父親の心の支えにならないは、絶望してた
春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
楽しいは、自然に訪れるもので気づくもの。
自分で自分に水やりして、私が私に愛を注ぎます。
「愛が恐い」と感じた時と、父親から心の支えになって欲しいと言われた時の全部を受けとる、持つはできないの感覚が近いと思って、考えていたら行き当たったので私のために残しておく。
多分、未完了の完了。
このnoteは、あまり明るい話ではないというか暗めなのと、重いので、基本的には読まずにスキップして下さい。
ここに至るまでに私に起きたことは、
親が離婚して以来一度も会っていない父親に私は役所づたいに現住所を調べて手紙を出した(離婚は私が大学生の時)。
目的は、
・子どもの頃の私は父親のことが大好きだったを伝えること。
・余裕があれば、ただ私が娘として存在していることを認めて欲しい。
離婚を契機に私は、父親に関する一切に蓋をしていないものとして生きてきた。
けれど、その蓋を開けたきっかけがあって、子どもの頃の私は父親が大好きだったのに、それを伝えていない。伝えなければになった。
これからの人生を明るく生きていくために必要だと思ったから私のために手紙を書いた。
返事はなくてもいいって書いた。
だから、めちゃくちゃ恐かったけれど、手紙で伝えた。
私のすべてと言い切る私を書いた。
返事は返ってきたけど、願いは叶わなかった。
感情を感じることすらやめるという防衛反応がおそらく起きた。
その気持ちを凍らせて時間を作った。
コーチと氷の箱を開けた。
「子どもの私」はいらないって言われるようなことが起きたと感じていた。
あの感情ぐちゃぐちゃ、もうゼロにして何も感じませんは「絶望」。
「親を支える」は、世間的にみて美徳とされるかもしれないけれど私にとっては地雷になっている。
「新しい両親を下さい」って言ってもいいよね?
子どもでいることは出来ない
心の支えになって欲しい。
この言葉が指す所のもっと根底にあること、私にとっての意味が理解できたように思います。
一番やりたくないことをしてって言われたから私は悲しいとか辛いでは説明できないいろんな感情でぐちゃぐちゃになったって初めて分かった。
絶望していたんだなって今の地点から見ると、思います。
当時は、もう何の感情か分からない位、怒りも悲しみも諦めも名前の付けようのない感情もあってどうにもならなかった。
だから、感情を感じるをやめたんだろうね…。
やめた上での、凍らせた。
なんで、心の支えになることが出来ないの?
って思われるかもしれない。
具体的な援助を求められた訳でもないのに、それくらい子どもならしたらいいのでは?
「出来ない。」
この出来ないは、絶対に出来ないだったんだ、と気づきました。
出来ないと思う私に対して、冷たい人間では?と、いろんな気持ちがあったけれど、そんなのは表面の話だったんだ、が分かりました。
単に、父親の支えになることが負担が大き過ぎるから出来ない。
だと私は思っていた。
自己犠牲になってもそうしようとしてしまうのでは?と、もう私はそうすることは出来ないと分かっている状態。
重過ぎる責任を持たされたという感覚。
前の私なら支えになろうとした。
けれど、それをしたら私は自己犠牲に傾くし、自分を優先して生きることを練習しているので、出来ないと思った。
子どもの私と、大人の私の両方が存在していて、子どもの私は、ただ娘として存在していることを認めて欲しいって書いた。
「元気にしてたか?いつも気にかけていたよ」だけを言って欲しかった。
何もいらなくて、それだけ。
一番の恐れは父親に拒否されることだ、ということも分かってしまっていて、それは起きていなかったけど、受容されるは私の求める形では叶わなかった。
→かろうじて受容されているよね?って私は思いたかっただけで、やっぱり受容されるは起きていない。
未来においてもそれは起きないって分かった。
大人の私は、親子ではなく1人の自立した人間として関係を結び直すことが出来たらいいと思っていたけど、それも出来ないが分かってしまった。
だから、未来においても私が望む形での受容されるは起きない。
母親の母親
私は、こういうことをしていたんじゃない?
