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愛って何? 📻ラジオにお便りしてみた 私がすでに世界に愛されていると気づいちゃったら

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私に還るだけ。ちゃんとあるから感覚を研ぎ澄ませて。
ぷかぷかの私が一番自然で健やか、今日も光を放ちます。

哲学っぽさもあるけれど、
あなたは「愛って何?」って聞かれたら、どんな風に答えますか?

照れくさいよ、そんなの〜。
愛がどんなものかなんて考えたことないよ。
家族にも愛犬にも友達にも職場の人にも種類は違うかもしれないけど、愛はあるよね〜。
難しいなー。

愛の形はひとつじゃない。

それは掴めてきているけれど、もともと「愛がある世界」に住んでいる人は、どんな風に世界を見ていて、感じているの?

愛を「考える」の方向からひとりで探求していたので、愛のネイティブスピーカーの人たちは、どんな感覚なのかな?

分からんなー、聞いてみたいなーと思うようになりました!
想像は出来るけど、ふわふわしたままなんだよね。

私にとって愛を考えるは「英語」を履修しようとしている感じ。
日本語は母国語だからOK。
愛は私にとって外国語って感じの今ここ。

愛も母国語で必修なのに、選択科目だと思ってたから、「いらない」ってして、私は単位を落としたまま再履修せずにきてたのかも…と書いてみて思いました。

再履修というより、別の学校(親子以外の人間関係)で履修することもせずにきてた感。

愛はない設定だったから、必修じゃなかった。
(けど、必修だったよね!が分かった)

愛は感じるものだから、教えてもらって分かるではない。

けど、ネイティブの先生が話すのを聞いたこともないのに、しゃべれるようになるのは難しい。
発音記号だけで話せるようになるの無理じゃない?

文法や単語は独学で学んできたので、直接リスニングさせてもらって、私もしゃべれるに近づこう!

愛について「考える方向から近づく」は手放そうと思っているから、忘れようと思ってる。

けど、ネイティブスピーカーの人の会話は浴びさせて〜な感じです笑


2024年11月、私は拓馬さんならどんな風に愛を語るのか聞きたかったなぁと思ったタイミングがありました。

今私に愛を考える季節がめぐってきているので、聞けるチャンスでは?と思い、お便りしました!
こういう時の瞬発力はあるのが私のいい所!

「どんな風に愛について考えている?を拓馬さんの言葉で表現される世界をちょっぴり見せて下さいませんか?」とリクエストしました。

お便りを採用してもらって嬉しいです!
「壮大すぎてむずい」のに、お答え頂いてありがとうございます。心から感謝です。

👂『お便り回答 愛ってなんだろう?のお話』
"静寂のある自分と出会う"拓馬のひとり語り(仮)

過去の私も愛されてきた。
愛を安心感の一部と捉えるなら、私は不安定と感じる。
愛はすべてを含むもの。
私がすでに世界に愛されているなら?
愛について考えるもいいけど、目の前の「楽しい」を感じよう。


愛されてきた?(振り返り)

「子どもの頃からいろんな人に愛されてきたと思う」

私は愛についてここ1ヶ月ほど探求してきたけど、過去を振り返るはあんまりしていない。

だから、「今私は愛されている」は見つけようとしているけれど、

「愛されてきた?」
は考えてないなーと思いました。

あえてそうしないもあったと思います。

(軽やかに愛を考えるが私のスタンスで、過去を振り返ろうが目的ではなく、恐いを腕に抱いたまま愛のある人に近づきたかった=未来を見たかったから)

