「愛が分からない」から始まった、愛を学ぶ冒険の記録
秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へ、そっと転がって。
学ぶものではないと思うけれど、やっぱり学んでいるも入っていると思うから、書いてみる。
あなたが今年学んだことは何ですか?
新しい仕事を覚えた。
親を労ることを学んだ。
英語を学んだ。
私は「今年学んだことは?」って聞かれたら、
「コーチング」と浮かんだ。
1月~6月までスクールで学んでいたから。
分かりやすく学びの場。
だけど、愛を学ぶ、愛があるって気づけたことも、私の人生にとって大きな影響、言葉では表せられない位の幸せを運んできてくれた、と思うから、「愛を体感する」について振り返る。
今まで生きてきた中でも一番得難く、そして得られたことが奇跡かもしれないと思う変化。
始まりは、ビジョンボード。
「愛を体感する」と2025年1月に書いた。
「愛が分からない。」
と思っていた。
愛は教えてもらうものでも、理解するものでもなく感じるもの。
そういうものだというのは"知識"としては持っていたから、「愛が分かる」ではなくて、「体感する」と書いた。
天使が連れてきてくれた人と会ったことが、扉をここにあるよと見せてくれて開くことが出来た。
愛に気づき、ふれている私は愛のいろんなかたちを発見している。
天使が運んできてくれた
恋愛だと、愛のキューピッドは天使のイメージがある。
私が体感した愛は、恋愛という狭義の愛ではなくて、もっと大きな愛です。
けれど、私に愛がある世界への扉、愛がとんでもなく深い人との出会いを運んできてくれた人で、ご縁を結んでくれた人。
振り返ると、私に愛を運んできてくれた人だから天使だと思った、気づいた感じです!
この人自身もとても愛がある人で、それは「大きな愛」がある人。
私は愛を探求中で、ふれたり感じたりをしているので、うまく周りの人が持っている愛を表現できないことがある。
だけど、大きな愛がある。って感じる。
この言葉がしっくりきていて、それはとんでもなく深い愛の人と出会ったので、深いじゃなくて、大きいだということが感じられるようになりました。
だから、私にとっては天使でもあるあなたに感謝です!
いつも愛をありがとうございます。
愛があるに世界の見方を変えてもらった?
これは、そうでもあるし、そうでもないとも言えることです。
最初、私は愛があるに世界の見方を変えてもらったんだと思っていた。
それは、愛がある世界に引っ越せたと捉えていたから。
けれど、よく観察すると、もともと私にも愛はあった。
ただ、「愛がない設定」にして生きてきた。
子どもの私が私を守るための生存戦略としてそうしていた。
だから、愛がない世界に住んでいたのではなく、あるけれど、ないものとして扱って生きていた、ということが分かりました。
私は、愛があるにOS更新をした。
とこの変化を表現している。
これは、もともと私にも愛というOSはちゃんと搭載されていた。けれどその回路が開かれていなくて、OS更新したことで、愛の回路が目覚めて動き出すようになった。
きっかけは、とんでもなく深い愛にふれさせてもらったこと。
扉を見せてもらった
世界の見方を変えてもらったでもあるし、半分こだと思います。
私に愛を受けとる、感じる準備ができた、愛がある世界を見たいという意思があった。
呼びかけたら応える、打てば響く。
そんな感じで、世界の見方を変えてもらった。
これは間違いないけれど、受け身だったという感じではなかったんだなーに、後から気づきました。
分からないけど、分かりたい、愛って何だろう?と考えていたから。
そして、そこにとんでもなく愛が深い人と出会うということが起きた。
これは愛なんだ、って分かった瞬間に私に起きたことは
「こわい」
「受けとれない」
「返せない」
だから、私は自分を守るために距離をとりました。
愛だけではなくて、自分のエネルギーがもう限界を越えて消耗している状態だったので、対応できないとなってしまいました。
けれど、「ここに私の中にも愛の扉があるよ」って、見せてもらった。
だから、私は開けたいと思って開けました。
1人で開けたのでも、その扉にたどり着いたのでもない。
天使がとんでもなく愛が深い人と私を出会わせてくれて、愛がある場にふれさせてもらった、その存在自体が愛でできてるような人とふれあったことで、私はこれは愛なんだと気づいた結果の「愛が恐い」。
私の中には、愛という言葉がない、自分から奪っていたので、愛が最初認識できていませんでした。
だから、受容も安心も信頼も尊重も対等も自由も全部ここにあると思っていたものが、愛だと分かってしまったら、その前で立ち尽くすしかありませんでした。
愛が恐いと感じるなら、もう近づかないという選択肢もあった。
だけど、私は愛にふれたいし、もう一度話せるようになりたいって思った。
私と重なりがあって大好きな人!って感じていたから。
だから、自分で扉を開いたではあるけれど、勇気も与えてもらっていて、「扉はここだよ」って教えてもらいました。
愛について「考える」から近づく
エネルギーが切れそうだと思ったタイミングと、「愛が恐い」、どうしたらいいのか分からないのタイミングが同じでした。
だから、私は世界から距離を置いて自分に閉じました。
閉じるとは、私の世界の中で漂うこと。
ライフラインと思える関係だけを残して、ほとんどの人とふれあうことをやめた。
情報も締め出した。
愛は考えたり理解するものではないと思っていたけれど、それでもやっぱり私は考える方向から近づくことをしました。
普段なら本から学ぼうって、知らないなら信頼できる本に頼るけれど、それをせずに考えました。
どうして恐いと思うのか?