って言われて初めて理解したんだけど、「母親を支える=私が親みたいな立場」という役割をしていた。
早い段階で子どもの立場を自分から手放したという感覚はあって、支えなきゃの責任は強かった。
けれど、去年それをやめた。
意識的に母親の母親という役割をおりた。
同じことを要求された
意識的に母親を支える役割を離れたのに、今度は父親から「またやりなさい」って言われたって受けとっていた、が分かった。
母親の支えになることから意識して離れたのに、父親からまた同じことを要求される。
しかも、それは世間的に見たら自然なことだ。
年老いた親を子どもが支える。
けれど、「心の支えになって欲しい」は、子どもの私でいることは出来ないと言われているのと私にとっては同じだったんだ。
娘としての私をただただ認めて欲しい=受容して欲しいが、私の一番の願いだったのに、全否定にも近いことだったのでは?
存在の承認は、「アイデンティティに近いもの」だって私はコーチとの対話で言葉にしている。
それが否定されるのは、私の一部が否定されることで、体があったなら血を流すようなレベルのことが起きていたんだと思う。
今こうやって言葉になっている、頭の理解が追いついたけど、それが起きた時、感覚や心、体のレベルではそれを感じていて、だから血をこれ以上流さないために感じるのをやめたし、そのまま置いておくことは危険だから、凍らせたのではないか。
私の思う形では受容されていないだけ…。
ストレートには返ってきていないけれど、拒否されるは起きていないし…。
一応、私のことを応援しているとは書いてあったし…。
みたいに思っていたけれど、今はっきりしてしまった。
親から言われる「支えになる」は私にとって地雷で、子どものままで支えるもあるのかもしれないけれど、親のような役割をすることって受けとっていた。
子どもの私、娘としての私はいらないよ、って読み替えていたのかもと思いました。
それは絶望しちゃっても仕方ないって思いました。
子どもでいたいって思っているのに、真逆のことをしなさいって私は受けとった。
見えている景色が違っただけ
父親には私を絶望に突き落とすような意図はおそらくまったくなかった。
ただ孤独で辛かったから、出来るなら会いたいし、親子の関係を修復したいし、心の支えになって欲しかっただけ。
お互いに見えている景色が違っただけ。
同じものを見て欲しかった、寄り添って欲しかったけど、お互いに歩み寄るだけの心の余裕がなかった。
私は私で、子どもの私を認めて欲しくて、癒して欲しかった。
父親は父親で体を壊してしんどくて、心の支えが欲しかった。
私はどうして分かってくれないの?欲しいものをちゃんと書いていたよねってなったし。
けど、子どもの私の立場をとりながらも、「今」という瞬間に戻れば、私は未来に向かっては1人の人間として付き合いたいが明確にあった。
親と子の関係性を手放したかった。
2つを私は書いていた。
これから関わることがあるなら、1人の人間として関わりたい。
けど、父親は親子の関係でいることを望んでいた。
年老いた父親に親子じゃなくて、1人の人間として付き合っていく可能性を、新しい関係を持ちたいなんて言っても難しい。
柔軟性は若者より低いし、親子は親子って思っているかもしれない。
見えている景色どころか見ている方向が違う。
父親からしたら、あんなに重い呪いのような手紙(私としては呪いじゃなくて正直な気持ちだったけど、泣いたとか恐いとか返事はなくてもいいとか、けど余裕があったら元気にしてたかって言って欲しいとか、これから関係を続けたいのか分からないも全部書いた)をもらって、受けとめる余裕なんてなかったかもしれない。
親を支えることが私にとっての地雷だなんて、分かるはずがない。
20年近い時間が経っている。
けど、会うのも電話するのもやっぱり私には恐くて、手紙が精一杯だった。
大人の私は、父親に支えて欲しいとは思っていない。
けれど、いつまでも頼れる父親みたいな存在でいて欲しいという気持ちとの間で揺らいでいて、理想の父親みたいなものを背負わせるのは違うとも分かっていた。
父親も人間で、完璧な存在ではない。
母親の支えの役割を意識的に下りるをしたのに、またそれをしなきゃいけないの?って思ったんだ。
私から見えている世界、私の解釈なので、思い込みもかなりあると思う。
そんなことは父親は思っていないかもしれない。