「親から愛されていた感が薄いなー」と思っていて、けれどそれを悲観はしていなくて、ただそんな感じだったよね、と受けとめています。

これは、本を読んだからそういう受けとりが出来ている。
親も1人の人間で、完璧はない。
親の親との関係に影響されているんだろうなって思うからです。

また、感覚としてはなかっただけで、愛されていたの推測はあります。

視野が狭くなってた

過去における「愛される」を親との関係でしか見えなくなっていたことに気づかされました。

昨年、「母親と私」を考えていて、今年は「父親と私」に夏まで向き合っていて、「親子」という所に光が当たっていたからです。

愛は親子関係で健やかに育まれて、学んだり感じたりする。
多くはそうだけど、親に限らずそれ以外の人との関係でも育まれる。

話を聞いて、私はおばあちゃんに愛されていたなぁと思いました。

もう亡くなってしまったけれど、私も妹もおばあちゃんに愛されていた。
妹にも、近所のおばさんにも親戚のおばさんやおじさんにも愛されていたなと思う。

大人になってからも私は周りの人に愛されていなかったことはなくて、職場の先輩にも同僚にも愛されていたと思う。

もっと広い視野から見たら、違う景色が見える。

今、私はすでに愛されている。
そして、過去の私も愛されていた

「子どもの頃から愛されてきた方だと思う」と聞かせてもらって、それも親以外の人たちからも愛されてきたと聞いて、私は「親子関係において愛されていた感じってあんまりなかった」、以上。

ってしていたから、親以外に私は愛されていたに気づかせてもらいました。

「愛されたい」って言えないって我慢していた私に教えてあげたらいいかもしれないからメモ。
「おばあちゃんはあなたのことを愛しているよ、他にもあなたを愛してくれていた人はいるよ」って。

「なんでこんなに愛について考えないといけない人生になったんだろう」

私は、愛がない設定で生きてきたので「愛が分からない、分かりたいなー」と思い始めてからも、機会があれば考える程度でした。

しかも私が「愛に足る存在」って思ってなかったから、愛されたいも薄いって思ってた。

本当は「愛されたい」って言いたかったけど言えないって思ってたし、見ないふりだった。

だから、そこまで深く考えることをしてこなかった。
まさに、「出会い」が外から運ばれてこなければこんなに考えなかったと思う。

「愛以外の複雑なものがたくさんあった」
「混在してた」
だから、考えざるを得なかった

私は私を守るために、「愛なんてないよ?外の世界にはあるかもしれないけど、私の世界にはないよ」ってした。
だから、考えることはなかった。
言葉としても私は私自身の「愛」という言葉を奪っていて、言葉がないと考えられない。

けれど、愛は多面的でいろんなものを内包していて、愛のある世界に住んでいる人も、愛について考えたり悩んだりしている。

それが改めて分かった。

愛がある世界にいる人たちも悩んではいるんだろうなとは思ってたけど、すごくからっとしているイメージを持っていたと気づきました。

話さないだけで、みんな愛について悩んだり考えたりしてるのかなあ…。

愛を「安心感」という部分でとらえるなら

私は安心が欲しい。これは、はっきりと分かっている。

だけど、安心はある?

と問われると、思ってたより不安定なんだ、が最近見えてきたので印象に残りました。

「安心できない」と「安心できない」を持ち寄ったら(共感すること)、安心になったりする。の話も面白かったです。
分かち合えるだけで、状態は変わっていなくても安心が生まれる。

「安心したい」は私にあるし、私にとって大事なことって思っているけれど、それはつまり不安を抱えているのか、と考えると、等しくはない気がする…。

「安心が不安定」という言葉になるから、やっぱり不安と近いけど、微妙に違いそう。

今後考えてみたらいいテーマ、多分。

不安を手放すには、

①覚悟を決めてそういう自分と別れる→自分のあり方を根幹から見つめ直して変えて生きていくことで整うことがある
②いろんな情報がそろうこと
③経験がそろうこと
④誰か人と出会うこと

最近は、あんまり不安と出会っていないような気がする。
「恐い」とはよく出会うけど、不安は予期不安の段階で対処しちゃってる感がある。

この世界は不完全なまま=世界は完全

「この世界は不完全が完全。だから不完全なまま許容していこう」

言葉遊びのようにも聞こえるけれど、好奇心のわく言葉で、世界の見方。

未知の道で満ちていく(温泉みたいなコーチの言葉)」が思い出されたから出しておく。

通じる世界観があるよね?

