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私がほしかった愛のかたちを、私の「かわいい」妹の中に見つけた日。

ちょっと引いて見ている私がいる。

冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。

前の帰省の時も感じたけれど、よりくっきりした感じがした。

まっすぐに愛を向けている妹と、向けられている双子。
その両方が私はうらやましかった。

愛がある世界が当たり前で愛が自然とあふれている「かわいい」妹がうらやましくて、私には出来ないと感じた。
また、幼い頃の私がほしかった愛や関係性を「かわいい」妹とかわいい甥っ子たちの中に見ている。


まっすぐに愛を表現できる「かわいい」妹

私は、妹のことがうらやましくて、それは健やかさがうらやましい。
私からすると、陽の当たる場所を歩いているという感覚。

では、私が日陰を歩いているのかと言われたらそうではないのだけど、健やかさとは少し距離があった。

妹の健やかさを私は受け容れていなかったけれど、少し前に受け容れられるようになった。

だから、妹は私にとって「かわいい」妹で、この身が滅びてもずっと大好きだと言えるようになった。

私にとって「かわいい」妹は特別大事な存在で、心の安全基地。

「生きづらいな~」という言葉になっていなかったけれど、自己犠牲で仕事で自己実現することで自分の価値を保っていて、母親の価値観から出られない。

そういう状況は、私が選んでいたでもあるし、幼少期の私と両親の関わりの影響でもあった。

それと比べると、妹はとても健やかに私には映っていた。

今言葉にするなら、愛がある世界が普通か、愛がない設定で生きているかが大きな要素だったのだと思う。

産後間もない時に私は帰省していて、一度「かわいい」妹が我が子たちに接している姿を見ている。
その時にも、こんな風にまっすぐに愛を表現できるんだ、と目の当たりにした。

何かお世話することが新たに発生した時に「もう、かわいいんだから」って言っていたのがとても印象的だった。

とてもまぶしかった。

私には出来ないと思った。
(「私には出来ない」は、2025年上半期に置いてきたはずなのに)

それが今回よりはっきりした。

私には子どもがいないので、我が子が愛おしいという感覚は正確には分からない。

妹はとても自然に愛を表現しているように私には見えた。

うんちをしても、離乳食を全部食べられても、「えらいね、がんばったね」って褒めちぎっていた。

かわいいねってほっぺにちゅうしていたし、「かわいい子クラブ会員番号1番○○ちゃん」「はーい」って手を挙げさせていた。

むちむちの太ももを、「かわいいでしょ?」って私に見せてくるし、髪の毛がくるくるなのも、後頭部の髪の毛が薄くなっているのもかわいいし、おしりがぷりぷりなのもかわいい、と言っていた。

もちろん、私もかわいいと思う。

そして、全肯定
危ないことをしようとしていたら、まだ言葉は通じないけど、注意はする。けれど、すべてを受け容れていて愛があふれていた。

歌いながら、体をさわってコミュニケーションをとっていたりして、こんなにも豊かに愛を表現できる妹が私にはとても健やかで、うらやましく見えた。

素直に愛を表現できることがうらやましい?

私も愛と呼べるかは分からないけれど、「大好きだよ」は素直に伝えられる。だから、素直に愛を表現することにそんなにハードルはないと思っている。

健やかさがうらやましい?
それはうらやましい。
何が「かわいい」妹は健やかで、私は何が健やかじゃないの?

愛が特別じゃなくて、普通の世界に住んでいることがうらやましいのかな?
それは、あると思う。愛を特別じゃなくて、私の世界の当たり前にしたいって思っている。

あまりにも自然だからかな?
私は、愛を伝えるは出来ていると思う。けれど、それって「意識」が働いているんだと思う。

何も考えなくても、もうそこにあるものとして、とても自然にそれが出来てしまうのがうらやましいのかな、って思った。

私にある愛がよく分からない。
と思っているから、きっと私は自信がない。あるよってことが分かっていたら、それを表現することは難しくなくて、簡単。

けれど、あるんだろうけど…みたいな状態。
ちょっと私にある愛が分かりかけてはいるけど、微妙な所。

愛がある世界にふれる、受けとる、見えるにはなってきているけど、外側じゃなくて、私の内にある愛が不確かだ。

愛があることが自然、当たり前で、愛があふれている状態なのが、きっと私はうらやましい。

1人で考えるには少し難しいような気がするけど、今の所思い当たった所までを書いておく。

夫、おばあちゃん、私

私の母、双子のおばあちゃんと妹の声掛けに私は違いを感じた。

母親は、否定の声掛けが混ざることがあった。
それが、妹には一切なかった。

双子のお父さん、妹の夫もいたけれど、そんなに愛を言葉で伝えていなかった(男女の性差なのかもしれないし、人によってコミュニケーションスタイルは違う)。

どちらかと言うと、妹の夫は積極的に育児をしている方だと思う。
双子だから必然的にそうならざるを得ないのかもしれないけれど、離乳食を作ることも一緒にしていた!

