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編集部からのお知らせ #記事と食べもの募集中

たとえば、氷を落としたグラスの音が、キッチンの上からこぼれてくるとき、ふと、この夏をもう一口だけ味わいたいと思う。
暑いとわかりながら窓を開けると、外はすでに八月の終わりで、夜の端に蝉の声がじりじりとまとわりついている。
近所の台所からカレーの匂いがまぎれこんでくると、それはもう、暮れていく空に滲む黄昏そのものみたいで、わたしは懐かしいような気持ちになっていた。

わたしのテーブルの上には、なんとか拵えた冷やし中華。
透明な器の底に涼しげな水滴がついて、麺の上にきゅうりや錦糸卵が整列している。紅しょうがの赤がぽつんと差し色になって、からしの匂いが鼻を刺す。
「夏だったな」と思い出すために、箸をつけずに、テーブルの景色ごと味わってしまう。


⚪️ここからは編集部からのお知らせです⚪️

食べものひとつで夏がまるごと立ち上がることがあります。
わたしはそういう作品から人それぞれの生活のにおいが漂う瞬間が好きです。
というわけで、今回、そんな「夏の食べもの」をテーマに小さな企画をやってみようと思います。
今回限りかもしれませんし、わたしが主催なので拡散力もほとんどありません。
けれど、すこしでも作品が集まったら、とても嬉しいです。
誰も書いてくれないときはわたしが書きます。目指せ10作品🫠

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📚テーマ「夏の食べもの」

✔️実在するものでも、実在しない架空の夏の食べものでも可
  例:花火アイス、夕立ゼリー、金魚スイカ
✔形式は自由(ショートショート・エッセイ・自由研究など)
✔文字数は1,000字以内
✔文章が主役であれば、写真やイラストを添えていただいて大丈夫です。

💭詩や短歌も募集していますが、経験が浅く、うまくご紹介できないかもしれません。
 それでもよろしければ、ぜひお寄せください。

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📅参加条件

✔募集期間:8/23〜8/31(23:59まで)
✔タグ: #しらたま編集部 #夏の食べもの
✔本文の最後にこの記事を埋め込んでください。
✔noteでの投稿限定です。
✔わたしをフォローしていただく必要はありません。

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✒️掲載と感想

✔集まった作品すべてに、感想を添えて記事でご紹介します。
✔感想は普通のレビューではなく、「味覚メモ」や「食感スケッチ」のような遊び心のある形式で書きたいなと構想中です……。

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🏆賞について

いくつかの賞を用意しようと思っています。
たとえば……

⚪️ 深夜に読むんじゃなかった賞
読後、冷蔵庫の灯に立たされる罪深い作品へ贈ります。

⚪️ おいしくなさそうで最後まで読めませんでした賞
読むだけで胃袋が拒否反応を起こすダイエット向きの作品への賛辞として。

⚪️ スーパーにひっそり並んでいてほしい賞
気づけば買い物かごに潜りこむ言葉たちを愛でるために。

⚪️ 小説すばる新人賞の代わりにあげたい賞
食べ物に化けた物語で、わたしを完敗させてほしい。

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⚠️注意事項

✔️タグと記事の埋め込みを忘れずにお願いします。
 何らかの理由でできない方はご連絡をお願いします。
✔️あまりにきつい性的描写、グロテスクな表現は控えてほしいです。
 嫌いではありませんが、紹介するのが、たぶんつらい。
✔️有料記事や全く関係のないものについては、恐れ入りますが、対象外とさせてください。

タグや記事の埋め込みがなければ見落としてしまうと思います。
もし、投稿できているかご不安な方がいらっしゃったら、この記事のコメントか、わたしのXのアカウントにリプライかDMをお願いします。

👉Xアカウントはこちらです。


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☕ 最後に

今回限りかもしれないし、派手な企画ではありません。
でも、ここで集まった文章たちで、夏の食卓を一緒に作れたら、わたしは絶対に楽しいし嬉しい。
みなさま、ご参加よろしくお願いいたします。


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ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ここから先は企画とは関わりのない、私的な余白にすぎません。気が向いた方だけ、お付き合いいただければと思います。

昨日で、noteとXを始めて一ヶ月が経ちました。
そして明日(8月23日)は、わたし自身の誕生日にあたります。
だからこそ、この日を企画の始まりに選びました。少し照れくさいのですが、自分へのささやかな誕生日の贈り物のような気持ちで。

この一ヶ月でいちばん大きな変化は、「人に文章を読んでもらうこと」が、思いのほか楽しく、嬉しいことだと知ったこと。
これまでは、一人でノートに書き留めては閉じてしまうばかりで、友人にも語れない妄想や断片を、人の目に触れさせるのが何より怖かった。

けれど、初めてショートショートにコメントをいただいたときのことは、今でもはっきり覚えています。
ほんの短い断片だったのに、自分の書いたものが誰かの時間に届いていた、という事実が信じられなくて、画面を何度も読み返していた。
あの小さな驚きが、書くことを「閉じるための行為」から、「ひらかれるための行為」へと変えてくれたのだと思います。

だから今は、公開することで返ってくる反応や、「どこかで誰かに読まれている」という予感そのものが、書くことを支えてくれるようになった。

少し個人的な話を加えると、わたしには小説家志望の兄がいて、今も書き続けています。
身内びいきに聞こえるかもしれませんが、わたしはプロの作家の作品よりも兄の文章の方が好きです。本気でそう言い切れる。

とりわけ、兄の部屋で原稿を読む時間は、わたしにとって特別な時間になっています。
紙をめくる音や机に積まれた本の気配までもが混ざり合って、比喩やリズムが自然と体の奥に沈み込んでくる。
作品だけでなく、その場の空気ごと読む体験が、不可分のものとして刻まれるのです。

わたしにとってnoteも、それに少し似ています。
文章そのものだけでなく、その人が書いた時間や空気までを想像しながら読む場所。だからか、もっと書きたい、もっと上手くなりたいと思える。

わずか一ヶ月とはいえ、ここはすでに、わたしにとって替えのきかない机のようになりました。
窓を開ければ、夏の夜の風が入り、遠くの蝉の声と近所の晩ごはんの匂いが交じり合う。
そんな空気の中で文章を書き、誰かに読まれるかもしれないことを思い浮かべるだけで、日々が少し立体的に見える気がします。

明日からの一年も、書くことで自分を残していきたい。
そしてもし許されるなら、その断片をまた、どなたかに拾っていただければ幸いです。

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