母親から言われる「そろそろ働いたら?」 心配されるのは愛?
引っ越しの日が決まったので、さすがに連絡しなきゃだなー。
そんな感じで、孫の写真+コメントつきの近況連絡がきたタイミング(心穏やかにスタンプ対応できた!)で、少し近況を伝えてみた。
春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
手放して剥がれていく再生中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還る。今日も光を放ちます。
一生という時間、職業人生と区切ってもいいけれど、いわゆる働く、仕事をして生活費を得るという労働をしていない人について、どう思いますか?
そんな時期があってもいい。
働きたくても働けないほど心や体の不調を抱える時もある。
貯金があるなら、ゆっくりしてもいいのでは?
さわやかに生活のためのお金を稼ぐはせずに引っ越し準備をしています!
貯金で生活しているよ!
きれいにラッピングして伝えると、コーチとして生きていくから、移行期にいるよ!
トランジションって伝えます。
(でも、このトランジションという言葉も概念も母親には1から説明しなきゃ伝わらない言葉だから使わないよ)
バイトしたら?をすすめてくるのは、おそらく愛からきている。
ただ、その「心配」という愛は受けとれる分だけ受けとったらいい。
相手の心配を私がどうにかする必要はない。
愛でつながれているなら、理解は手放していい。
たまに言われる、バイトしたら?
コーチングをする、ということに対して反対は受けていないけれど、「アルバイトでもしたら?」は、たまに言われる。
看護の仕事を離れてから1年が経っていて、いわゆる無職になっている。
というかそう見えていると思う。
バイトしたくない訳じゃないし、確かにnote書いて、「好き」って思う人とだけ話したり会ったりして、本読んでみたいな生活をしている。
コーチングもしているし、学んでいるし、幸福度はカコイチ!
心身ともに健やかで定職に就いていないという、今までに得たことのない自由な時間を過ごしている。
多分、大阪に友達に会いに行ったり、ライブに行こうとしていたり、横浜に遊びに行こうとしているから、それも気にさわったのかもしれない。
ライブとか横浜とか、言わない方が良かったのかも…。
たまたまだけど、9月、遠出する予定が重なっている。
けど、普段はつつましく?というか落ち着いた生活をしているつもり。
健やかに生きている。
6月まではコーチングスクールで学んでいたので、練習をしたり学びに全力を注いでいて、それが終わってからも走り続けなきゃになっていて、学ぶことをやっていた。
このままじゃ倒れちゃうって気づいたから、8月は閉じていて、意識的にコーチングからも学びからも、情報からも、人からも離れた。
そもそも、バイトする時間なんてなかった感じだと思う。
そして、コーチングだけにちゃんと向き合わなければという古い型に私は囚われていた。
1つを全力でやらなければの感じ。
働いてはいなかったけれど、膨大な量を私は「入れて」いた。
それを消化することに必死だった。
働くという面では何もしていないけれど、生産的で多忙はやっていたと思う。
だから、なかなか引っ越しできない、重い腰が上がらないって思っていたけど、いたってシンプルに時間がなかった。
勤めに出ていないのに、時間がなかった!
わたし1人が生活していく貯金はある
私、めちゃくちゃしっかりした人間として生きてきたのだけど、心配されている。
鋼の責任感と自立すること、まっとうな人間に見られるように生きてきたんだけど?
それは経済的な面についても同様。
なぜなら、私は両親の離婚の原因は借金にあると思っているから。
お金を貯める、貯めなければの固定観念は強かった。
看護師の仕事だって、経済的な自立がかなうというメリットも大きかった。
今は、もっとお金を使っちゃえって思っているし、私が自分を削るようにして得てきた、労働によって手に入れたお金だから、私を大事にするために使う。
自立が大事って思ってきたし、長女キャラ全開でやってきた。
だから、お金を使い果たして路頭に迷うようなキャラに家族からは少なくとも見えていないと思うんだけどな~。
だから、お金の心配をするなんてお門違いって思っている。
そんなの心配しなくていいよ。
育児も介護もなくて、健やかな心と体がある。
私が私のためだけに使える時間が自由にあって、貯金もリソースの1つと思っているのが私の今の状況の捉え方。
とても恵まれている。
私が私1人のことさえ養うことが出来ればいいのは、リソースと捉えている。
独身であることを「身軽」と揶揄され労働力としてコマのように見られた時はへこんだけれど、どちらの見方も出来る。
自分にいいように捉えている。
現実的に貯金が尽きる前には働くだろうし、コーチとして生計を立てるも叶えたいって思っているんだけどな~。
1年以上定職に就いていないという事実が心配させるのか?
それとも世間体?
愛があるから?
私がちゃんと貯金で生活できているって説明しなきゃなの?
いつまでも貯金を切り崩して生活する訳にはいかないよね?
っていうのはある意味正しいけれど、事実であって、だからすぐにバイトでも何でも収入を得る行動をするに直結しない。
理解した上で、バイトしようっていうテンションにならない。
貯金があってもバイトしに行ってもいいけど、そうしない。
貯金がある内は、無理に働きにいかなくてもいいよねって思うんだけど、これは説明しないといけない?