この世界の捉え方もだけど、言葉として美しいよねっ、誰か共感してほしい!

人は欠けたるところのない満ち足りた存在。
コーチングマインドにも通じそう。
が、派生して出てきたから書いておく。

私は、欠けていると見える所を見つけるのが超得意だけど、愛においても「欠けている」じゃないって捉え直したなぁ、を思い出しました。

「父親に受容されない」が分かってしまったのは、多分愛も私の期待する形では得られないことだった。
だけど、「ない」じゃなくて、他の部分は「ある」って、これもコーチングを通して見つめていった。

けど、不完全が完全。
そう見るならこのままの私で大丈夫の根拠がひとつ増える。

話を戻します。


💡(ピンときたそうです)
寝る前に不満を抱えたままじゃなくて感謝して寝ようとした時に
自分が世界を許容するんじゃない。
世界に自分が許容されてたんじゃないか。
そう気づけた方がいいかもな。

この世界は不完全が完全。だから不完全なまま許容していこう

「気づけた方がいいかもな」この言葉も面白いっっ!

この気づきを愛に転用すると

💗愛に転用すると
自分が世界を愛そう
→実は、自分が世界にすでに愛されていた

世界の捉え方は、あくまで生きやすくなるためのツールでしかないのかしら?
と思えたので書いておく。

愛を常に探し続けるのは大変で、外に見つけるのは難しい。

今の私の感覚と違うなって思った。

「愛はあるよね」の目で世界を見ると、愛は見つかる。大変でなかなか見つからないわって感じが今のところない。

外に見つけるも、私の中にある愛も見つめたけど、両方あるって思った。

私がお花畑に住んでる楽天的な人間だからかな?
今まで探したり、渇望する気持ちに鈍感であろうとしてきたからかもしれない。

愛はあらゆる概念が同時に存在できるようなもの

なんとなーく分かると思ってた感じのことでした。
厳しさや緊張感も含む。

私は、愛に光と影があるなら、めちゃくちゃ愛の光の部分にふれていて、ふれようとしている。

私の頭の中の愛のある世界のイメージは、
お花畑でちょうちょが飛んでて、安心を持ち込んだら空がピンクになる楽園みたいな場所だから笑

あたたかいしかない〜汗

内包されているのでは?と思い当たっていたのも、受容、信頼、尊重、感謝、やさしさ、自由、安心、ありがとうみたいな、あたたかいもの。

けれど、厳しさも愛から生まれることは知っているし、怒りも愛があるから生まれる。

ふれてみよう、受けとろうって自覚的にし始めた所だから、光の方を私は見ていて、影と思えるような面をまだ見てないは、心に置いておこうと思います。

ネガティブもポジティブもすべてが愛。

私を育む土台に愛がいるんだ!の気づきの地点に立っているのが私。
自己信頼、自尊感情、自己肯定感のようなものの土台が私が私に注ぐ愛。

それがもっと広がったら、私を育むだけではなくて、私に起きることすべての源には愛があるになる。
そう受けとりました。

海のたとえ

とても分かりやすいお話だった。
海は癒しでもあるけれど、厳しさも感じる。
包容力も感じるけど、その広大さを前に孤独を感じる。

自然を前にして、無力な存在。

「海のイメージとは違うんだよなー」って思った人がいて、それは厳しい感じがなくて、包容力とか受容という側面だけを私が感じていたからでした。

あたたかさと厳しさというのは、海に感じるから、愛と近いんだは、イメージとしてふれやすかったです。

私が見ているちょうちょが飛んでるお花畑もまだ見えていない所では、黒い花が咲いてるのかもしれないし、枯れているかもしれない。
焼き払われて花が自生しない場所があるかもしれない。

愛はやさしいだけじゃない。

親に愛されているか?にふれると

愛は全部を含んでいる。
親に愛されてきたか、そうではなかったかは、大事なことではある。

私にとっても大人になった今もなお、人間関係の作り方において尾を引いてきた感覚がある。

だけど、「未来を見てみよう」って言われた感じがした。

「自分で関係を変えてプラスに変化して生かしていくか」 
「プラスで得たことをさらにどうプラスで続けていくのか」
マイナスがダメでプラスが良い。
という話ではなくて、両方あるから全部が存在する。

