人の役に立つvs自己中心的利他(クライアント) コーチング🌳
コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来ます。
コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、それを補足した内容です。
※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。
▼自己中心的利他についてはこちら
昨日、マイコーチと話してとりあえず好奇心のままに生きるの中に人の役に立つは含まれる、今までの生き方では人の役に立つがかなりの部分を占めていたので、それを小さくするが良い、と考えました。
今まで、周りのためにって自分よりも周りを優先してきた私に好奇心100で生きることを禁じて、「人の役に立ちなさい」とは、とてもじゃないけど言えないって思ったからです。
その感情って私が私に対して今までがんばってきたんだから、これからはそれをゆるめて良いよ、少しは手放して良いよってことだと思って、大事な感覚です。
全てが仕事中心に回っていたし、母親のことを私が支えないとって背負っていたし、やりたいことですら親の価値観からはみ出ることは諦めてきた。
そうやって生きてきた私がいるから、これからは自分を優先して良いよって、周りのことは一旦置いてねって言うことが大事だった。
けど、人の役に立ちたい私がいて、さあどうするよって思ったので、テーマに持ってきました。
人の役に立つには私の中ではレベルがある。
私は頭では、好奇心100(自己中心的利他の生き方)で生きるには、人の役に立つを小さくした方が良いと分かっているけど、人の役に立つを大きくしたいって思う私がいて、引っ張り合ってるから前に進めない。
迷惑をかけない、人の役に立つ
けっこうこれが正しいと信じて生きてきました。自立とも関係していて、早く自立することが必要だと思ってそうしてきたし、人の役に立つこと=私の存在価値だったよなって思います。
コーチングで扱うのが良いのかという疑問もあるのだけど、他者評価を得ることで、私は私を保ってきたので、なかなかこれを手放すのは難しい。
これを手放すと、私はここにいて良いよってあんまり思えない。
価値観と人の役に立つのつながりは?
あんまりつながっている感じがしなかったけれど、強いて言うと、「正直・相手に誠実に」の所。
そこにいるだけで、役に立つ人は?
いると思う。
例えば、そこにいるだけで安心感を与えてくれる人はいる。
先輩が同じ空間にいてくれるだけで実際には何もしてくれなかったとしても、困った時には助けを求められるから、先輩は存在しているだけで価値があるというか、役に立っている。
迷惑をかけている、かつ役に立つ人は?
子ども。手がかかるし、幼いから迷惑をかける。けれど、そこにいてくれるだけで、かわいらしいし幸せを与えてくれる存在。
今の私が私に好きなことをさせてあげて、かつ役に立っていることは?
noteを書くもだし、コーチングセッションを提供するも、役に立っている。こうやって答えたら、役に立っているって言える。
言えるけど、私はそれを良しとしていない。
この感覚って覚えがあって、実際には成長しているのにノーカウントにしていた時期があります。病棟異動した時に、私は手術室の経験しかなかったので、全てが学びで病棟業務が出来るようになるというのはとてつもない成長でした。けれど、私にとってその成長は病棟看護師としての当たり前、皆に追いつくためのマイナスをゼロ地点に持っていくことで、努力して成長するのは義務だと思っていたから、めちゃくちゃ成長していたのに、ずっと出来ないことを探して、出来ていない自分だけを見つめていました。
成長しているに設定しているレベルが高過ぎた。一切の成長をノーカウントで出来ないことだけを見つけて、出来るようにする努力をするのってなかなかの地獄です。
今も同じことが起こっていて、よく見たら私は人の役に今も立っている。
例えば、褒めるの上手ですねって褒められたことがあって、それはコーチにフィードバックした時にそういう言葉をもらったのですが、純粋に嬉しかったし私の言葉が役に立ったと最近感じた出来事でした。
けれど、私はnoteもコーチングを提供するも役に立つにカウントしていない。
私の中の人の役に立つのレベルを越えていないから。
もっと人の役に立ちたい。
もっと人の役に立ちたい
これは、何につながっているかというと、他者評価によって私の存在価値を証明することです。
けれど、これが危険だということも私は学習していて、自分の価値の判断を他人に委ねてしまうとそれはコントロールが出来ないので、自分が苦しくなります。必ずしも相手から良い評価が返ってくるとは限らないし、自分で自己評価出来ないのは不健康です。
こんなにやっているのに認めてもらえないが起こるし、1否定されただけで自分を全否定されたように捉えてしまっていたことがあります。
周囲の期待に沿って生きるのはしんどくなります。
長続きしない。とコーチから言葉をもらっていて、
本当にそうだと思います。私は、そうやって生きていたので、自分の限界を越えてがんばり続けて潰れるというパターンを繰り返してきました。
今は、仕事においては距離感が変更出来たので、それは起きないと断言できるけれど、雲行きが怪しくなってきていると感じます。
24時間のうちどの位を人の役に立ちたいか?
100です。
私は、100人の役に立ちたい。これ、私は本当にそう思っていたのだけど、無理だよってコーチから言われて、普通に悲しかったです。
イエス・キリストでもそれは出来ないよって言われて、そっかーって頭では理解するけれど、私は多分そう出来るって信じてた。
じゃあ、好きなことをして人の役に立つをどの位したい?
50です。
って答えたけど、私が明らかにトーン下がって悲しそうだったから、コーチが悲しそうだって声をかけてくれました。
だって、私は100って答えたかった。けれど、好きなことじゃなくても人の役に立つの100は叶わないのに、好きなことでかつ人の役に立つ100って出来ないじゃんって思ったら悲しかったから。正直にそう答えました。
私は無理なことを望んでいるんだなって思ったら、悲しい。
50に根拠は?
