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私の辞書から仲間外れにした「愛」を取り戻す 言葉を奪ったのは私自身

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私に還るだけ。ちゃんとあるから感覚を研ぎ澄ませて。
ぷかぷかの私が一番自然で健やか、今日も光を放ちます。

この現象、名前ついてないのかな?
そんな風に思ったことはありませんか?

学生の時、試験が近づいてくるとなぜか机に向かっていても急に部屋の片づけがしたくなってくる。

この現象、何?

片づけではなくて試験勉強をしなくてはならないのに!実際、部屋の片づけを始めてしまって、勉強する時間がなくなる。
ありましたよね?

言葉があることで、その現象や考え、モノなどが存在する。

私は、「愛」という言葉そのものをないものとした。
愛がない設定にするために、言葉を奪った。
言葉がないとは、存在しないこと。
また、言葉は私にとって大事なものだから使う使わないの判断が厳しい。
ないけど、言い換えてはいたと思う。
「愛のある世界」を見られるようになったから、使ってみよう。


言葉がある=存在する

言葉にすること、ラベルを貼ること、名前をつけてあげること、そうすることで世界にその現象が存在する。

よく分からないと思っていることも、名前をつけてあげると急に輪郭がはっきりして、扱えたり、分かるに近づくことがある。

言葉や名前を与えることで、固定されるけれど、こぼれ落ちていくものもある。
すべてに言葉を与えるのがいいとは限らない。
言葉で表現できるものに限界はある。

けれど、メリットはある。

赤ちゃんに名づけることで、その子は世界により力強く存在するし、世界に生まれる。

今日は気分が落ち込むなって思った時、それを丁寧に見て、何が含まれているのかが分かれば、その重たい気持ちが何なのか、急に分かるようになる。

因数分解だよね。

寝不足が続いていて、今日の仕事は苦手な上司と一緒で、天気が雨。
そんな風に自分にとって好ましくないことが重なっているから気分が落ち込んでいるんだ。

分かれば、扱えるものに変わるので、対処できる、解決できる、行動できるにつながっていく。

「木漏れ日」という言葉を指す英語は直接的には存在しない。
日本人なら、木立ちに差しこむ日の光、あの景色をさして、あの光のことを木漏れ日をさすというのは分かる。

木漏れ日という言葉があるから、あの光が存在している。

けれど、英語にはその言葉がないから、その概念が存在していない。
言葉がないから、概念も存在していない。

伝えようとすると説明的になるか、そのままkomorebiとして使う。

最近、またこの学びにふれていて、私と愛の関係もそういう感じだったんだと思いました。

(8月は学ばないって決めていたけど、言葉の話って好きだからどうしても響くよね)

凪いでる海のような人が、「言葉がないとは、世界が生まれない」と話していて、私にも近いことが起きていたなってつながりました。

美しいなって感じたから印象に残りました。

「愛」という言葉を奪ったから、愛のある世界は生まれない

愛という概念も外の世界に存在しているも知っていた。
けれど、私には関係ないって、愛はない設定で生きていた。

だから、私の世界には「愛」という言葉がなかった。
ないものとされた。

「言葉がないから、概念や存在が生まれない」でもあるけれど、私の場合は愛という存在そのものを「ない」と設定したから、言葉が奪われた。

逆のことが起きていた。

私の辞書に「愛」は載っているけれど、人名に使える漢字が限られているように、私が使える言葉としては指定外だから、ないのと同じ。

愛という概念は存在しませんので、言葉としてもないことにしてね。

友達になれている言葉を使いたくて、「愛」を仲間外れにした。

「愛」という言葉がないと、「愛」は私の世界に存在できない。
存在させないために、私は私の言葉を自分で奪っていた。

そんなことしてたんだ~が、今ここでの発見。
悲しい。

人の言葉を奪うことも悲しいし、黙らせたりすることも悲しい。
けれど、私は私から言葉を奪っていたなんて、分かっていなかった。

私が私にしていたことだけど、痛い感じは今ここでは感じない。
だけど、人にそうする以上に悲しいことのように思う。

言葉が大事

「分からないから使えない。」
私はそう思っていた。

愛という言葉はもちろん知っていた。
けれど、使うことは基本的になかった。
よく意味を分かっていない言葉を使うことに抵抗があったからだ。

分かりもしないのに、軽々しく使えないとも思っていた。

単なる専門用語のような言葉なら、背伸びして使うこともできたかもしれない。
けれど、分からないなりに、特別なものだというのは感じていたから、使えなかった。

また、私にとっては言葉は大事なものだから繊細に扱うもので、自分の言葉に責任を持ちたかったから、余計に使わないという選択になっていた。

ある言葉で言い換えていた

ないから、存在していない。
けれど、外の世界にあるのは分かっていた。

だから、私は「愛」を言い換えていたんだと思う。

その筆頭が、受容されたいってことでした。
受け容れられたいって強く願っていて、その根底には「愛されたい」があると思っている。

愛という言葉や概念がいろんなものを内包しているということは、分かってきた。
言い換えではなくて、愛に内包されているのが「受容」とも言えると思う。

尊重も信頼も、思いやりもやさしさも、笑顔も、自由も、ありがとうも全部愛に含まれているのかも。

「愛」という言葉を使ってみる

抵抗はある。
けれど、言葉が存在しないと、愛のある世界も存在できないから、ゆっくりと使っていこうと思う。

愛とは何か。
その中身を私の言葉で定義する、説明できるのが最もいいのだと思う。
定義や説明ではなくても、言葉にしてみようとする試みそのものが大事。

断片的には書いてきているので、ひとまずはそれでいいことにする。

今の状態で、この大きな問いに正面から向き合って言葉にしていくのは少々荷が重いから。

探求していて、ふれていきながら感じて育てようとしているから、マイペースに愛にはこんな形もあるんだねって発見して、感じていくことをしてみたい。

まとめ

言葉という切り口から、愛がない設定の世界に生きていた私を見てみました。

面白いなって思います。

「愛」という言葉は知っているであって、「私の言葉」では断じてなかった。

知っているレベルで使える言葉もあるけれど、「愛」は知っているでは使えないし、むしろ存在自体は、私の中ではない言葉にしていた。

ないというか、自分で自分の言葉を奪う。
そんな悲しいことをしていたとは、書き始めた時には気づいていなかった。

愛があるにOS更新したけれど、言葉としても使っていくことを意識してみる。
使うことに抵抗もあるし、自然と使えるではないような気もするけれど、使わないことにはなじまないと思う。

愛は空気と同じように存在しているから、今までよりも言葉としても軽やかに使っていいよってしてみる。

愛は特別なものではなくて、至る所にあふれているもの

この気づきの種を手渡してくれた凪いでる海のような人と、いかようにでも形を変えられるゼリーのようなけど核はあるあなたに感謝です。
ありがとうございました!

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