私が世界に愛されていると分かちゃったら

愛を知らないから、知ろうと努力した、その行為を突き詰めた先に
→全体に愛されてたことに気づく、気づいちゃう

怯える必要がなくなる。
=安心感を覚えるということなのかなと思いました。

相手にどう思われる?人目を気にするを手放せる。
相手に踏み込んでいい?って悩んだり迎合したりがなくなる。

「だって、私は世界に愛されているから。」
このメッセージが常に世界からやってきているとしたら?

無敵になる。って思った。

普通に接することできるよね?って。
普通のことを普通にきけるようになる。らしい。

周りからどう思われる?のしがらみから自由になれる。

ネガティブと見える反応が相手から返ってきても、それも世界に愛された上でのひとつの現象。

愛をもって本当のことを相手に伝える。

すべてが含まれた世界。

全部愛だったの??となるかもしれないね」、という話だった。

とはいえ、「これを受け入れることも難しいのでは?」とのことだった。

注意として、何でもこの見方に気づけたら「うまくいく」、ということではない。

ネガティブと思われる反応が相手から返ってきたり、人が離れても「世界に愛されている」の1つの現象だから、特に傷つく理由がない。とのことだった。

すべてが愛されている上での現象

「必要なことが起きている」の考え方に近いのかな、と思いました。だから今は苦しいや辛いと思えることでも、この立場に立つと受け入れられる。

「私は世界に愛されている」

感覚だと、
私は「素敵なコーチに出会える運がある」って思っていて、会うコーチはみんな素敵なコーチだった。

その結果、「私がこれから出会うコーチには素敵なコーチしかいない」と言い切れるようになった。

この感覚と、「私は世界に愛されている」を受け入れるのは近いのかな?と思ったから出しておく。

世界に忖度しない

強い、潔い言葉だと感じました。

すべてが愛されている上だから、愛を持って本当のことを言うのが、世界に忖度しないこと。

けれど、時には相手を傷つけることもある。
だけど、そこはコントロールできないよ、と教えてもらった。

私は相手の受けとり方をコントロールできないし、愛があっても傷つけたり傷つけられたりするのは起きること。


相手の気持ちを勝手に妄想しない

愛と直接関係ないけれど、人との関わり方については、最近の学びがある。

大好きの気持ちを伝えることは出来るけど、相手がそれを受けとるのか、受けとらないのか、返事をするのかしないのか、それは私にはコントロールできない。

忖度とは思っていなかったけれど、コントロールの出来ない相手の反応、それも嫌われたり拒否されるを想像して、頼るも伝えるも出来なかった。

けど、今は「相手にどう思われる?」を想像しちゃうを回避するためのおまじない「それ、想像じゃない?」を紙に書いて本棚に貼っている!

「頼るの苦手」のテーマでコーチングを受けた時に決めた行動で、伝えるにおいても頼るにおいても特効薬レベルで私には効いています笑

伝えたいをまっすぐ伝えるを後押ししてくれたものは他にもあるけれど、相手の反応を深読み、先回りして妄想しないは、大事でした。

愛とは何か?に近づくには

①感覚的に愛してくれるものと出会う(外的要因)
→愛に気づく力が目覚める

私に起きたのは、この現象。
とんでもなく深い愛を向けてくれる人との出会いがあったから、気づけた。
気づきたくなかったと思う程に深い愛だと思った。

(深いが一番しっくりくる。やさしさが人によって違うように、愛も人によって形が違う。単にどんな愛?を行動で言葉にしていたけど、イメージや形容詞で考えたら面白そうだからメモ)