恐いと思う私とともに愛にふれるにはどうしたらいいのか?
そんなことを考えました。
考えるを手放す
考え切った先で、私は愛がある自分というのに出会いました。
愛がある世界はお花畑で、あたたかくて楽園だなって思った。
光のイメージだと、私にある愛はどこまでも世界を照らせる光になった。
考えるではあったけれど、イメージの世界で愛を感じる、遊ぶ中で掴んだ感覚が私に愛がある、愛がある世界を体感させてくれました。
だから、これからはふれる、感じるをしよう、と意識的に頭で考えるを手放しました。
愛にふれる
愛を受けとるのは、まだちょっと恐いがある。
そう思った私は、ふれるから始めたらいい、と思いました。
ふれてみるなら、出来そうだと思えた。
「愛にふれる」の感覚と近い感覚を私は知っている、と思えたのも安心できました。
そもそも、愛は受けとるものでもあるけれど、受けとるかどうかは選べる。
また、空気のようにそこに存在している愛もあるし、返すが前提の世界にいたけれど、受けとること自体がもう返すことになるも学びでした。
愛に気づく
今日気づいた愛は?
これを私は毎日自分に問いかける。
あたたかいお天気の日に太陽の光を浴びられるのも愛だし、おいしいご飯を食べるのも愛。
人から何かをしてもらった時も、愛はある。
心配してもらうことも、「大好き」に「好き」を返してもらうことも、私の言葉が届いたよも、がんばったんだねって認めてもらうことも愛。
けれど、私は愛に気づけないことがある。
そもそもないものとして扱ってきていたから、気づくのにタイムラグが発生する。
振り返ってみたら、そこにあった愛に気づけるということが起きます。
また、特に分からないのが私にある愛です。
しばしば人から、「それって愛だね」って言ってもらうことによって、私にも愛はあるんだ?みたいに気づくことが、愛があるにOS更新する前から起きていた。
私は愛とは思っていなくて、感謝だったり好きという気持ちと呼んでいたけれど、周りの人から教えてもらうことで、
「これは愛なんですか…」
とピンとこないけど、「そうなんだ」って受けとっていました。
見えない愛
愛に気づく、ふれる、感じるをしている私は、とても楽しいなって思っていた。
そして、愛って何?
というあまりにも大きな問いを大きな愛がある人に尋ねて、こんな風に考えているよって教えてもらうこともしました。
本当にありがたくて、愛がある世界に住んでいる人が見ている景色を共有させてもらったことは、私にとって過去にある愛を見る、見つける機会にもなりました。
両親からの愛が薄かったな、と思っていた。
だけど、私は周りの人に愛されてきた、ということに目を向けることが出来ました。
見えない愛というのもありました。
見ようとした、愛はあったよねって信じたいに近かったけれど、やっぱり見えなくて悲しかった。
けれど、「今は見えなくてもいい」と思えました。
光の世界で生きたい
愛には、あたたかい側面ばかりではない。
いろんなものが内包されている。
これを私は教えてもらいました。
海のたとえを引いて教えてもらった。
自然は厳しかったり津波があったり、ただ癒されるばかりではない。
孤独や寂しさを感じさせることもある。
愛にも私はまだふれていない、見たり出会っていないと思うけれど、おぞましかったりするものもある。
今の私は、愛の光の面を積極的に見つけようとしていて、ふれようとしている。
その自覚があって、それが楽しいという地点にいます。
今はそれを楽しんだらいいと思っていて、お父さんとの関係においては、愛があるという目で見ようと、受けとろうと少し努力している感じもあるけれど、愛に気づく日々を探求しています。
自然と、愛のかたちにふれたり発見したりをしていたら、愛の光ではない面に出会う日も来るのだろうし、このまま転がって行こうと思います。
一生懸命に見ようとする、ふれようとする、考えるではなくて、無邪気に楽しいなって過ごすこともいいんじゃない?
って伝えてもらったから!
愛のかたち
人によって愛の表現方法はちがう。
当たり前だけど、あまり分かっていなかったことです。
私にとっては言葉で表現するのが自然で大事な要素です。私の愛の通貨が言葉。
けれど、言葉以外にも愛のかたちはある。
これも学びと言える。
言葉は見えやすいから安心を与えてくれる。
愛はいろんなものを含んでいて、最近だと、責任も覚悟も境界線も愛のかたちだということにふれた。
学んだことでもあり感じられるようになったこと
愛を感じさせてくれる人と出会わせてもらった。
愛が分からないけど分かりたいと願っていた。
それが交わった時に、愛が恐いが起きたけれど、私はふれることで愛を学んでいて、感じている。
愛を学ぶ、感じる旅の途中。
いきなり受けとるのはまだちょっと恐いから、ふれてみよう、感じてみようのスタンスで愛に気づいていくことをしている。
この探求に終わりはないのかもしれない。
けれど、愛がない設定で生きてきたからこそ、私は日々光を見つけて楽しく生きる喜びを味わっている。
光だけでなく、影だと思える部分とも出会っていくのだろう。
けれど、楽しいばかりでなくとも、愛が感じられることは本当に尊いことだと思うから、愛を循環していける光のひとつでありたい。
私にとっての天使なあなたと、とんでもなく深い愛で私に関わってくれているあなたに改めて感謝です。
ありがとうございます。
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あなたの最近発見した愛もコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!
私にある愛を見つけた時は、「それ愛だよ、あふれているよ」って教えてもらえると助かります!
これからも「愛って何?」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。
読んで頂き、ありがとうございました!
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