看護師っていう資格があるから、いざとなったら働けるは家族も理解してくれていると思うのは、私の怠慢なのかな?
安心材料って思っているんだけどなー。
心配は愛なのか
「お金の心配してくれてありがとう。けど、大丈夫だから。」
そう伝えて、納得してくれるかな~?
貯金、これだけあるからまだ大丈夫みたいに具体的に言うのもな~。
私のことを愛しているから心配しているのか、一般的に考えて1年以上働いていないのは、貯金がなくなるのでは?って感じなのか。
自由にしたい。
愛と理解はセットだけど、どちらかだけでもいい
思い出したから、書いておく。
大事なことだった!
この2つが揃ってるのが、ベストだよって教えてもらったことがある。
だけど、どちらかだけでつながるもある。
私は、母親とは愛でつながることは出来るけれど、理解はされないって思ったことがある。
だったら、もう解決かもしれない。
愛ではつながるけど、理解されるは手放したらいい。
そもそも、100%は他者のことは理解できないと私は考えていて、だからこそ近づく、理解しようとすることを諦めたくないって思っている。
相手のことを分かりたいって思っている。
ただ、母親という存在とは私はまだ距離感が不安定だから、愛でつながるはしたらいいけど、理解は求めない。
母親のことを理解したいし、理解してほしいとはあまり思っていない。
そもそも、愛でつながってはいるんだろうけど、母親との間にある愛を私はうまく見ることができない今ここ。
これは無理にどうにかしようとしていなくて、時間とか流れに任せようと思っている。
愛と理解の2つが揃えばいいけど、片方だけでもいい。
これを思い出したことで、そうだ、母親に理解は求めなくていいんだったと、楽になった。
じゃあ、心配は母親の愛なのでは?って見られる、考えられるようになったのは、愛を受けとることが出来るようになってきているのでは?
「ただうっとうしい」ですませようとしていない。
生活できるの?お金は大事にしなさいの心配という愛があるから、バイトすることをすすめているのかもしれない。
私とは価値観が違うのかもしれないけれど、愛があるからすすめてくるんだ、多分。
まとめ
いろんなことを書いてみたけど、ここに書いたこと、全部妄想!!
私が貯金で生活できるって思っていること、私が私を大事にするためにお金を使っちゃえも本当のこと。
コーチとして生計を立てたいも本当だし、貯金が尽きそうになったらちゃんと働く意思もある!
心身ともに健やかで好奇心がコンパスで生きていく。
ただそうしているだけなのに、居心地の悪くなるようなことを言われる。
家族(主に母親)がどう思って「そろそろ働いたら?」ってすすめてきているのかは、全部妄想!
じゃあ、気にしなくていいや。
心配には多分、愛も入っているんだろうって、ざっくり受けとって深読みしない。
受けとりたい分だけを受けとって、イヤな気持ちを覚えるならそれは一旦置いとく。
受けとるかどうかを私は選んでいいし、受けとるにしても全部じゃなくて、量も選んでいい。
これを私はたんぽぽの綿毛のようなやさしさを持っている人から学ばせてもらいました。
ありがとうございます。感謝しています。大好きです笑
情報として、いらない情報はあえて共有しないを意識的にする。
お出かけしている=楽しく生きているなんだけど、おそらくそれは共有しない方がいい。
ただ、元気にしている程度に留めておく。
今までもあまり詳細な生活の様子って伝えてこなかったけれど、全部を伝える必要はやっぱりないや。
心配するのは相手の自由で、それを私が心配しなくていいよって一生懸命になだめるはのしなくていい。
ニーズがあるからといって、こたえなくていいし、ケアしなくていい。
私は私にまずやさしくする。これ、大事なおまじない。
そもそも母親とは親戚のおばさん位の距離でいたいって思っているから、説明責任のようなものを果たしたいとも思っていなくて、私をもっと理解してほしいという感じも薄い。
お互い元気にしてたら、良くない?
私は幸せだって、楽しいなって思って生きている。
自己中心的な考え、親の立場を全然考えていないかもしれないけれど、そんな感じです。
愛にふれる、受けとるを練習中だから、母親との間でそれを練習する、見つけようとするのは今の私にはレベルが高過ぎるよね…。
メモ:愛を受けとる練習は、安全って思える相手から。
心配は愛ではないか?もその前提で見ようと努力して見ている状態が私の現在地です。
(ここだけの話、ちょっと距離を取りたいから帰省の打診をやんわり断った。しんどいなって思ったからそうしないを選べた私、えらい。)
親から見たら、そんなの心配するに決まってるという状況なのかな?
それとも理由なんてなくて、心配するのが当たり前?
私は世界から愛されちゃっているのかなぁ。
「説明」という言葉が目につく。これは何かありそうだ。
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私にある愛を見つけた時は、「それ愛だよ」って教えてもらえると助かります。
これからも私の親子関係について感じたことについて書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。
読んで頂き、ありがとうございました!
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