優秀さの正体は「わかりやすさ」にある

「優秀な人」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。いい学校を出ている人、試験で高い点数を取れる人、いわゆる「成績がいい人」。確かにそれは一つの指標だし、努力と能力の証でもある。否定するつもりはまったくない。

ただ、それだけで「優秀」と言い切ってしまうことに、私は少し違和感を持っている。

広報の仕事をしていると、いわゆる「優秀な人」がインタビューを受ける現場に立ち会うことが多い。経営者、研究者、エンジニア。経歴だけ見れば、誰もが認める優秀な人たちだ。けれど、実際に話を聞いていると、その中でもはっきりと差があることに気づく。

本当に優秀な人は、難しいことを難しく話さない。

専門的な内容であっても、相手が誰であれ、理解できる言葉に置き換える。たとえ相手が小学生でも、「なるほど」と思えるように説明する。言葉を選び、例えを工夫し、相手の理解のスピードに合わせる。その姿勢には、知識の深さだけでなく、相手への敬意がある。

一方で、少し残念に感じる人もいる。いかに優秀でも、あえて難解な言葉を使い、相手が理解できないまま話を進めてしまう人。煙に巻くように話すことで、自分の優位性を保とうとする人だ。

それは本当に優秀なのだろうか。

難しいことを難しく話すのは、実はそれほど難しくない。専門用語を並べれば、それらしく聞こえる。でも、難しいことをシンプルに伝えるには、深い理解が必要だ。自分の中で咀嚼し、本質を掴み、それを他者に合わせて再構成する力が求められる。

つまり、「わかりやすさ」は能力の高さの証明でもある。

そしてもう一つ。わかりやすく話す人は、相手を置いていかない。会話を「自分のためのもの」ではなく、「相手との共有の場」として扱っている。そこにあるのは、知識の誇示ではなく、理解の共有だ。

私は、そういう人を優秀だと思う。

学歴や肩書きは、確かにわかりやすい指標だ。でもそれ以上に、「誰にでも伝わるように話せるかどうか」。その一点に、その人の本当の力と姿勢が表れる気がしている。

優秀さとは、知っていることの量ではなく、「どれだけ人に届く形にできるか」なのかもしれない。