思い出す私はいつも1人ぼっちなのはどうして? 自尊感情と幼い頃の私

自己肯定感を上げようと努力しているnahoです。コーチングに全振りだと思って努力中です。

自己肯定感は、何をするにしても生きる上で低いよりも高い方が生きやすいと感じていて、向き合っています。
無理に上げる必要はないし、上下動があります。

「自分が自分を受け容れていないのでは?(自己受容できていない)」と最近まで思っていました。
今は、「意外と私、自分のこと好きだな」と気づいたので、わりと受け容れられていると思います。

幼少期を振り返った時に、私はなぜか1人の場面しか思い出せませんでした。小学生くらいまでの場面です。
それが気がかりでした。友達や家族といた楽しい思い出があるはずなのに、思い出せません。

小さい頃のことを思い出す時に、私のように実際は1人で放っておかれた訳ではないのに、1人ぼっちの姿しか思い出せない方はいますか?
なぜなのかな?と考えてみます。


一人ぼっちな場面ばかり思い出すのが気がかりだった

幼少期のことを思い出すと、親や友だちもいたはずなのに思い出すのは1人ぼっちの私の姿だけでした。
しかも、楽しそうにしているかと言うと、怖いのに頑張っていて寂しいって思っている私。寂しくて怖くて、助けて欲しい。だけどそれが言えなくて1人で頑張っている。

1人ぼっちというのは、今も尾を引いている気がしています。

コーチングを受けている時に、イメージして下さいと言われてイメージする時に、私は基本的に自分しかいないイメージしか出てきません。
森があるとか、道があるとかはありますが、人の気配がありません。
コーチに聞かれて、人がいたりするイメージを他の人はするんだなと思ったり、他の人がこんなイメージですと言っているのを聞いて、私は1人だなと感じています。

・登校するための集合場所に行ったけれど誰も来なくて不安になって家に帰ったら、待ってたら来るからもう一度行きなさいと一人でもう一度家を出された。

・歯医者に1人で行って泣いたけれど、帰宅しても母親に泣いたことを言えない。

・スイミングスクールで水泳帽を失くしたけれど、それを大人に言えなくて困っている。

そういう1人で困っているけれど頑張っている、怖いけど頑張っているという場面が浮かびます。
反対に、楽しかったことはあまり思い出しません。

妹がいるのですが、妹と何かをしたというような記憶も薄いです。
妹が泣いてぬいぐるみが欲しいと訴えている場面やファミレスに行って会計に並べてあるおもちゃが欲しいと言っている所は思い出せます。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」、とか「しっかりしなさい」と言われた記憶もないですが、妹がそうやって自分のことを訴えているのは思い出します。

怖いとか寂しいとか1人で頑張っている感じなんです。と話した時に、笑っていたらしく、それは辛過ぎて向き合うことが出来ないからそうやって笑っているのではないか?
寂しくて悲しかったのなら、もっと悲しんでも良いという声を掛けられました(今一緒に講座を受けている仲間から)。
そう聞いて、私は私が思っているよりもかなり心にダメージがあるというか深い傷なんだと初めて理解しました。
両親から愛されていなかったという認識はまったくないです。
それなのに、子どもの頃の私はすごく悲しかったんだ、と気づきました。

マイコーチとのコーチングセッションでも、母親と私の幼少期の関係について扱っていて、その時に「もっと構ってほしかった、(甘えたかった)」と話していました。
それも本当だけど、孤独や怖い寂しいと思っていた私がどれだけ深く傷ついていたかについてはあまり考えていなかったので、そこまで気にすることではないのかなと思っていました。

が、母親と私という関係ではなく、1人ぼっちに注目すると、見えてきたものがありました。

父親との関係については、もっと思い出すことが少なくて、優しい父親だったし、怒ったり叱られたという記憶もほとんどありません。
否定されたりしたこともありません。何か問題があった訳ではないけれど、特に愛情を示してもらっていた感じでもない印象です。

自己主張できない引っ込み思案な私

自分のことを言えない私については考えていて、引っ込み思案であったこと、その根っこは保育園生の時のいじめにあると思います。
これも記憶はあまりないけれど、登園拒否をするくらいには私はイヤだった。

どんな声を掛けてあげたい?

寂しい悲しい、怖いって思っている当時の私に声を掛けるとしたら、どんな声を掛けますか?マイコーチとのセッションでも話しています。

今回は、私はテンション高めに「頑張ったね~」と声を掛けたかったと答えていて、それに対してもっとしっかり考えてみてというような修正するフィードバックがありました。
明るく答えていることにあまり違和感を私は感じていなくて、一応は考えたんだろうけれど、当たり障りのない言葉しか思いつかなったです。
問いかけられたから反射的に答えるのではなく、もっとその当時の私に対して向き合ってという意味だったと思います。

言葉ではなく態度

そこで考えてみて思ったのは、言葉じゃなくて、抱きしめて欲しかったということでした。ぎゅって抱きしめて頭を撫でて欲しかった

「頭を撫でて欲しい」は、今回だけじゃなくて寂しいなって思った時に私が人にして欲しいことです。これ、大人になってからたまに思うことだったんだけど、子どもの私がして欲しいことと同じなの、何か悲しい。

これを今眺めてみると、
言葉で表せないような無条件の愛情や私は受け容れられているという安心感が欲しかったのかなと思います。
どんなものでも代用できないものが欲しかったのでは?と思います。

