尊重する、尊重されるは境界を健やかに保つこと
互いを尊重するとは、ちがいを鮮明にすること。
秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へ踏み出して。
人との境界線。この言葉を聞いて何を感じますか?
あいまいな気がする。
自分は自分だから、境界線ははっきりしている。
うまく引けてなくて、しんどくなることがある。
私は、境界線の問題だとは分かっていなかったけれど、だんだんと境界線の話かもしれない、と思い始めてきました。
人の責任も引き受けたり、感情を避けられなくてそのまま真正面からぶつけられていたこと、看護師としての態度、もともとの素質としての共感性。
それらはすべて他者との間にある境界線をあいまいにさせていた。
私と他者はちがう人間だということを意識することは、尊重と受けとっていた。それが私にとっては境界線をしっかり引くことにつながった。
背負わなくていい責任まで背負ってた
がんばらなくては、しっかりしなくては、私が助けなくては。頼まれてはないけれど、母親の母親の役割をしていた私は、しっかり者であることが普通でした。
長女だったし、自分に価値があるって思えていなかったから、役に立つ私でいたら安心だった。
必要とされた、評価が得られる。
ひとり暮らしをすると決めた時に、かなり葛藤があった。
母親と2人で暮らしていたので、私が家を出ると母親は1人で暮らすことになる。
母親はひとり暮らしをしたことがない。
家を出ることは母親を見捨てるように感じていた。
けれど、私が息苦しくなっていて、私を生きられないと思ったから物理的に離れることが近道だと思った。
「鳥かごの扉は開いているのに、出ようとしない。」
とコーチングで話した私は、鳥かごを出た。
結局、私が思い込んでいただけで、母親は私よりも家事スキルはあるし、経済的にもパートで働きながらなんとかやっている。
感情をぶつけられることが苦手
多分、「恐い」という感情によく出会うこととも関係があるのかもしれないけれど、相手の感情をぶつけられることが苦手だった。
怒りのパワーにさらされることが苦手だった。
悲しいや辛いは、そんなにきつくなかったけれど、怒りをぶつけられると受け流せなくて、きつかった。
怒りは相手の感情で、私に向けられていることもあったけれど、私が原因とも限らない場合もあった。
けれど、真正面から受けとり過ぎて、かなり参っていた。
相手との境界線が引けていなくて、この怒りはあなたの問題だよねって分けることができていなかった。
これに気づけたのは、カウンセラーさんと話したから。
睡眠を壊して、おそらく精神的にもぎりぎりだった私は看護師としてもう一度働くなら、このストレスとの付き合い方を知る必要があると考えた。
退職の直接の原因ではなかったけれど、相当参っていた時期があったから、どうすればいい?をハローワークの無料で相談できる窓口を活用した。
そこで、教えてもらったのが、線を引くということだった。
相手の怒りと私の間に線を引く。
看護師として寄り添うこと
受容的態度で接すること、傾聴することが良い態度とされている。
患者さんの理解に努めること。
だから、意識的に患者さんに対してそのように接してきた。
相手を理解しようとする、否定しない、寄り添うこと。
けれど、これは境界線という話になった時に、線をあいまいにさせると思った。
感情を自由に出してはいけないけれど、患者さんを理解しようと、寄り添おうとすれば、どうしても近づいていくし、境界線をふっと踏み越えてしまうことがあるのだと思う。
共感性が高い?
自覚はまったくなかった。
けれど、AIと話していると、ときおり、「共感性が高いから」と私について話してくる。
共感性が高いから、こんなことが起きているという説明。
人の気配に敏感で、表情や雰囲気を察することが得意。
空気を読んできたから、非言語情報をキャッチすることも自然とできてしまう。職業的に培ってきた部分もあって、それは意識せずともしている。
そういう自覚はあったけれど、共感性が高いらしい。
相手の気持ちを想像して、分かろうとすることは他者理解において役に立つけれど、これも境界線という視点から見ると、あいまいになりがちだ。
あなたと私はちがう人間だよね
これを私は学ばせてもらっている。魔法使いって感じのやわらかい人から。
最初、私はこれを「互いを尊重する」という理解をしていた。
間違ってはいない。
押しつけないで、対等にあることで、相手に自由を渡すことで、選択肢を持ってもらうこと。
尊重されたい、私も相手を尊重したい、と思っていたから、この姿勢、言葉、雰囲気にふれさせてもらって、体感することで、私は相手を尊重するとはどういうことか、を具体的にできる、になったと思う。
そうやって、いつでも押しつけずに自由にしていいし、対等に接してもらっていて、私は一緒に遊んでもらっているって感じていた。
それは楽しいんだけど、尊重する、されるは、境界線をはっきりと相手との間に引くこと、につながっていった。
私があいまいだと思っている境界線。
境界線は1本じゃない
はじめ、私は相手との間にある境界線は1本だと思っていた。
カウンセラーさんに聞いた話も多分1本の線だった。
この机までは私の領域で、その向こうは相手の領域。
そんな風に決めたらいい、と教えてもらったと記憶している。
けれど、私には私の境界線があって、相手にも相手の境界線があって、その間にどちらにも属さないスペースがある。
パーソナルスペースのような認識。
メンターさんが、こういう2本境界線がある話をしていて、1本の線で区切られているんじゃないんだ、とその時に思った。
溶けあうじゃない
人が互いを理解する時、境界線がなくなったり溶け合うではない。
看護師としてしていたことは、私が私のまま輪郭を保ってぎりぎりまで近づこうとしていた。けれど、それは時には境界線が溶け合うようなことが起きていたんだと思う。
また、感情をそのまま受けとったり、引き受けなくていい責任を勝手に引き受けたりしていたのは、境界線がうまく引けていなくて、あいまいになるということが起きていたからだと思う。
侵食されたり、侵食したりしていたのでは?
勝手に引き受ける以外にも、勝手に相手の領域に踏み込んだりもおそらく気づいていないだけでやっていたのではないかと思う。
相手の問題なのに自分の問題のようにしてしまったり、踏み込まれたくないことに関与しようとしていたのだと思う。
尊重するということは、境界線をはっきりさせること。
そこにつながっている。
互いに対等に、健やかな関係を築くためにも大事なことだけど、私にとっては、境界線をちゃんと引くという学びでもあった。
まとめ
ラジオパーソナリティでコラムニストのジェーン・スーさんが、ラジオなどでしばしば、この境界線(バウンダリー)の話にふれている。
そこで、私は「バウンダリー」という言葉と出会い、私はこれがあいまいになる瞬間があるな、と感じていた。
私と相手の境界線が一瞬ぐにゃりと歪む。
コーチングにおいては、境界線をきちんと引こうと意識的にしていて、そこはコントロールが出来ていると思う。
相手の目から見える景色を感じる感覚。
そこに私はいなくて、目を借りて世界を見る。
「ともにいる」について深く考えたことや、看護師の私を見つめたことで、境界線とは思っていなかったけれど、誠実にあるためには自分を保つことが大事だと感じていて、結果的にそれは境界線を引くことになっていたと思う。
訓練することで、境界線を相手との間にしっかり引くことは出来るようになる。だから、相手を尊重するでもあるけれど、健やかな関係のために意識していきたい。
ちゃんと書籍にあたって学びたいことではあるけれど、読めていない。
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