➁自分の中に愛せる力があると信じてみることから始める
→愛の力、愛せる力に気づく

これは、周りの人が、「愛だね」って私の中にある愛を教えてくれることで、私は「私の中にも愛はある」に気づかせてもらいました。

だったら私は愛を届けられている。

相手が信頼する人だから、私の中にも愛があるを信じた。

「愛せる力」という言葉にはなっていなかったから、輪郭がはっきりした。
愛があるとは、愛せる力。

③自分の中を見つめていく
→世界に愛されてたと気づく力が目覚める

小さい感じでは、私にも起きていたかな?と思う。
「世界に」ではなく、「周りの人に」私は愛されていると気づく力が目覚めた。

しかも、そのままの私で愛されている。

無邪気にアホになる

考えるを手放して、忘れて、感じるをやってみよう!と私は思っていて、それと同じことかなーと思った。

頭で考えないで、愛はあるよねーって目で世界を眺めるようにする。

それすらも手放して楽しく生きる。

しっかり考える人ほど、しっかり考えないこともめっちゃ大事。

考えがちだから、心に留めておきたいと思います。

無邪気、わりと私にあると思うので無邪気に楽しいなーって生きていく。

愛を探求することは、純粋に知りたいの好奇心もあるし、すべての土台だってことが、私が思っていた以上に土台だったから、探求しないとは出来ないのが現在地。

けれど、ゆるく健やかに軽く遊ぶ。
そして、感じるだよねってしていく。

まとめ

お答え頂いたことに、感謝です。
拓馬さん、本当にありがとうございました。

誰にでも尋ねられる問いではなくて、拓馬さんだから尋ねることが出来ました。
あなたの大きな愛を私は感じていて、信頼もしていて、大丈夫って直感があった。

瞬発力だけど、安心して尋ねられるがありました。

たくさんの種を手渡してもらっている。
今までもそう感じているのですが、今回も種を渡してもらいました。

水やりをして、光の当たる所に植えて、待ってるよって育つのを見守りたいです。

私は世界に愛されているの前提に立てば(気づけているのかいないのか分かんないから立ってみる)、愛されているからこのタイミングでお便り募集があって、私の相談が届いて、答えてもらうが起きている。

私は世界に愛されているじゃん!


私に引き寄せて、見せてもらった「愛って何?」について丁寧に受けとることをしました。

1人で見つめる、考えるには限界があります。

特に愛がある人がどう捉えたり感じたり、見ているのかは、好奇心でもあり、探求したいでもあり、ほんとに分かんないだったので、愛とは何?を広げてもらいました。

過去の私もちゃんと愛されてきたし、愛がある世界に住んでいる人も悩むし、愛は海のように包まれる安心も、孤独もすべてが同時に存在できるもの。

私は、人に対して「周りの人」が私を愛してくれていると捉えていたけれど、「世界が」私を愛してくれているのでは?と大きな視点をもらいました。

世界に愛されているなら、私は私のまま素直に相手に伝えていい。
何も恐いことはない。

探求したいは好奇心でもある。
だけど、ゆるーく頭の私は手放して感じるし、無邪気に楽しいことをやっていこう!と思います。

今のところ、お花畑にちょうちょが飛んでるので、その世界で愛はあるよね?を見ること、暗い所もあるんだよを心に留めることもしようと思います。

生きた人から生きた言葉を、感覚を見せて感じさせてもらいました。
ありがとうございました!大好きです。

あ、ラジオネーム、お便りに書けばよかった…。字数をおさめるのに必死で忘れてた…💦
4,5回しか使っていないけど、ラジオネームあります笑

ラジオの世界を楽しむ工夫。
そんなに頻繁にお便りしてないから忘れちゃうもあるね。

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あなたの愛って何?もコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!

私にある愛にふれた時は、「愛を受けとったよ」って教えてもらえると助かります。

これからも私の「愛って何?」についてたまに書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

読んで頂き、ありがとうございました!

このnoteと関連するnoteたちです。
良ければのぞいて下さいね。

▼愛を存在させないために、私が私から「愛」という言葉を奪っていた話

▼愛にふれる時の感覚ってどんなものなのかな?と他の人の感覚に興味がわいたnote

💗愛について探求している私の足あとをまとめたマガジンはこちらです。


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