愛情という言葉で合っている?
孤独感ということで捉えると、無条件に自分を受け容れてくれる場所があるという感覚。

私の最近までの世界の捉え方
「ありのままの私は受け容れてもらえない」
「外の世界は怖い所で私を傷つけてくる」
は、1人ぼっちとつながっていると思いました。

「私を助けられるのは私だけ」
の思い込みもここからつながっていると思います。

1人ぼっち、結構今の私に影を落としているのでは?と感じました。

「自尊感情が低くて、自分があまり価値のある人間と思っていない」ことも、ここに関係している。
ほとんどのちょっと生きづらくさせている私の思い込みはここに鍵がありそうです。

1人ぼっちだったという私の幼少期の捉え方、修正できるのかな?
修正できたら、心から安心感が得られると思います。
私からはそう見えていただけで、妹からはまた違った風に見えていただろうし(現に過保護だと思っていた)、母親もそんな意図はなかったはずです。

私は愛されていたと思うのに、1人ぼっち感がある。そこって一致しないものなのか?

1人で考える限界です。これ以上のことを考える、または具体的な方法に当たるには学ぶ必要があると思います。

カウンセリング?と思いつきますが、どうなのでしょう?
メンタル領域、興味はありますが親子関係ではなくストレスマネジメントの観点から興味があったので、ほとんど知識がありません。
今これが原因で明らかに生きにくさを感じているレベルでもなく、ただ気づいたからには癒したいと思うのが現在地です。

どんな母親だったのか

この視点では考えたことがなかったので、考えてみると教育熱心ではあったと思います。
専業主婦で家にいて家事と育児をしていました。パートに勤め始めたのは私が小学5年生の時だったと記憶しています。
私が初めての子。とても頑張っていたのではないかと思います。
同じマンションに同い歳の子どもが私以外に3人はいたと思います。その子たちとも交流があって、比べたりしていたのかもなと思います。
とにかく何歳でこれが出来るようになるというような標準的な発育を気にしていたと思います。
絵本を開いて、何かを探すような知育絵本を一緒に見ていたという話を母から聞いたことがあるし、幼稚園生の頃からくもんとピアノ、習字に通っていました。
母親が横について毎日くもんの宿題をさせられていたし、ピアノもあまり好きではありませんでした。けれど、必死に子育てをしていたのだと思います。

妹は宿題をやらされている私を見て、くもんがイヤだと思って通っていません。家に世界の童話全集や図鑑もあったし、恵まれていたのだと思います。
けれど、私はまだ幼いので自分の意思はそこに存在していなくて言われるがままにやっていた感じです。

妹が去年私に対して、母親が私に対して過保護だと思っていたという発言を聞いたので、教育熱心で過保護な環境だったのだと思います。

母親は、私のことはちゃん付けで呼びますが、妹のことは呼び捨てで呼んでいて、そこにも何か私に対する過保護が出ているのでは、と思います。

では、母親がどんな家庭環境で育ったのかを考えると母子家庭で祖母が苦労しながら2人の子どもを育てました。母には姉がいて2人姉妹です。祖父はあまり良い人ではなかったようです。
祖母はとても几帳面で真面目、そしてユーモアのある人でした。
母親は心配性で神経質な所があります。

父親は兄と妹がいて、両親のいる家庭で育ったけれど、どんな家族だったのかについては聞いたことがありません。祖父はなくなっていたので私は会ったことがないし、祖母にも遠方だったので数回しか会っていません。

私は両親が欲しかった

怖い寂しかったと答えたことに対して、「お父さんとお母さんが欲しかったんですね」と今一緒に講座を受けている仲間にフィードバックしてもらって、その発想はなかったと思いました。

両親は存在していたし、私の欲しい受容や承認はもらえていなかったけれど、その親は私にとっては親として機能していない部分があったとは到底考えが及ばなかったです。
しかも、今自分で自分のためにこうして欲しかったというお父さんとお母さんを作って声を掛けてあげたら良いよって教えてもらいました。
本当は幼少期にそういう関係で欲しいモノを与えてもらっていたら良かったけれど、それが出来ている親はほとんどいないらしい。

私が私の母親であり、父親でありになることは出来そうだと思いました。
普段、抑えてくる私(頭の方)と会話して納得させられているので、そうではない自己受容できるような自分を満たす会話をする。
母親になって、心の声を聴いて励まして支えて、父親になって行動すること、現実的に考えることを促していくという方法を教えてもらいました。

この方法、今の私の自己肯定感を上げるのにはとても良い方法です。
子どもの頃の私を癒すことができるのか?と言うと、違うとは思いますが生きやすくなりました。

けれど、今の母親に対して持っている感情を見にいくと(下記のnote)今の母親に抱きしめてもらったり頭を撫でてもらったり、構ってもらうということは求めていないと分かったので、もう少し理想の両親と会話するのを続けてみます。

この記事が面白かった、参考になったと思ったら、ぜひ「スキ」ボタン、「コメント」「フォロー」をよろしくお願いします!
note執筆の励みになります。

▼関連するnoteたち

▼この1人ぼっち感に無自覚に近づいて怖い思いをした時のnote

親子関係をテーマにしたnoteは、こちらにまとめています。


いいなと思ったら応援しよう!

なほ|照らし、照らされるライフコーチ あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。

この記事が参加している募集