あくまで、子どもの私として支えになって欲しいだったのかもしれない。
けど、母親との間で私はそれを学習しているから、容易に結びつく。
親を支えるとは、私にとっては私が親のように責任を持って支えること。
しかも、今の私は子どもじゃなくて自立した大人。
「私に新しい両親を下さい」
私はその時そう思っていて、私には生物学的に血のつながった両親がまだ生きているのに、「私に新しい両親を下さい」って思った。
そう言葉にすることが、ダメなことのようにも感じたけど、そういう心境だった。
それって、子どもの私にとって現実の両親からは心から願っていることはもう与えてもらうことはないって分かった。
どこにも持っていきようのない気持ちがあったから出てきた言葉だったんだ、と思った。
両親は、私にとって子どもでいられる存在ではない。
そもそも、親も完璧な人間じゃないから何かを期待することはあまり良い選択ではないと頭では分かる。
けれど、頭で分かるからといってすっぱり親に何も期待しませんとはならない。
わずかに残っていた期待のようなものが、ない。
それだけでなく、さらに重い荷物を持たされそうになった。
(持てないをちゃんと伝えた。)
思うことは自由にしていいって思うので、「私に新しい両親を下さい」って思った6月5日の私に、思ってもいいよって伝える。
両親が生きているから、そう願ってはいけないことはないよ。
私の心は私のもので、そう願うことで気持ちが楽になるなら、願ってもいい。
現実的に、新しい両親を探すでも本当の両親に何かを言ったりする訳でもないから、自由に考えるも、思うも、願うもしていい。
補足しておくと、だから両親のことが憎いとか嫌いとかはなくて、1人の人間として見ています。
普通に愛されていたんだとは思うから。
ただ、それを感じられていたかが薄いだけ。
両親のことが大好きです!という気持ちはないけど感謝している。
「子どもは親を愛するもの」、みたいなものと私は距離を置いています。
親と子という関係性では、難しい所があるんだなって感じ。
家族として接するは出来ると思っていて、母親に対しては親戚のおばさん位の距離でいたいが現在地です。仲が悪いとかもありません。
父親に対しては、かなり難しい。
親子の関係性を父親は求めていた(修復したい)けれど、私はそれを望んでいない。
さらに、自立した1人の人間として関係を結び直すのもおそらく今の父親には出来ない。精神的に孤独でそういう状況にないというのが分かるからです。
(孤独なら、なおのこと私は支えになるべきではという気持ちもあったし、看護師をしていたから分かる背景もたくさんあったけど、そうしないことが私の誠実さだった)
まとめ
私の願ったことは、叶わなかった。
そう理解していたけど、違っていた。
願いは叶わないどころか、打ち砕かれていた。
「子どもの私は、いちゃいけない」って言われていたのと同じだった。
存在を認めてなのに、いらないよが返ってきた。
あくまで私の受けとり方だけど。
かなりびっくりな新事実レベルの気づき。
受け容れられていないけど、拒否はされていない。
だけど、たまたま母親にしていたのと同じ役割をもう一度やりなさいって父親からも要求されたと捉えていたことは、まあまあきつかったよね、と理解が深まりました。
しかも一番やりたくないやつ。
その時は、まあまあきついどころか本当にきつかった。
「絶望」だってやっと分かったから、初めて使ったけれど、絶望してたんだと思う。
父親に受容されなかった。
そう結論づけて(これを認めるのも少し時間が必要だった)自己受容という文脈で考えると、「この出来事はハイライトだった」と私はマイコーチに話した。
だから、必要なことが起きているの視点に立つと、
父親という他者に受容されなくても私という存在は損なわれないし、それが得られないことは欠けているではない。と見ています。
ない部分だけじゃなくて、ある部分もちゃんと見られる。
私がこれから歩く未来において、少し深く呼吸が出来るようになるために手紙を書いた。
私が幸せになるために書くは、決めて書いた。
この気持ちを伝えないままに父親が亡くなったら後悔すると思ったから書いた。
だけど、現実は幸せな方向にはいかなくて、なかなか厳しいなって思っていた。
このプロセスを私はこの春くらいから7月くらいまでにかけて歩いていて、エネルギーめちゃくちゃ使っていたのでは?
