入った。
・大学も別に家事をしながらであったので、いわゆる人生の夏休み的な大学生活ではなかった。
・母はモテた。離婚した自分の父なんかよりもよっぽど素敵な人と付き合っていた時期もいくつかあった。
・しかし「娘が自分より良さそうな人生を送ることが嫌だ」という性格の悪い祖母に、連れてきた男の文句を散々言われては恋愛関係を解消させられる、ということを何度もされていたらしい。
・最終的には祖父の「文句ばっかり言いよったら婚期を逃すぞ」という助け舟により、ただ地方銀行というだけのステータスを持っていた、自分の父と結婚した。
・やっとの思いで結婚したと思ったら、結婚する前までは知らなかった多額の父の借金の存在を知ったり、浮気癖があったり、最終的には離婚するという結末を辿った。
・そうやって、母に残ったものは自分と兄という二人の息子だけだった。
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・母はとにかく必死だった。
・「自分の産んだ唯一の宝物」であった自分たち兄弟二人をなんとか一人前に育てるため、母なりに不自由のない生活を自分たちにさせようとしていた。
・仕事をしながら、家事もしながら、育児もしながら、なぜか祖母の介護もずっと続けながら、なんとか自分たちを大学へ送ることだけ・社会人として一人前にさせることだけを考え必死に生きていた。
・母は自身のことを顧みず、自分たち兄弟二人の幸せだけを願い、日々を必死に奮闘していた。
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・自分が大学生になるタイミングで兄も就職し、自分たちは同じタイミングで実家を離れた。
・母は急に一人になった。母は日々の生活に必死だったので、そのようなことになることは微塵も想像しておらず、急に息子二人がいなくなったような感覚になり、茫然としたらしい。
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・母の話を聞いて、自分は今までずっと幸せだったのだな、と思った。
・ただ父親がいなくなったというそれだけで、不幸だ、不幸だ、クソ!と思いながら送ってきた人生の裏側には、母の想像を絶する努力があり、それがなければ自分は今の自分になれていないことを知った。
・自分は本当に愚かだった。
・自分が成人するまでそんな苦労を微塵も見せなかった母は、偉大だった。
・自分は今まで母にとってきた態度を恥じた。
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・その話から約1年半後、新卒就活を終えた自分は帰省した際、母を誘って2人で遠出した。
・その頃熊本に住んでいた兄を訪ねに、母を助手席に乗せ、自分がハンドルを握ってドライブに出かけた。
・母の好きなBUMP OF CHICKENを車内で流しながら、雲一つない快晴の下、八女あたりを走っていた時、母からこのような言葉をかけられた。
・「あんたは鳶が鷹を生んだようなものだ。良い大学に行って、しっかりした就職先を見つけて。立派な自慢の息子だよ。」
・自分はこう返した。
・「そんなことはない。おかんが頑張ってきた結果が今の自分だ。」
・本心だった。
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・自分は幸せな人生を送った。母がそう言ってくれるなら、自分の人生はもう満足だ、と思った。
・もう死んでも良いか──そう思った。
・そこから生まれる希死念慮と闘うために、次の生きる理由探しを始めた。
・そうやって、自分の物語は今へと続く。このnoteで綴っているような内容へと導かれていく。
・母が苦労して生み出したこの命を絶やさないために。燃やすために。