根拠はない。けれど、バランスをとってではないけれど、50なら叶うのかなって思ったから50って答えました。
コーチが私らしいと返してくれたので、本当にそうなんだと思いました。
低すぎるのはイヤで、かと言って、好きなことで役に立つがそんなに高い割合で出来るとも思っていない。
信じることが出来ない
好奇心のままに生きるをやっていく、それを出来るのかなって信じ切れていないことも私を引きとめてくる要素の1つ。
信じることが出来ないのは、人の役に立っていなくても私はここにいていいっていう自分の存在価値そのものを私は信じ切れていなくて、これが心から大丈夫って言えることが1つ大事なことだと思う。
ありのままの私、誰の役に立っていなくてもそこにいるだけで良いんだよってことが、私はよく分からない。
思考と経験。ってコーチがおっしゃっていて、経験が不足している。
親と良い関係を築けていたら、そんなに問題にならなかったんだと思いますが、過去を嘆いても仕方ない。
迷惑かけても大丈夫、人の役に立っていなくても生きているだけで良いんだよって、私が私に伝えていくしかないのかもなって考えています。
ここを掘り下げると、カウンセリングの領域に足を突っ込んでいるという認識はあるのですが、私の存在価値を自分で定義して作っていくことが必要だと思います。
そして、人の役に立つを手放すことが必要だけど、今までずっと大事に握ってきたから、手放せない。
しかも、人の役に立ちたいって思っている私って、けっこう大きい存在。
まとめ
過去の私にとっては、人の役に立つことそのものが自分の存在価値だったから、とても大きなことだと思っていました。
けれど、今の私にとっても「人の役に立つ」というのは大事なことっぽかったです。
自己中心的利他が叶えられるって信じることも必要だけど、意外と「人の役に立つ」も私が思っているレベルでちゃんと満たすことが必要なのかもしれません。
頭で考えると、今日話したように反証出来るので、人の役に立たなくてもOKだし、迷惑をかけてもOK。今の私で役に立っていることもあるし、好きでやっていることかつ、人の役に立つの重なる部分もある。
なのに、腑に落ちていない。
根底にある、私のままで良い、役に立っていなくてもそこにいて良いよってことが感覚として分からないとダメなのかなぁと思ったりします。
私の現在地。
振り子が振れている(自己犠牲で周りの役に立つことで評価を得ていた私に戻るが起きている)だけなのか、それすらも分かりません。
コーチが私をいつも承認してくれるので、それだけで私は生きていけるわぁって思いました。 困っている私をあたたかく見捨てないで話を聴いて、問いをくれて、違う視点も手渡してもらいました。やっぱり感謝です。ありがとうございました!
あたたかいコーチに出会えたことにも改めて感謝です。
あ、今書いて分かったのが私にとって大きな木のようなコーチはそこにいてくれるだけでいい人です。
コーチングを提供してもらわなくても、そこにいて笑顔を見せてもらうだけで私を励ましてくれるし元気をくれる人です!
すごい発見をした気持ち!
役に立つ、立たないの軸しか持てない、そのフィルターでしか自分の存在価値をはかれない私って、急に貧しい人間に思えてきました。
貧しい人間だけど、役に立っていることが私を支えてきてくれたので、そのフィルターを否定しません。
けれど、そのフィルター外して、世界を見なよって私に言えば良いのかもって思いました。
役に立つ、立たない、迷惑をかける、かけない、それ以外の視点で私が存在している意味を見つけたら良いのかしら?
もはや、自分で意味づけしたらどう?
これ大事な問いだと直感で思うのでしばらく心に持って生活してみます。
何をすると心が安らぐ?
人の役に立っていることは、今日コーチに話したように今の状態でもある。けれど、過去の私と比べしまうとその感覚としては薄い。
看護師として働いていた私って、それだけで役に立っているを満たせていたからね。職業そのものが、分かりやすく人の役に立つ仕事だから。
私が思うレベルで人の役に立っている、かつ好きなことっていうのが、理想だけど、そうそうそんなことって起こらないっていうのも理解している。
1つは、役に立っているのレベルを下げること。もっと役に立ちたいっていうのは、素敵な感情だけど、今の私が役に立っていない訳ではないからそれを認めることが必要。過去と比べないで、今の私が役に立っているを書き出す。
役に立っていなくてもそこにいて良いよって感覚として分かるになること。
これは、すぐにそう出来るにはならないけれど、向き合う必要はある。
自己肯定感、自己重要感、自己効力感、、、その辺り。一時、意識してやってたけど、またちゃんと努力する。
人の役に立つを小さくしようとしない。
自己中心的利他と両立するっていうのは頭では理解出来ているんだから、無理にそれを抑えるようなことはしない。
順番は、私を満たすが一番で、それを溢れた部分で他者を満たす。自分が抜け落ちないようにだけ注意する。
①人の役に立っているを書き出して認識する 1日1個で良いから手帳に書く
②自己肯定感についてちゃんと上げる努力を再開する→積読を読んで知識を得るのと、過去に読んだ本のワークに取り組む
(③人の役に立ちたいを無理に抑えない)
④自分が1番、他者が2番の順番は守って好きなことをする
→本当にやりたいの?それは自分の人生にだけ責任持って生きるをクリアする?の問いかけは継続
(すごく俯瞰で見ると、今起きているのは青年期に起きるアイデンティティの危機?新しい世界で生きていこうとしているから、前までは仕事依存でそれに私は存在価値も何もかももらっていたけれど、そうじゃないってパラダイムシフトが起きて、仕事は私の全部じゃないってすると、私の存在価値を支えていたものが急になくなったのと一緒だと考えたら、話が通りそうと思ったのでメモ)
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最後までご覧頂きありがとうございました!
心穏やかな自分を満たす週末をお過ごしくださいね。
▼アイデンティティの危機と関連して思い出したnote
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