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祈ることも、願うことも、目に見えないけれど確かな愛。 家族の「今」と「過去」が交差する場所で

「この子を会わせてあげたい。」

冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切にしています。
自由の光が差す方へ安心して転がって。私のままでもう全てそろってる。

帰省している。

赤ちゃんが、誰に似ている?という話をしたことはありますか?
ママ?パパ?おじいちゃん、おばあちゃん?

私は妹に似ていると思った。

家族にふれることは、そこにいない家族を思い出させた。

生後7か月の甥っ子たちに会いました。2回目。
二卵性なので、見分けはつく。

顔立ちが変化していて、妹にそっくりだと思った。

甥っ子に幼い頃の妹を見た私は、この子をお父さんに会わせてあげたいと思った。それは、現実的に見ると叶わない願い。
だけど、それは意味のない願いではなくて、私の願いも妹の意思も両方大事にする。お父さんが健やかであるように祈る。


幼い頃の妹を見る

2人のうちの1人が妹にそっくりだと思った。
子どもの頃の私が見てきた幼い頃の妹にそっくりと思っているのではなくて、大人の私が妹の幼い頃にそっくりだと思った。

明確に思い出す1枚の写真がある。

水色のワンピースを着ていて、カレンダーにしていた写真。
歩き出した頃、まだ保育園にも通う前くらいの妹。

あの妹の顔とそっくりだと思った。
顔が大きい所も、髪がくりくりなのも、口も鼻も目も、そっくりだと感じた。

どっちに似てると思う?と妹にきかれたから、この子が妹にそっくりだと思うと返したら、周りはそうは言わないとのことだった。

どこからどう見ても、私には妹の幼い頃にしか見えないけれどね笑

この子をお父さんに会わせてあげたい

もう一人の子は、人見知りで、まだ私をじっと見てくるけれど、自分で見ておいて、私と視線が合うと、泣いてしまう。

けれど、妹とそっくりだと私が思っている子は、わりとすんなり慣れてくれて、笑いかけてくれたりする。

妹にそっくりなこの子を、お父さんに会わせてあげたいと思った。

孫という存在がどんな存在なのか、実感としては分からないけれど、孤独の中にいるお父さんにとって、生きる希望になるのではないか、と思うから。

はじめて甥っ子たちに会った時にも思ったことだった。
けれど、幼い頃の妹の面影を思い出させる甥っ子に会って、またそれが想起された。

思っただけで、現実に叶えることは難しいし、無理だと思う。

私がまず会えない

いのちの時間は有限。

お父さんは体を壊している。人よりも残りの時間が少ないかもしれない。けれど、それを理由に私は心が追いつかないのに会う選択はしないことにした。

電話で話すことも、会うことも、手紙を受けとることですら、恐くなっていて、ただただ私は、今のお父さんを受け容れることが無理な私を許すことにした。

責めていたから。
他の人は、年老いた親を受け容れているのに、なぜ私はそう出来ないのか、と。

年老いたお父さんを受け容れることは、子どもの私にとってのお父さんが永遠に失われることに近いから。

妹の意思を尊重する

私は、自分の心の安全基地として、妹に離婚以来一度も会っていないお父さんに手紙を出す。けれど、傷つくことがあったら話を聞いてほしいとお願いしていた。

その時に、妹はもうお父さんと関わりたくない、という意思を聞いた。
ただ、私にとっては私が明るく未来を生きていくために必要なのだと説明したら、分かってくれた。

実際は、私はそれこそ1人では抱えられない絶望に出会ってしまって、周りの人に助けてもらった。本当に感謝だ。

妹の人生のタイミング的に産直後でそんな妹に私はこの心を聞かせることは出来なかったから。

そして、今に至るまで手紙を出したことも、その後返事が返ってきたことも話していない。

聞かれたら話すかもしれない。
けれど、今の時点では私にとってもまだ生きている途中の関係だから、話せないもある。

双子を会わせてあげたい。
これは、私の中に生まれた願いで、お父さんと関わることを望んでいない妹の意思が何よりも優先されるから、現実的には叶う確率は低い。

孫という存在についてすらも私はお父さんに伝えるつもりはない。

会わせてあげたいと願う私のことも、もう関わりたくないと思う妹のことも、両方を私はちゃんと大事なものとして扱いたい。

この年末をあたたかく過ごせますように

会わせてあげたいな、と甥っ子に幼い頃の妹を見て、お父さんのことを思った。

それは、叶わない可能性が高い。

だけど、願うことは自由で何かかたちにしなくてもただ思うだけでも祈るだけでもそれも愛のかたちのひとつ
そう私は知ったので、祈ることにした。

いつか会えたらいいな。

そして、現実的には、この年末年始、少しでも寂しさが減ってあたたかい気持ちで過ごせるように。

そして、病院がしまるから、まずはお父さんなりの健康で過ごせますように。

まとめ

年末年始、帰省というイベントを通して、ひとり暮らしで普段は深くふれない家族にふれる。

帰省前から母親と私については、感情が振れたりしてきた。
今、私は母親や妹家族と実家で過ごせている。

あまり肯定的に帰省を捉えていなかったけれど、ありがたいことだと思った。

そして、私にとって目の前にいる家族もだけど、いない家族、お父さんについても深く考えることになって、静かに涙が流れた。

祈ることも願うことも、何一つ目に見える現実を変えてはいない。だけど、それが意味のないものだとは決して思わない。

帰省できる場所があること、家族と呼べる人がいることのありがたみを思ったし、私なりのお父さんへの愛を私はないことにしないで、ある、祈ることだって愛だってちゃんと自分で扱った。

家族は、煩わしいのかもしれない。
だけど、帰る場所があることに感謝する気持ちも忘れない。

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関連noteもどうぞ

▽お父さんから愛されたい、それもあるが私もお父さんを愛している

▽祈ることも愛だと気づいた時


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