私も双子と遊んだり、離乳食を食べさせたり、ミルクをあげたり、絵本を読んであげたりしたけれど、妹ほどたくさんの声掛けをしていなかった。

書いてみて分かったのは、言葉が私にとって「愛の通貨」だから気になるもありそう。

母親(妹)から愛を向けられている双子がうらやましい

これは、私が子どもの頃にそうやって母親から愛を受けとれていたら良かったのにな~、という気持ちからきていると思う。

子どもの頃の私が母親から愛されていなかったのではない。
ちゃんと愛情を注いでもらっていた。
ただうまく受けとれていなかった。

かわいい妹が今、双子に注いでいる、表現している愛のかたちが、私が欲しかった愛のかたちととても近いのだと思う。

まっすぐに、あなたたちはかわいいよ、大好きだよ、大事だよ、って言葉でもふれあっても表現されているから。

一緒に遊びながら、絵本を読みながら、歌いながら、抱っこしながら、ほっぺをさわりながら、ミルクをあげながら、大好きだよがあふれていて、注がれている。

うらやましい。
私もそんな愛がほしい。

お父さんから愛されたいという気持ち(愛がない設定の世界を生きていたので、受け容れられたい、という言葉だったけど)に気づいて、それが得られないって分かってしまった時に、私はそれがなくても、私の価値は毀損されないって自己受容している。

お母さんに対しては、まだ消化できていないのかしら?

冷静に私は母親と距離を保っていて、今の私が愛されているのは、今回の帰省でとても感じた。

消化できていないというよりも、そんな子ども時代だったら良かったのにな~という感じなのかもしれない。

双子がうらやましいではあったけれど、そこにそれ以上の感情ってなくて、いいなー、私もお母さんからそんな風に言われたかったなー、って至って冷静だった。

子どもと孫はどちらがかわいい?

私は、お父さんに双子を会わせてあげたい、会えたら生きる希望になり得るのではないか、と感じていた。

だから、お母さんに質問した。

孫という存在は果たしてどれほどかわいいものなのか、私には到底分からないから。

すると、「子どもの方がやっぱりかわいい。」という返事だった。

母親にとっては自分の娘が産んだ孫で、しかも初孫だ。
息子の子ども=孫だと、お嫁さんが産んでいるので、少し距離があるという話を聞いたことがあるけれど、母親にとってはそうではない。

だから、距離は近い孫だと思う。

けれど、やっぱり自分の子どものかわいさと孫のかわいさは、子どもの方がかわいいらしい。

意外だった。
孫ってとてもかわいいものって聞くから。

それを聞いて、私はちょっと嬉しかった。

今の大人になった私と孫を比べたら、孫の方がかわいいのかもしれない。

けれど、私はお母さんの子どもだから、私(と妹)の方がかわいいよって少なくとも思ってもらえている。

そんな風に自分にとっていいように解釈した笑

母親と子どもの間にある愛

2024年のお正月の気づきとつながると思いました。

親友と話していて、自分が母親になることで、母親の母親という立場から自然と離れられた、という話を聞いた。
彼女もしっかり者の長女で、母親の世話を焼いていたタイプだったから。

けれど、自分が出産して子どもに手がかかるようになると、自然と母親とは距離ができる。

私も結婚して子どもを産んでいたら、もっと早く母親の母親を降りられたのかもしれない、という気づきでした。

今回、私の「かわいい」妹が我が子である双子にこれ以上ないくらいまっすぐに愛を表現している姿を見て、うらやましいと思った。

表現できる「かわいい」妹も、その愛を注がれている双子も両方。
そして、私が母親になって我が子に愛情を注ぐという体験をしていれば、子どもの私が少しは癒されるんだろうな、ということも思った。

自分がしてほしかったことを、他の誰かにすることによって癒されることがある。

我が子ではなくても、後輩だったり、ペットだったり、パートナーだったり愛を注げる対象がいたら、そこで代替されるというか、満たされることが起きるのだと思う。

うらやましいなーって思う感情をそのままに、書いてみた。

うらやましいって思っちゃいけないとは全然思わなくて、私の現在地だな、って思った。

双子の甥っ子は本当にかわいくて、笑いかけてくれるのがとても嬉しかった。

しかも、1人は妹の幼い頃にそっくりだった。かわいいに決まっている。
早くお話しできるようになりたい。

私の「かわいい」妹に、自分の子どもってどんなに愛おしいのか、どんな存在なの?母親になるってどんなこと?といつかきいてみたい。

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よかったらこちらのnoteもどうぞ

▽2024年お正月の気づき

▽私のかわいい妹はこんなにかわいい

▽かわいい妹がどれほど大事な存在かが分かった時の話


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