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私とあなたは違う人間?同じ人間? 人の捉え方 より良い人間関係のヒント

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私に還るだけ。ちゃんとあるから感覚を研ぎ澄ませて。
ぷかぷかの私が一番自然で健やか、今日も光を放ちます。

2人のコーチから学んだことがつながったので、書いてみる。

書くとは学びの再体験で、私の中で発酵したことが再構築されていく営み。

人はみんなちがって、みんないい。

この言葉を聞いて、どのように捉えますか?

多様性を認めて、大らかな社会にしよう。
そういう誰もとりこぼさない社会にしよう。
違うのは当たり前だから、受けいれよう。

違いがあるからこそ、面白いよね。だから、人と出会うことが楽しい。

私は、どちらかというと、他者を100%理解することは出来ない
という視点に立っています。諦めもある。

100%は理解できない、あなたと私は違う人間だから
だけど、そこで理解しようとすることを諦めては全然なくて、越えられないと承知しているからこそ、私はぎりぎりまで近づこうとしてきた。
そういう感覚があります。

違う人間と見るなら、互いを尊重し、ただ違うんだねで受け容れる。
同じ人間と見るなら、そのままの私で分かり合えないかもは手放す。


😸私とあなたは違う人間?

多様性の話とも関連しますが、誰一人として同じ人間はこの世界に存在しない。
たとえ双子であってもまったくの同じではない。

容姿から考えていることはもちろん、どんな経験をしたのか、どんな環境で育ってきたのか、まったく同じ人はいない。

私と同じ人間はいない。

これに反論はないのではないでしょうか?

私もそう思ってきたし、だからこそ理解したいし、近づきたいし、つながりたい。

違いがあるからこそ、共有できることが私にとってかけがえのないものだと思います。

違う人間だけど、楽しいという感覚や、嬉しいという感情、これ面白いよねってことが分かち合える。
そこに喜びが生まれる。

🌳私とあなたは同じ人間?

この問いについては、意見が分かれると思いました。

前述したように、同じ人間はいない。
その視点に立つと、私とあなたは同じ人間ではない。

けれど、もっと俯瞰してみるとどうですか?

私とあなたは、同じ命のある生き物で、哺乳類で、ヒト。
つまり、同じ人間。

手術室で皮膚の下、体の中を眺めてきた感覚として、ちょっと分かるなと思います。
確かに、同じ患者さんはいない。

だけど、ドレープをかけて臓器だけを見ていると、同じ人間だなって感じる。脂肪の量も、血管の走行も多少は違う。

けれど、心臓も肝臓も胃もひとつだし、血は赤いし、臓器の位置は同じ(内臓逆位の人もいるけどね)。

顔が見えなくて術野だけを見ていると、個別性を尊重した看護をしようって言われるけれど、患者さんがみんなヒトという同じ生き物という感じに解像度が粗くなる。

名前のある1人の患者さんなのに、それが遠くなってしまう感覚がありました。
全身麻酔がかかって、動けないし話せない、ただそこに横たわっているように見えるので、余計にそう感じたというのもあると思います。

だからと言って、個別性がない看護をしていた訳ではありません。
一瞬、名前のある患者さんだということが消えてしまう。

身体的なことを話しましたが、精神的なことも含めた存在としても、私とあなたは同じ人間。

そういう風に見ているよって教えてもらったことがあります。

年齢や性別、生きてきた過程も価値観も違う。
けれど、それは違いとは映っていなくて、1人の血の通った人間という視点から見ると、同じだと捉えている、という立場です。

その視点に立つと、私とあなたは「同じ」だから、比べたり迎合したり、態度を人によって変えたりすることがない。

基本的に誰とでもまっすぐに接することができる。いつでもフラットな態度でいる。

多様性を尊重していないにそれはつながらない。
違いがあることは、内包されていて、もっと大きな存在として見ている。

違う人間だけど、同じ人間じゃん

違うよね、だから互いを尊重し合うことが最も大事。
そのように思ってきた。

そして、「一貫して私を尊重してもらった経験」で、違いがあることを承知して接するとはこういうことか、を学ばせてもらった。

違うよねは、ただそれを見つめること。受け容れること。
判断しない。違いに着目してそこから何かを生み出さない。

受け容れたら、どうするか。
侵食しない、干渉しない、押しつけない。比べない。
ただ違うよねってそれだけでおしまい。

違うからってそこで扉を閉ざしたりしない

それは健やかな関係を作る上で、大事なことだと思う。
誰だって尊重されたいし、否定されたくないし、押しつけられたくない。

けれど、時としてそれは距離を生む可能性もあるのではないかと思いました。
違うよね、ってそれに対して判断はなくても、線を引かれていると感じることがあるかもしれない。

そこで、それを感じさせないためには、開いていくが必要だと感じています。
扉を閉ざさないだけじゃなくて、近づいていくとも言い換えられるけれど、自分を開いていく。

世代間でギャップがどんどん開き、共有できるものが少なくなっている。
それとも関連しますが、違うよねを尊重し過ぎることは、互いに理解しようとすることを諦めさせたり、個人主義の助長になることがある。

バランス。

違うよね、だけど同じ人間じゃん。

だから、100%は理解できなくても私はあなたを理解したいし、好きを共有したい。

悲しいならそれを預かりたいし、笑顔も分かち合いたい。

互いを尊重しながらも、同じ人間じゃんって立場から、分かち合えることを諦めないでいようと思いました。

違うけど、同じ。
それは両立する。

あなたは、周りの人をどんな目で見ていますか?

先入観というフィルターはない?
レンズ、変えてみる?

まとめ

違うよねって思いながら、相手の見ている世界を一緒にその目から見せてもらう。

同じじゃんって思いながら、誰に対してもそのままの私で接する。
また、分かり合うことを諦めない。

違うから、お互いにどんな世界を見ているか開き合う。交わる所が見つかるし、響き合う。
違うからこそ、その交点が見つかる時、共有できた時の喜びは増す。

違う人間でもあり、同じ人間でもある。
文化や年齢、性別、考え方、あらゆることが違うって見えても大丈夫。
人は多面的な存在。

同じ人間だから。
目は2つだし鼻は1つ。顔の中でのそれらの位置は同じだよね?

だから、分かり合えないかも、伝わらないかもは思わなくていい。
違うように見えるけれど、同じだよ。

自分にとって、いいように考えていけばいい。

違うなって所に光を当てて、その人を探求したらいいし、同じだって思いながらフラットにそのままの自分で接したらいい。

自由に捉え方の重心を変えられたら、少しは軽やかに人と関われるって思います。

もっと柔軟に見つめる目を変えていい。

違う人間だけど、同じ人間だよって教えてくれた大きな木のようなコーチと、白いにゃんこのような人に感謝です。
ありがとうございました。

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