(微妙に完了はしていない部分もあるけど、それは置いとく)
にも気づいた。
確かに心のエネルギーを消耗することだったとは認識していたけど、多分自覚するよりも消耗していて、しかも単に消費するではなくて、普段使わないような種類のエネルギーを出して、しかも使い切るようなことをしていたんだと思った。
ものすごいスピードで使い切ってしまった。
だったら、8月はゆったりモードになるのは必然では?みたいにも思えてきた。
私、やっぱり人間やっているなぁと思いました。
コーチの私と対話する
セルフコーチングする意図はまったくなかったけど、せっかく新事実レベルの気づきがあったので、ちょっと「コーチの私(やや冷静モード)」と話してみる。
この学びを統合させる。
自己受容という文脈では、なほさんは父親に受容されなかったということを受けとめ、受容されなくても自分自身の価値は変わらない、またその他の部分は「ある」、と「ある」に光を当てられるようになりました。
俯瞰で捉えること、光の当て方の自由を手に入れたように思いました。
これに改めて心から拍手を贈ります。本当にすごいことだと思います。
ありがとうございます。
私を「球」と捉えていて、そこがない、だから埋めたいってなっていました。
他の部分はあって、他の人には私は受容されているけど、「ない」にこだわっていました。
今回、それが絶対に得られないって分かってしまったことは悲しかった。
けれど、他者によって私の価値は規定されない。そこがなくても、欠けているではない。
頭では分かっていたことが体で分かるになったと思います。
私が強くなった感覚があります。
自分の足でちゃんと立つための胆力を1つ得ました。
私にとって自己受容は課題だったので、私は自分の足で立てるんだを忘れずにこの足で歩いて行きます。
「自分で思うよりもエネルギーを消耗し、ものすごいスピードで使い切った。
だから、今はおやすみモードになるのも必然では?」と言っていましたね。
それに気づいて、どう感じますか?
このプロセスを歩いている期間が特にエネルギーを消耗していたんだ、ということも気づけていませんでした。
この3ヶ月ほどは「走らされている」という言葉になっていたけれど、目に見えない心の部分は相当フルに使う、今までで一番と言えるくらいのエネルギーを出していたんだと思います。
積極的休養をしようと思っていたけれど、もう少しエネルギーそれも心の負担になりそうなことには注意しようと思います。
また、これから先も同じように心のエネルギーを消耗しそうなことがあれば、それ以外の物理的なスケジュール、心の安全基地についてちゃんと考えて向き合おうと思います。
今回は、コーチがいて周りのやさしい人に寄りかからせてもらうことで、私は絶望だと認識できないまま、なんとかここまで歩いてきました。
けれど、準備しておくことが大事だと思いました。
そうなんですね。
今回、あなたにとって「心の支えになる」は、子どもの私がいらないと言われた、一番やりたくない「親の親」を今度は父親から要求されたと受けとっていたと気づきましたね。
そして、それはなほさんにとって「絶望」だった。
絶望だったと気づいて、これからのなほさんが未来を明るく生きていくために学んだことはありますか?
何が起きていたのか、「絶望」だったと名前がついて理解が深まりました。
「絶望を味わえて良かったです」とは言えないけれど、そういう感情を味わったことは、私が明るく未来を歩くとは違うかもしれませんが、周りの人の心に寄り添うための糧になると思います。
自己理解の深さは他者理解の深さにつながると思っています。
あまり良い体験とは言えないかもしれないけれど、経験しなくて良かったことは何もないと思っています。
また、絶望したけど、ちゃんと笑える私で今いられるので、それだけで明るく歩いて行くに踏み出せていると思います。
今回大好きだった以外の私もすべてを伝えることをしました。恐いと感じていることも、涙が止まらなかったことも全部です。
人に気持ちを伝えることが今出来るようになってきているのは、この経験が私を支えていると思います。
だから、経験しない方が良かったにはならなくて、絶望したという瞬間はあったけれど、未完了を完了させたこと、そのプロセスを歩いてきたことそのものが、私に未来を歩いて行く力をくれたと思います。
絶望は通過点で、今私はそこにいません。
これから父親との関係がどうなるのかは分かりませんが、絶望を通ってきたのなら、もう何が起きても大丈夫だと思います。
未来を明るく歩いて行く、それはもう始まっているんだと、とても力強さを感じました。自分の足で立てる胆力を得た、もう少し心を休ませることを意識する、次に心のエネルギーを使いそうな時はちゃんと準備する。
どれも大事なことだと受けとりました。
「この経験はしない方が良かったではない」という言葉も印象的でした。今のなほさんに必要だったということなのかなと受けとりました。
本当に多くのことを学んできたんですね。
また、絶望を味わったからこそ、なほさんが寄り添えるものが増えた、自己の器が育まれているのかなと感じました。
「人に気持ちを伝える」についてもこの経験が活きているというのも、それだけなほさんがまっすぐに向き合ったからこそ得られたことだと思います。
もうなほさんは留まることなく明るい未来を見て、歩き始めている。その力強い歩みをこれからもなほさんらしく歩いて下さいね。
自己受容の文脈からは、この経験の私の人生における意味は語ったことがあったけど、めちゃくちゃいろいろ詰まってたって書いてみて(コーチの私を相手に置いてみて)分かった。
すべては、私が明るく未来を歩いて行くため、という所は握って向き合ってきた。
けど、自己の器が柔らかく深くなってるし、人と自分から関係を作るにおける自分の気持ちを伝えるだったり、自分のエネルギーの使い方みたいなことも分かりかけてそう。
このプロセスを歩いて絶望も通ってきたって笑顔でいられるのは、私に自信をくれていて、強さになっている。
私が私と話しているので、コーチの私といっても全然普段のコーチの私ではないけど、冷静モードのコーチ(?)と話すをやって良かった。
しかも、もう明るい未来を歩いて行くは始まってた!!
