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在米38年。娘に英語が全くできないふりをした母。

「ごめんね。ママ、英語わからないの」

そう言い続けて、何年も娘をだましていた。

アメリカに来て、もう三十八年になる。きっかけは留学だった。
大学への、ただの留学。それがこんなに長くなるとは、
当時の私には思ってもみなかった。

アメリカで生まれ育った娘には、日本語を手渡したかった。
教育熱心だったからではない。 日本人の母を持つ子どもへの、
私なりのギフトだった。

小さい頃から家では日本語で話した。 しまじろうを見せ、絵本を読み、
日本語学校にも通わせた。 娘が小学生になると、日本語イマージョンスクールのある学区へ引っ越しまでした。

そして私は、ひとつの作戦をとった。

英語ができないふりをすることだ。

夫とは英語で話している。でも娘の前では、なるべく日本語を使った。
英語で話しかけてきても、 「ごめんね。ママ、英語わからないの。日本語でお願い」 と返した。

かなり強引な作戦だったと、今は思う。

ところが娘は、長い間だまされていた。 私が英語を話せると気づいたのは、小学二年生の頃だったらしい。

娘の友達のお母さんと私が英語で話しているのを見て、
「ママ、英語しゃべれるの?」 と、本気で驚いていた。

その顔がおかしくて、しばらく笑いが止まらなかった。
子どもの世界というのは、不思議だ。

日本語学習は、順調ではなかった。 嫌がる時期もあった。

それでも、無理にやらせようとは思わなかった。 語学は、本人に興味がなければ続かない。 そう知っていたから。
それに、娘にとって日本語はあくまでもおまけ。
セミリンガルにならないよう、まずは母国語の英語が大切だと思っていた。

でも、日本語の環境だけは、できる限り整えた。
あまり期待はせずに、、、。
学区を選び、学校を選び、文化に触れる機会をつくった。
親にできることは、そのくらいだった。

娘は気の強い子だったから、無理にやらせれば逆効果だったと思う。

家では勉強よりも、一緒にアニメを見ることにした。
『NARUTO』、『ONE PIECE』、『フルーツバスケット』、『桜蘭高校ホスト部』。 毎回大笑いしながら見ていた。

ジブリ以外のアニメをほとんど知らなかった私も、娘につられてたくさん見るようになった。 気づけば、忍者の名前や海賊団の仲間たちに妙に詳しくなっていた。

日本語学習というより、母娘の時間だった。 好きなキャラクターの話をして、一緒に涙を流しながらゲラゲラと笑って、また次の回を見た。

そんな時間が、私は好きだった。

当時はそれで十分だと思っていた。 日本語を忘れずにいてくれたら、
それでいい。 そのくらいの気持ちだった。

そして今。
二十一歳になったあの娘は、東京にいる。

後編へつづく

(了)

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