そして、まだ父親との関係性の方向が見えないけど、どうなっても大丈夫って言える私がいるのが分かって安心。
早くも「なほバージョン3」になったかもしれない(バージョン2になったのが6月)。
私が「私」を信じる力においては、自分の足で立つ、歩みに力強さがある。私の価値は他者によって揺らぎませんって思える力は強くなった。
3に届いてなくても、2.5くらいにはなったのでは?
と思うので記録しておく。
置いて行くもの、考える?どうする?と思うけど、考えてみると…
支えること自体が地雷じゃないということは、はっきりさせておきたい。
書いてみて思ったのが、私は両親以外も支えるは、割と引き受けてきた方だということ。
仕事柄もあったし、自己犠牲的な私だったし、責任感だったり頼られる側にいることが基本だった。
けれど、支えるが悪みたいに拡大解釈されるのは、私にとっては違うと思うから、私が一方的に支えるという関係性は置いて行く。
私に支える力があって、お互いに支えられる人、または私の意思で支えたいなら、支える。私を優先、守れる範囲で支えるだ。
新しい両親という呼び方ではないけれど、教えてもらって「理想の親」というのを作ったことがある。
理想のパパとママを心にお迎えしたことがある。わりと楽しい遊びで、その時は「母親と私」に向き合っていたので、心の安定剤になっていました。
「私に新しい両親を下さい」って思った時にも思い出したのだけど、この「理想の親」をちゃんと活かすことを考えた方が良いのかもなって思います。
その時は余裕がなかったよね…。
親を作るについて、断片的には調べたことがあるけど、まあまあの「痛み」だと思うので、自分で手当てできるなら、手当てしようと思います。
今まで理解していたよりも「痛み」は深いことが分かった。
もしもここまで読まれた方がいたら、私の心に少しふれてくれたあなたに感謝です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
そもそも、親に今何かを求めることは悪手だということを私は本から学んでいたのに、求めることをして絶望しちゃった。
本が伝えていたことは、正しかったと証明された。
しかも、妹は私に「父親に冷めたんだ」って教えてくれていたのに。
ただ、最初は「子どもの頃の私が大好きだったを伝える」が未完了だと捉えていたから、それを伝えることで完了させる。
それなら、何も求めないよね?って思って向き合い始めたことだった。
向き合う内に、私は、父親に受容されたいと思っていて、拒否されるが最大の恐怖だと分かるに至った。
だから、手紙という手段を用いて、「余裕があるなら、それを与えて下さい」って伝えた。
それ以外もすべてを書いた。
気づいてしまったら、後には戻れなくて、私が未来を明るく生きるために必要って思った。
他の選択肢があったのかもしれないけれど、そしてこんなに苦しい辛いを避ける方法があったのかもだけど、私にとってはそれが必要だった。
だから、大人になってから正面切って子どもの自分が欲しかったものを掴みに行くのは、おすすめしない。
私の心の安全基地となって、私の心を聞いてくれたコーチにも、周りのやさしい人たちにも心から感謝だ、と思った。
1人で向き合うことは出来なかったと思うので、本当に感謝で、私は周りの人に恵まれている。
本当の意味で完了したのかもしれない。
大人の私にとっては完了だけど、子どもの私にとっては、未完了のまま。
親子関係をテーマにしたnoteは、こちらにまとめています。
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